札幌国際芸術祭覚え書き 備忘録のあと(1)

12月27日 木曜日
混んでいることは予想されたが想像通りの人口密度の新宿駅東口を通過する。改札を出た頃から人が溢れ、歌舞伎町方面への階段を登れば駅の建物に沿って人が立って並んでいる。つい最近までアルタ前と呼ばれていたここは待ち合わせ場所のメッカであり、とにかくとにかく人が多い。午前中の所用の服装のままスーツとコートでここを横切る。もうアルタはない。
大通りをまっすぐに直進する。紀伊国屋前を抜け、世界堂の手前で地下のベローチェに入った。時間を潰して携帯を眺め、思いついてPCを開くと、新しく動画がアップされていて札幌国際芸術祭の展示風景が映されている。丁寧な編集で見入る。綺麗に環境ノイズが排除されていて、それだけが逆に違和感を感じたが構造を知るには十分だ。自分の記述に誤りがあることを発見するが、もう直すつもりはない(気づいた人は著者をあざ笑いながら自分で訂正するべきだろう)。
時間になったので席を立ち、鞄を持って外へ出る。まだ夕刻で、すぐ先の交差点を左に曲がるとすぐのところにピットインがあり、そこでオープンゲート番外編が行われる。



ピットインはジャズライブハウスだと思うが、ステージと椅子は綺麗に片付けられて、椅子が壁際に二列ずつ、向かい合って並んでいた。いって見れば、客が見るのは、元の客席(の真ん中)。これまでアンサンブルズや装置系の演奏をここで見ることもあったが、ここまで客席自体が空っぽで、そこを見ることはなかった。しばらく喫煙をする。


時間になると、会場全体が暗く、というかほぼ闇に落ち、何も見えない。しばしするとステージがあった位置の方から人の足音がして、物音が小さく始まる。そこに盆を引きずるような音、数人の足音と気配だけが、闇に侵入してくるようだった。
言うまでもなくそれが開場であり、そこからオープンゲートがオープンした。床に、直接にスピーカーと機材を置いてガガガという異音を立てる米子匡司、半裸でテープをステージからバーカウンターまでビリビリとテープを鳴らして横断して直線上に貼り付ける水内義人、現れるテニスコーツ植野の緑色の獣のような異形、床をじかに打ちリズムを作り出していく女性たち二人、つばの広い帽子をかぶった人影が風船を膨らませながら横切っていく。


おそらく即興の解体以後の即興の姿があると言うべきだった。脱線、反予定調和、非線形性といった即興のイデアがコンピューターによって乗り越えられた以後、新たに獲得された空間性、非同期、創発性、そして歴史に積み上げられた伝統的な物質性、本能的な叫び、美術デザインの導入、それらが時間軸を土台にして四方八方で繰り広げられる。
特に耳を引いたのは、さやのコンクリート面をじかに叩くリズムであり、Sachiko Mの徘徊する銀盤の殴打だった。彼女たちはゆっくりと歩きながら、他の喧騒を眺めながら、交じりながらそれを行い、緑色の怪物やあちこちに引かれていくテープの中で時代を取り違えた儀式のような美的空間が薄闇の中に濃密さを増していく。伝統的な音楽技法を剥ぎ取りながら浮かび上がるトライバルな時間感覚が収斂して、最後は緩やかな退出とともにステージ背後のスクリーンに映し出された夏のオープンゲートとともに共演を果たして、オープンゲートは再び閉じられた。


これらを混淆的な、雑多なトライバルというのはやさしい。けれど、実際にはどこにも伝統によるものはなく、技法も形態も統一性を示すことのない、また、反復を欠いたリズムであることは注意を要するだろう。それらは即興がその実践の中で目指したものであり、そしてそのあとに、オープンゲートは、空間性の中で音楽的体験の創出を試みる時間経験の実験なのだ。
門が開き、門が閉じる。ただその区切られた中で、私たちを引きずるあらゆる慣習を捨て去ってなお行われる即興の姿とその濃厚な美学を、そこに見た。おそらくそのように言うべきだろう。


終演後、しばしの喫煙、しばしの挨拶の後、大友さんに挨拶して本を買い、そのままぼんやりしていると周りにいる人との会話が始まった。どうも札幌国際芸術祭についての会話のようだ。まだ終わっていない。





メモ

さいきんの音楽(実験or即興)について思うこと・どう把握すべきかという点から


おそらく、「行為」と「音楽」との関係が問われているように思う。動くことで、ある音を出す、というのは楽器では普通のことだ。だが、その行為(行動?。アクションというべきかもしれない)と、音が出るまでの間に、直接的な繋がりではない関係を持ち込んでくること。
特に、サーキットベンディングや、改造されセンサーで動くような特殊楽器について、そのように考えれば良いかもしれない。


それに、この延長というべきか同じ問題を共有しているというべきか、美術系のインスタレーションも含まれるだろう。


彼らは、ある意味で、音楽そのものに熱中することなく、目の前の別の行為に熱中している。そのことで、装置を通じて出てくる音こそが、自然と音楽を形作ることになる。


行為と音の間に関数が入っている。と言う関数を考える。






札幌国際芸術祭おぼえがき10 備忘録(続々々)

備忘録(続々々)


9月8日 金曜日


アイスコーヒーを飲み終えたら、ちょうどいい時間だった。午後2時45分。もう行くことはできない。
ドトールを出て、ススキノ駅まで歩く。この3日で随分とここを通ったなと思う。地下への階段の、少しひしゃげた扉を開けて、地下鉄の構内に下り、電車で札幌へ。駅の地上階に出ると天井に風呂敷が旗になって広がっていて、少し見上げてから改札へ向かった。帰りだ。


今度は席を予約せずに空港への電車に乗る。座席指定のない普通車両は意外に混んでいて、立っている人も、途中で乗車したり下車する人もいる。席に座っていると、向かい側の人が暑そうに汗をぬぐう。立っている二人の男性が専門的な用語を使って話し込んでいて、そういえば北大では学会があったなと思い出した。
来た時とおなじく、空港でのチェックインは簡単で、格安航空券は一枚のレシートが出てくる。これで飛行機に乗れるのかと再度うたがったが無事にゲートを通った。一服していると飛行機が見え、ここを発つのだと思う。ずいぶんと色々な人に会ったような気がした。



飛行機の中で、読み残していたガイドブックを取り出して読む。行けなかった場所、企画、イベント、展示、食べもの。食べものは本当に惜しいところだったが、実際に見かけた海鮮屋はススキノの「すしざんまい」だけだったので、もうどうしようもあるまい。
企画も展示もたくさんある。オープンゲートは見たかった、アジアンミーティングも見たかった、芸術の森も、野外彫刻はとくに行きたかった、毛利さんや堀尾さん梅田さんのエッセイ、インタビュー、芸術祭について、ガラクタについて・・・
ちらりと思い出す。デバイスがむき出しになった展示は、それらの発する音ではなくその周囲の空間全体を変容させる。あれらを、バシェの「音響彫刻」やデバイスの美学として捉えられるだろうか。
ちらりと思い出す。空中回廊。津波から取り出されたピアノであり、鳴っていた金属は廃坑の商品であり、全体は崩壊した彫刻の作家ビッキの詩の朗読で彩られていた(あの展示を「ジャンク」と呼ぶ人は少ないとおもう)。打ち捨てられ、壊れ、浚われ、その再生でできている。奥にあるグランドピアノへとたどり着く音は、ジャンクと呼ぶことのない、過去と現在の対話なのだろうか。
ちらりと思い出す。ススキノのキャバレーの椅子。語られていた貴重なインタビュー、集められたエロス、人の着ていないドレス。
音楽と美術のあいだについてではない、札幌の街の過去と現在のあいだについて、そのあいだに生まれた作品との対話を、そこを離れながら、思い出すべきだろうか、始めるべきだろうかと考える。




1時間半で離陸した旅客機は成田に着陸した。何事もなく無料バスでターミナルを移動して切符を買い、東京へ向かう。すっかり空腹で、到着したら餃子定食を食べるしかないと決めて電車に乗った。
その間も、様々な情報がネット越しに入ってくる。今日の天気、今日のライブ、企画の情報、イベントの告知。というより、実際それは、これを書いている今まで続いていて、札幌を離れても様ざまな情報が入ってきている。台風直下のオープンゲート、アジアン・ミーティング・フェスティバルのレビューやレポート。展示内でのいくつもの演奏について。あちこちに車で乗り付けるオーブンで野菜を焼き食べる人の感想、円山公園アイヌの遊牧テントを模した作品を開き、仮想の村が出現する様子、風呂敷工場での作業の達成感、狸小路に展開するテレビ局の中継、ドミューンのライブ放送。
とりわけ京丹後のアートキャンプを経由して札幌にやってきた香港のフィオナ・リーとは、フェイスブックで台風で帰国便が危ぶまれた日の千歳空港駅までの時刻表などをやり取りしてすでに思い出になっている。それに、札幌の美術ギャラリー情報を配信している方の文章を読んだり、アジアン・ミーティング・フェスティバル最終日の直後に市街劇を観劇し、地下遊歩道でテニスコーツが演奏するのを鑑賞した人のツイートから、梅田展示を楽しんでいるお子さんのお母さんと会話したスタッフの方の感想を見かけた。そういえば資料館の木彫りの熊の展示には、いくつか熊が追加されたという。
芸術祭ってなんだ?というこのテーマの問い方には、いささかトリックがある。さまざまな人に意見を聞いたら色々な答えが返ってきたから全部やってみた、という趣旨のコンセプトは、まあほとんど「芸術祭てんこ盛り」のようで(ちなみにこれを思いつくたびに、食べられなかった海鮮丼を思うばかりだ)、その上に問いかけが乗っている。アートとフェスティバル。地域アートというより、芸術と祭りの関係や、その意味が問われているのだろう。芸術の祭りとは何か。芸術で祭りは可能か、芸術の祭りは、ふつうの祝祭と同じように都市や地域文化と関係するのだろうか。それは、つまり芸術祭は、芸術と同じなのだろうか?




そんなことを考えるのは、けれど、まだちょっと先のことだった。電車は1時間ほどで東京に入り、降車した駅で改札をでて中華屋へ向かう。予定していたメニューを食べ、もう一度電車に乗って、そう、いつも行くカフェにたどり着いた。金曜日の夜は人が多く、疲労と休日への解放感とがゆったりと交ざっている。
一服して、帰ってきた、と思う。何か悔いはあるだろうか。あまりない。まあ、ちょっとベッドが固かったな、コンビニに行き過ぎたかもしれない、ICカードのチャージはすっかり払いきって、また明日チャージしないと、と思う。あとは、まあそれくらいだろうか。


そういえば、そう、別れ際に、きちんと挨拶できたかが、心残りといえば心残りだ。せめてきちんと握手を、せめてサムズアップして、そういう挨拶をすべきだったかもしれない。あるいは、その後に知った、ナムジュン・パイクの「ALL STAR VIDEO」は1984年に坂本龍一の全面協力で製作されたものらしく、映像の中ではジョン・ケージローリー・アンダーソンなどが出演していて、そう、これを知っていれば、あるいは注目していれば、もう少し早くメディアアートとして意味のようなものをより太く見出せたかもしれない。創造都市としてメディアアートの芸術祭をする、という市民の要請から立ち上がったこの芸術祭の意義や位置付けを、より正確に把握できたようにも思う。
けれど、そんなことを考えるのは、もう少し先のことだ。思い出されるのは昨日の夜、ライブハウスで交わした会話と、その別れ際のこと。そう、せめてサムズアップか握手か、その場ではうなずくだけでやり過ごしたことを思い出す。ゆるやかに広がりつつあるような街の芸術や音楽のネットワークとその興奮を感じながら、その余韻ののこるその場所で、僕はその声を聞きながら、背後から聞こえて来る声を聞きながら、まっすぐに出てきた。それはアートや評論、芸術や音楽の対立、議論などではない、そのようなものではない。それはどうぞ業界でやってくれ。僕はそういうものを見に来たのではなかった、その場の文化、その場にある都市や美術、音楽、芸術を、そこにあるありようを、見に来たし、できればその中を少しだけ通過してみたかった。つまり、それは芸術祭などどうでもいいことで、けれど芸術祭があったから知りえて、体験できたことなのだろう。



また、札幌に、来てくださいね
と背後から言われたその声に、だから、僕は静かに頷き、それにまだその声は音楽と美術の間でいまも響いている。





札幌国際芸術祭おぼえがき9 備忘録(承前)

備忘録
9月6日水曜日(承前)


美術作品と体験は非常に難しい問題であると思う。とりわけ美学的な感情や理性を刺激されるのではなく、身体的刺激や衝撃による感覚の想起を引き起こすたぐいの作品は、記述も、また分析もむずかしい。
とりわけその代表はノイズ・ミュージックだろう。すでに電子音楽からインダストリアル、ノイズ、テクノイズに至るまで、強烈な鼓膜への圧力と刺激を与え続けてきたその領域は、いまなお評価の網目の中に空白を切り開く力を持っている。


道に迷った。中華屋を出たところで東西南北を間違えて東へ移動したらしく、仕方がないのでドミューンまで戻り、地図を頼りに南下する。区画を一つと少しで、角にある建物にポスターが貼ってあるのを見た。AGS 6・3ビルの堀尾寛太の展示。角を曲がり、空いていた入り口から中へ入る。
到着してパスポートを見せる。あちらですと言われた方角へ行くと、入り口が狭い。階段も狭い。木製の歪んだ階段を這うように登ると内部へ出た。出たところは1階(?)らしく、まだ低い階段を曲がる。使い古されたビルらしく、スタッフの人がいる。説明文があり「建物を補完する」という旨。
全体は、要するに引っ越したあとの粗雑な気分の残る部屋、という趣きで、クリーム色のタイルや壁、傾いた照明器具、からっぽの棚、という風情だった。唯一、天井から壁にグルリとロープが渡されていて、これが補完というもののようだった。たしかに作業用のかなり太く長いロープが、いま来た階段の方から、部屋の奥の滑車でいちど曲がり、2階らしき向こう側へとだらしなく伸びている。荒々しいといえば荒々しいがシンプルといえばシンプルで、この付け足された補完を、これから読み解いていかなければならないのか。


という考えは、完全に間違っていた。ちょっとしたら、全部動くんですよと、スタッフの女性が言った途端、いきなり装置が作動して、天井から室内の壁に沿って、さらに奥の空間まで続いていたロープが、巻き取られたかのように回転し始めてそれに合わせて下から照明器具がせせり上がり、別のものはずり下がり、凄まじい物音が下から響いてくる。おまけに奥の空間ではどうやらシャッターが動いており、見ればロープが何本も梃子の原理のように縛られた形でそのまま吊り下げられた力を失ってずり下がっていく。軋みというより怒号に近い金属の振動やシャッターの作動音。動いているロープ全体は(あちこちで結びつけられている?)一本の動きで、それだけでそれに接続されたいくつものロープの結び目によって壁と床以外の空間の位置が移動して、止まったときには、光景はそっくり変異していた。


あまりの事に呆然として笑っていたようだ。何分か1回、動くんです、とスタッフの人はにこやかに教えてくれる。それに対して、ずいぶんダイナミックに動きますねと返した。少し呆然としたのち(もう元がどうだったのか覚えていないのだ)、指示されて、次に部屋のすみにあるというもう一つの展示に行く。とはいえ、あちこちにロープが垂れさがっているのが見え、それがまた器具を持ち上げらたりするのかと思うとやや怯える。
こちらでは小さいが繊細な展示がある。奥には、衣料品店だったのか、試着室のようなロッカーが二つ並び、そののぞき穴を貫通していた細い糸が異様な速度で振動して穴を叩いている。よく見れば糸にさらに糸が結びつけられ、垂れ下がったその先端にある磁石らしきものがロッカーの壁面にある磁石らしきものと反撥して小刻みに動いている。糸の高速の振動はこれによるのか、ピピピピとしか形容のできない細く鋭い打擲の連打が響いている。
マイクロセカンドの打音にしばし凝視していると、そうしているうちに再び部屋全体の装置が作動して、また部屋や階じゅうの怒号と移動がふたたび開始される。空間が変異していく。もう戻れない形で再びストップした。
怒号というか轟音から想像したのは、インダストリアルノイズだった。あるいは、そう目の前の糸の振動はテクノイズだ。
空間中のマテリアルが立てるノイズだろうか、あるいはノイジーな空間なのか。




これでおわりではなかった。
まだ地下あります、というスタッフの方の声に促され、地階への階段を降りていくともう一人スタッフの方がいて、懐中電灯をもって案内してもらう。
地階は、倉庫だったのだろうか、コンクリートむき出しばかりの部屋で、やはり部屋にロープが渡っている。それに片側には天井から、これも奇妙な装置があって吊り下げられ、ヤジロベーのように揺れながら、片端にブロックが付いていてコツンコツンと床を打っていた。天井の白色蛍光灯がちらつく。なかなか趣きがあり、ジャコメッティのような装置だなと思う。
スタッフの方が、上の階のシャッターが天井のボタンに接触すると、電灯が消えます。と言うところで、実際に階段口の方から轟音が聞こえてきて、そして真っ暗になった。


視界が点滅して激しい刺激を受けた。コツンと床を打つごとに、蛍光灯が一瞬だけつく。コツンと床を打つごとに、蛍光灯が一瞬だけつく。奥に揺れる板が吊るされており、そこに尾のように垂れた銀糸が揺れている。一瞬の点灯の中で銀糸はまるで稲光りのような形態で浮かびあがった。強烈な空間からの刺激を受ける。コツン、コツン、という動きはランダムで、そこにスイッチがあるに違いなく、廃墟、稲光り、打音は呪術的なまでの単純なパーカッシブで、身体的感覚はノイズとの近接性をおもう。いやこれは、むしろノイズの表現と言って良いだろう。ノイズミュージックやノイズ、テクノイズを体験したことのない人がどのように感じるのかは、正直わからないが、視聴覚的というべきなのだろうか、あの呪術的にすら見える装置のあり方は何なのか、強烈な身体感覚が空間にのこされていく。



地階から出てくるときには、もはや途方に暮れてはいなかった。ノイズだと思う。力強く野蛮で凶暴で若々しく知的だ。次の場所へ行こう。狭い入り口を逆行して戻る。受付のスタッフの方に次の順路を聞いた。入り口の向こうで轟音が聞こえ、また部屋が動いている。と思っていると、すぐ側にあった受付口のシャッターまでが下がり始めた。凄まじい轟きとともにシャッターは下がっていき、出るはずの扉は閉まってしまう。おまけにガチンとスイッチの音がして照明が落ちた。受付口まで真っ暗になった。途方に暮れた。
スタッフの方が携行ライトで地図を照らして、その目的地はこの住所ですね、と先の質問に教えてくれる。慣れすぎではなかろうか。歩けますか、と聞くと、たぶん。と言われる。じゃあ歩きます。というあたりでブザーが鳴って、装置が動き出して、奥から轟音が聞こえる。
それとともにすぐそばのシャッターが上がってゆく。確かにこれも何本ものロープが結びつけられて、凄まじい力で引きずり上げられているのだ。全てが一つでつながっている。(あとで気づいたのは、この「入り口」というのが実はビル全体の駐車場入り口ということで、つまりもともとのビルの入口は(シャッターが下りていて)閉ざされている、ということだった。そういえばこの「入り口」から展示内へと入っていく開口がせまいのは、工事用に無理やりに開けられたものだったのではないだろうか。そこから、つまり駐車場から、廃ビルの1階へと進み、そして2階の商店のシャッターが上下するのだ。ロープ一本の輪が建物中にごろりと置かれ、それが回転するごとにあちこちで滑車の原理だけで建物ごと素材にして動いていく。エンジニアリング的想像力が、本来土台とすべき基礎そのものを動かし始めてしまったのか。そしてその轟音から少し距離を置いた地階。もう一度たどろう。街の通りに面した「入り口」から、機械と装置の怒号飛び交う1階、そして静寂と刺激の炸裂する地階へと、なんと考え抜かれた距離と順路だろうか。何より、この野蛮とも暴力ともつかぬ力を感じざるをえない展示が、歓楽街の端でおこなわれていることにも、奇妙な刺激をおぼえる)


シャッターが上がっていくと、実は出入り口に待機していたのは自分だけではないらしかったことに気づく。すぐ側に、たぶんこの辺りでのんびりしていたのだろう子供連れのお客さんがいて、子供達はシャッターと暗闇にはしゃいでいる。うるさくてすいません、とお母さんに言われ、いやいや、ずいぶん楽しそうですねえ。などと話している間に、通り抜けられるくらいの隙間まで開き、あるいはそれだけの幅を残して、シャッターは止まった。





札幌国際芸術祭おぼえがき8 備忘録(続々)

備忘録(続き)
9月8日金曜日


ふたたび7時ごろ起床。昨夜はライブのあと、やはり深夜2時ごろまでSNSなどをしていたので眠い。準備をしていると海外からの旅行客らしい人がすでに支度を終えて出かけるところに出くわす。ゲストハウスというと、そうした雑多な客の交流が期待されるけれど、今回の旅行ではそれは体験できなかったな(というか、その時間に宿にいなかったな)と思う。簡易な着替えを詰めて鞄ひとつで終了。チェックアウトの手続きは不要らしい。そのまま忘れ物チェックなどをして、外出。


すでに勝手を知った気分で川を渡りススキノへ。昨日はいったドトールの向かいにあるロッテリアで朝食。しばし今日の予定を考えたのち、北大から三岸好太郎美術館、資料館から街中の展示を見るというルートにする。帰りの便は午後5時で、午後3時には札幌を出る必要がある。


9時ごろに札幌駅を通り抜けて、反対側の北側にある北大へ。朝の大学はゆったりしていた。9時25分ぐらいに大学博物館に到着。開館直後に入る。吉増展だ。
個人的には吉増に積極的な関心は、実はほとんどなかったけれども、展示を見て出てくるときは記憶と感想で胸がいっぱいだった。理由は石狩シーツよりも、隣にあったゴーゾーシネだ。室内全体は切れ味鋭い展示構成で、コンパクトにいくつもの作品が視界の中で重なり合うようになっている。奥に石狩シーツを朗読する壮年の詩人の映像があり、左側にゴーゾーシネがあった。青い画面に庭が映り、ヘッドフォンをすると詩人が語っている。詩人は画面の中には登場せず、カメラを構えている本人らしく、音声と音楽と風景で構成されていた。
デュシャンよ、なんだよ、お前の言っていることはさあ、ジョイスニーチェも言ってるじゃないかよ、なあ」というような言葉がいきなり始まっていて、突然に芸術史(美術史というより、より広い何かだと思う)に引きずり込まれる。何か奇妙に整った可愛らしい音楽が流れていて、これは?と思うと「これは、武満徹の曲なんですけどねえ」という声とともに画面が下がってテープレコーダーか何かが映る。「今日はね、ケージさんの手書きノートをね、OHPにして持ってきてましてね」という声。何かスライドが画面に入り込み、文字が書かれているものが映る。読めない。「小樽の、石でねえ」という。
突然の異様な世界だった。ここには人は全く映っていない、という印象が背筋に入り込んでくる、といえばよいのか。わざとやっている、という印象も拭えない。風景と音、もの、声。本人は絶対に画面に入り込んでこないだろうという(勝手な)確信があった。人間のいない世界なのだ。
デュシャン、ケージ、武満、ジョイスニーチェ、なんというきらびやかな名前が、「ああ」という声は「嗚呼」と書くのかもしれない、芸術を生きている人が作っている、という異様な世界の感触。おぞましいまでに冷たいモダンな世界に接している気配(例えば、ただの老人の呆けた独り言にしては、記憶の中で文章を引き出してデュシャンをけなしたりはできない、それらを一人で対話まで処理できるほどに蓄積されている、そのマシンの独り言のようだ)。ゾッとして、奥のスクリーンで叫んでいる壮年の詩人の声に焦点を合わせる。シュールレアルな表現と身体性がある。
15分ぐらいで出てきた。まだ次に行きたいところもあるからだ。だが歩きながら、いま耳元で聞いた声の、その記憶(声が語っていた記憶)が次々に想起され、自分でも嗚呼、と言いそうになる。嗚呼、なんだここに芸術が。
駅をまたいで、また街中へ向かう。駅をまたいで北に、街中を見下ろすように、芸術があった。芸術祭。




札幌駅から大通へ行き、ドトールに入って一服する。時間の余裕はないが、一服するに十分だ。あそこにあのゴーゾーシネがあることには何か意図を感じなくもない。小樽のホテルを外から映した、いわば生きた芸術の作品は、まるでこれまで見た芸術祭を裏から支えているようだった。嗚呼、というのは、あのように発音するのか、などと思い、北海道でこうした芸術祭をすることにも何らかの必然性を与えているようにも思われた。小さな作品でそこまでだろうか、いやそのような作品だったかもしれない。まったく全部を見ることはできなかったな、芸術祭、と思う。


電車に乗り、資料館の脇を通り過ぎて北上する。三岸好太郎美術館へ。大友アーカイブを見に行く。瀟洒な建物で、目当ては高柳昌行のライブ映像だ。展示品を眺め、貼り出されていた大友さんの学生時代の論文を読む。太平洋戦争でのジャズの統制を扱ったもので、戦時下で「ジャズ」は禁じられ、一方では明るい音楽がもてはやされていく流れを概観しつつ批判するもので、現在の一見ポップで大衆的な音楽を作っている音楽家のその裏の考えを知るようだった。その隣にあったモニタでアーカイブ映像を視聴し、一切キャプションのない映像ではマスヒステリズムとその前にもう一曲、ライブ演奏が映されている。充実していた。
奥にはレコードとCD、アーカイブ、展示があり、展示は高周波も使った密度の濃いもので、モエレ沼のピラミッドより凝縮された印象を受ける。展示ではしばしば(本人の演奏のさいのスピード感は削除して)スローテンポで持続的な傾向があると思うけれど、ゆるやかなカットアップよりこうした抽象的な作品の方がそうしたベクトルには、現段階では合っているように思われた。
三岸好太郎の濃厚な作品を上階でじっくり眺める。




資料館を文字通り裏庭から通過し、通り抜けて駅へ。初日に来たとき準備されていた大通公園でのお祭りが始まっていて、出店で肉焼きなどをほうばる人たちであふれている。もう12時を過ぎていて、どうしようかと思うが、せっかくだからお礼と昼食を兼ねて電車で南下してトオン・カフェへ行く。
お店はひとしきり一杯。まろやかなカルボナーラをいただき、ずいぶん休憩できたこと、話が参考になったことを伝える。雑談をしてゲストハウスの生活模様や(特にない、という結論)、時事問題などもする。もしこの旅が充実していたとすれば、その半分くらいはこのカフェのせいかもしれない。お世話になりました、ごちそうさまでした。と言って外へ。



もう2時ちかかった。この道をたどるのは3度目の、北上をしてススキノ方向へ。堀尾展示を見に行く。シャッターから中に入り、2度目です、という。構造がそのままに見えて建物自体が素材となっているこの作品は、似たものを見たことがなく言葉を失って見入る。ノイズであるという前回の見方に、エンジニアリング的想像力が基盤そのものを動かしてしまうという凶暴なあり方も見ることができるかもしれない。それにしても順路、入り口、地階、出口まで、完璧に考え抜かれている。
そういえば前に来た時は親子連れの方がいて、子供達(まだ小学生ではなさそうだった)が楽しそうにシャッターのところではしゃいでいたことを思い出す。彼らにはどう見えたのだろう。動くおもちゃの仲間たちのようなのだろうか。そう思えなくもないなと思う。
ゆっくりと開くシャッターから光が差してきて、そこから外へ出ていく。




ススキノまで来て、もう何度目だろうか、駅近くのドトールに入る。喫煙席は2階で、外をガラス窓から見下ろしながらゆっくり一服。2時半を過ぎていた。走っていけばまだいくつか展示を観れる。記念品を買うのもいいかもしれない。けれど疲れたし、それに十分であったような気がした。どうも一つの完結した構図が描けたのではないだろうか。今日の吉増展も大きかった。ここに来るまでに想像していたはっちゃけった展覧会でもなかったし、テクノロジカルなこめかみをえぐられるような展示でもない、ごくあたりまえの、ごく当然の常識に沿って成立する札幌という都市の中で作り上げられている現在の展示だ。吉増のとなりに、そういえばモエレ沼のピラミッドで見たナムジュン・パイクの姿も見える。廃墟ではない、生きたガラクタの世界。 ガラス窓の向こうに狸小路と、ひるがえる風呂敷で作られたモザイク模様の旗を眺める。




札幌国際芸術祭おぼえがき7 備忘録(続)

備忘録(続き)
9月7日木曜日


あれこれと深夜2時すぎまで起きていたはずだが、朝7時に目が覚めてしまう。玄関の外に出て一服。2階の階段側から周囲の建物をながめる。製造会社の社屋などが見えて、出勤される方の姿が。おはようございます、ここは札幌だ。
一服したのち、支度をして外出。ここで一番困ったのが、持ってきたノートPCである。昨日は1日持ち歩いていた。今日はゲストハウスにいるのだから置いておきたいが、ここは二段ベッドだけである。鍵のついたロッカーもあるが、入るかどうかわからない。という以前に、すべて使用中だった。
面倒なことを考えないでいいようにするために、今日も持ち歩くことにする。若干の着替えなどはすべて置いておき、折りたたみ傘と少しの紙類とガイドブックとPC。まるで普段の生活と変わらない。ゲストハウスの方に聞くと、ススキノまで15分で歩けるというので歩くことにする。
途中でセブンイレブンに寄り、唐揚げを買い、きのう無駄にチャージされてしまったICカードで支払う。なるほどこういう支払いがあるのかと思い、以降コンビニなどはICカードで済ます。


食べながら川を渡りススキノ駅。ドトールに入って、再度あらためて朝食。狸小路をながめ、今日の予定を確認したり組んだりする。どう考えても、全部を見ることはできない。といっても全部を見ることが目的でもないし、やはり大物は基本、全部カットしていく方針に。時間ができれば見ていけばいいのだ。野外彫刻も気になる。ビッキやゴームリーのものがあるという。ここに来ないと見れないのが彫刻だ。
SNSを見ると、台湾の林さんから、昨夜貼っておいたドミューンの写真にコメントがあり。「どんなパーティーなんだ?」と言われ、「パーティーじゃないけど、エロティシズム版のアビ・ヴァールブルグみたいなもの」と返しておく。たぶん彼は知っているだろう。



芸術の森方向に向かう。真駒内まで一本だが、やたらに電車が揺れる。バス停で運転手さんに「これは芸術の森に行きますか」と尋ね、そうですと言われたので乗る。ぼんやり見ていると石山緑地らしい近辺を通り、緑の山肌がごっそり削れて土が見えている山が見える。おそらくあれだろうか、と思う。ぼんやりしていたら市立大学前という停留所があり、思いついて慌てて下車した。
道を直進すると、すでに写真で見ていた市立大の建物が見えてくる。空中回廊らしき構造も見える。まだ9時半ぐらいで早朝と言って良いかもしれない。


エレベーターを上がると、受付があり、右を見るとそれが広がっていた。2台のアップライトのピアノ、壊れたグランドピアノ、空中回廊にずっと何かの装置が散らばっている。奥は霞んでみえにくい。ゆっくりと歩みだす。頭上のスピーカーから、女性が詩の一節を読んでいるのが聞こえる。2台のピアノは、自動制御とはいえまるで人が弾いているような響きがする。ややくせのありそうな手つきは坂本龍一だ。毛利悠子の展示というべきか作品というべきか。朝の回廊は日差しが入り込んでいて、静かだった。
歩いていくと、まるで奇妙だが、音と音のあいだにいるような感覚に陥る。そんなことはなく、音速の速さは体感しうるほど以上のものであるのだから、そうではない。だが歩いていればその感覚は拭えない。奥まで行くとグランドピアノがあり、ここでも自動制御でも、もはや豊かと言っていいような演奏が行われている。アンテナ型の装置は高周波トーンの発信源とおもわれた。そして多くの静寂、静寂は、しかし、残響に包まれているようだった。たくさんの色々な静寂があった。


仕掛けもわからないし、意図もわからない。ただそれから30分以上いた。これまで2009年くらいから見ていて、装置が出す音や、振動を感知するセンサーを使った装置などはあるが(おそらくここにある幾つかの装置もそうしたセンサーで、その場で動いているのだろう)、けれど、ここまで空間そのものなのは初めてだった。空間そのものということは、ここにある振動が、音が、あつかわれ、展示されているのだろう。(一体どれほど波形の異なる様々な種類の音が、ここには展示されているのだろう)
とりあえず次に行くためにまとめた結論は、これは「21世紀のロアラトリオ」である、ということだった。ケージがジョイスの朗読と多様な素材のコラージュで作り上げた創作物を、しかし思い出さずにいられなかった。ロアラトリオでないとしても、非常に強くケージの印象を想起する。
もちろんその多くは雑多な素材によっている。声の使用、ピアノ数種、鈴、ファン、高周波トーン、回廊にいればいるほどそれらは混じり合うようで混じり合わず、反響と残響と金属音とトーンと静寂の、空間上でのミックスだろうか。声質はいくつか異なるバージョンがあるようだったが、深いフェルドマンを思わせる簡潔でゆったりしたピアノの低音の合間で異なる質感を保っている。完成度は高い。ケージ、と思わず言ってしまうのだが、その完成度の高さがいいのかどうかはわからない。おそらくアカデミックな作家や芸術家志望の人は、まず見に来た方がいい。明るい日差しの差す回廊は濃厚な波形の干渉に包まれている、ように思えた。自動制御、センサー感知、詩、ピアノ、ジョンケージ。芸術祭だなと思う。





すっかり疲れたという気分でエレベーターを降り、すぐにあった図書館に入って喫煙所の場所を聞いた。2000年代後半、技術が音楽を塗り替えつつある時サインウェーブや静寂を基礎に据えた音響的な即興を見たときに近い感覚だろうか、ごっそり体力が消耗している。昨日トオン・カフェで教えてもらったのはこのことだった。コンビニですと言われたので外へ出て、コンビニに入ってソーセージと飲料を買い、外で煙草を吸い、食べて飲む。目の前にバス停を眺めながらソーセージを食べた。濃い味付けが美味しく感じる。もうすでに11時を回っており、のんびりしていれば午後になってしまう。バス停は目の前だ。
芸術の森は、明日の午前に行くか決めることにした。モエレ沼に行くことにする。



大通りに戻り、大通のドトールでサンドイッチ。バスの本数が少ないことにようやく気付き、一本逃すと次は30分以上待つことになるということに気づく。慌てて移動、走って電車に乗り、バス停まで走り、ようやく乗り込んでモエレ沼へ。バスはどんどん人が乗ってきて、「モエレ通り」という通りを走っていく。
モエレ沼公園はひどく広大で、バス停で降りてから入り口までかなり歩いた。入り口ではなく駐車場で、入り口までまた歩く。入り口ではなく自転車レンタル場で、どこまで行くと何があるのか不安になる。かなりぶらぶら歩いていると、途端に沼になった。向こうにガラスの青みがかったピラミッドと、中に黄色いう○このような形態が見える。浅草のう○こビルをふとおもいだす。今は改修中のはずだ。
近づいていくと思ったより近く、いきなりピラミッド。やはりう○このようだと繰り返してしまう。プーとも言うななどと一人ごちながら写真を撮る。今日は暑く、ピラミッドも輝いている。ではプーの中へ。


Without recordsには人がたくさんいた。奥の方まで行くと休憩用の椅子のところに地元の少年少女がたむろしていて、どうもダラダラしているらしい。なかなか凄い場所を発見したな君たちと思いながら、あちこち見上げる。ガラスが熱を吸収して内部空間は熱い。東京で何度か見たのと同じターンテーブルがある。また今回は操作がわかりやすく表面化しているものもあって、随分と賑やかな作品になっていた。
と思うと、その真価は、むしろ階段を上ってからの空間だった。まさにピラミッドの神秘的な墳墓を思わせる、落ちくぼんだ構造のピラミッド上部。そこに高々と並ぶターンテーブルとノイズは荘厳というべき響きがあった。見上げるとまだ上があり、次々に登る。靴を脱いで、黄色い構造物のような布製の巨大な彫刻の中に入る。階段を上り、また布製の巨大な彫刻の中に入る。最上部で全体を見下ろす場所があり、そこでの音は、まさしく荘厳だった。(このピラミッドの姿は、幾何学形態でもあり、墳墓でもあり、住むことのできない展示=美術館でもあって、体験するのは良かったと思う)。



とはいえ、すでに加熱されたピラミッド内は涼しくなることはなく熱くなる一方で、ぼんやりしながら上部の部屋に収められたナムジュン・パイクのロボットや動物ロボの側を通り過ぎ、家電とレコードやジューサーミキサーを使った展示をしばし凝視して通り過ぎ、宇宙空間の説明を眺めて通り過ぎ、ようやく終わりかと階段を下りていくと下階からのリズミカルな低音が響いてきて、もしやと思いながら降りると爆音の展示作品があった。激しい赤と白の光の明滅、鳴り響く高周波ノイズに重低音のハーシュノイズが合わさって、宇宙への信号を検知ないし発信しているようだ。隣には奇妙な幾何学フレームがあり、明らかに異様な彫像であろう。モニタにライブで送信されている信号が映されており、それをその場で視聴覚化しているらしかった。強烈でありそのままノイズでもある。




疲れてダラダラ歩きながら、出口のところにあった椅子に腰かけてペットボトルを取り出した。困ったなーと、珍しく頭の中で文字通りつぶやく(もしかしたらぶつぶつ言っていたかもしれないが分からない)。これでも一応、自分はノイズトラックメイカーで、海外の人ともやりとりしているし、それに自分でも最近ようやく結構おもしろいかなと思えるものができてきたつもりである、昨日のコンピもそれなりには面白いはずだ。
しかし。昨日の梅田展示、あれはごくたまにだけど物凄いジャンクなノイズがある。それに今の部屋、あれはデジタルノイズだ。テクノミニマルという2000年に出てきた表現の、もっとも洗練されてポップなあり方だ。実際、そんなことを考えている目の前を中年の男女が通り過ぎながら「あれはわかりやすくて良かった。ああいうの良いよね」と言っている。うるさいかどうかではなく、テーマと場所に一致しているのだ。それに内容は今できるものの中でもかなり洗練されている。もちろん例えばインキャパシタンツのライブに行けば耳鳴りがそのあと何時間も続いたりするのだから、そういう音圧ではない、とはいえ多くの人が体験できるものとしては上質だ。毛利梅田堀尾、その展示を思い出そう。世界で戦っている奴らの作品があったということか。
それに、と正面に展開しているガラスのピラミッドの中にあるターンテーブルの森を眺める、手前には学生たちがのんびりしている、これもノイズだ。これは、つまりこの芸術祭は、啓蒙ではなく、最先端が受け入れられるような形で、上質のまま置かれているのだ。



困ったな。



トオン・カフェを再び訪れたのは夜7時くらいだった。まるで遠足の帰り道のような疲労とともにバスで戻り(実際、バス停から一緒に乗車した方は寝ていた人もいた)、たまたま通ったとんかつ屋に入ってロースカツを食べる。ゲストハウスに戻り、コーヒーを飲みPCを取り出してSNSに書き込み、メールチェック。林さんから「クールだな」という返事が来ていた。ベッドを見ると、やはり簡易なベッドメイクがされており、荷物も若干移動している、ということで、むしろ今度はPCは置きっ放しでも大丈夫そうだ。着替えをして外出。
ゲストハウスの人に聞いて、今度は川に沿って南下し、中島公園方向へと歩く。途中で道が途切れ、右へ曲がるとススキノへ出た。昨日と同じルート。南に向かう。店内に入ると、またコーヒーの、違うブレンドのものを頼む。タバコをいただく。昨日教えてもらった配分が参考になったことをお礼。市立大がもう3日前のことのようだ。次はアジアンミーティングがあって、それを目当てに来る人がいるかもしれないという話。毛利さんのは良かったと言い合う。しばらくしたらお客さんが増えてきて、出かけることにする。テニスコーツのライブだ。


ススキノを北上し、街中の大風呂敷を見つける。さらに大通近くで芸術祭仕様の市電に遭遇。東急ハンズを探してうろうろし、ようやくOYOYOを見つける。雑居ビルの上階、その半分ぐらいがライブ会場兼バー、バルコニーもある。50人入るといっぱいになりそうなイベント会場というべきだろう。
うろうろしていたせいで、高橋幾郎さんの演奏の中途から入場。ドラム一つ、足音、声だけでビートの分割とレイヤーによる複雑なリズム構造の変容が展開する。間と複雑さの混合具合が独特だ。3分くらいしか見れなかったけど満足。
しばらくすると中途休憩ということで、やはり喫煙所を聞くと「バルコニーで」と言われる。出てみると、それなりの広さの屋外で、灰皿もあり、タバコに火をつけて煙を吐き出し中の方を振り向くと大友さんがいた。これほど朦朧としていて緊張など感じることもない状況は稀なので、気安く声をかける。「リツイートしてもらってるんですけど」というと、名前やら職業やらを聞かれるが誤魔化す。とりあえず元気そうなので、まあいいんじゃないかと思う。


後半。池間由布子という方を始めてみる。実際は演奏前から、ノートを手にして会場後ろ側をうろうろしている女性がいるなと思っていて、スタッフが何かバタバタしているのかと思っていたのだがその人だった。歌がうまい、あと変な曲を作っていて、同じフレーズだけでできている曲があり、アコースティックギターなのに後半次第にシューゲイザーのように盛り上がっていく。あとで調べるとそれなりに有名であることが知れるのだが、いきなりみるとぽかんとしてしまう。


会場と演奏と客席を見ていて気づいたことが一つあり。それは皆しずかに聞いているということだ。アコースティックライブだから、それでもいいのかもしれない、でもアコースティックギターでも複雑なリズムを作る人はいるし、それはそれで音楽家の快楽であり、客と共有したい(メロディや歌詞とともに)点かもしれない。だとすれば多少の揺れはあっても良い。腰と足を、分割される時間と時間の隙間で。踊ろうか。と。
多少変だと思われてもいいので、だからしばし体を揺らした。PCを置いてきておいて良かったなと思う。



終わったあと、雑然とする(この辺りは高円寺かそこらのイベントスペースとなんら変わりない)会場で、バルコニーで一服しながら、ツイッターを介して連絡しつつ遂に、札幌国際芸術祭非公式とじっさいにサムズアップを交わす。椅子に腰掛けてしばしお喋り。この芸術祭は、まさしくその人物が支えていると言ってもいい。いや実際には無数の非公式に支えられているのかもしれない。その中でも自ら矢面に立っている、だから個人的にはもはや伝説上の人と出会う。この芸術祭は予想以上に先端的であるという話、毛利さんの作品の素晴らしさについて、また芸術と公共性の話などをする。よく笑いよく喋る方で素晴らしかった。
物販で池間さんがいて、すごかったというと東京で活動しているという。チラシを一枚だけもらう。これだけでこの人は活動しているようで、逆に驚きを覚えた。
疲れたし眠いので帰ろうと出口に行くと、今度は非公式氏と大友さんが一緒にいるところに立ち会う。隣に立つと大友さんはでかい。公式と非公式で話し合う企画とかすればなどゲラゲラ笑っていて(その後、どうも22日にその企画ができるらしい)しばし話したのち、挨拶して会場を出る。彼らにとっては、ごく沢山ある状況の一つなのだろうけれど、なんと伝説のような場所に立ち会ったのだろうと思う。帰りの道ではいつものように道に迷った。



札幌国際芸術祭おぼえがき6 備忘録

備忘録


9月6日水曜日
支度をして外出する。8時ごろ。これから12時ごろの便で、成田から新千歳へ。LCCの利用は初めて。そういえば成田までの交通費や新千歳から札幌までの交通費を準備していなかったと思い出す。駅改札で、予定分の額をICカードにチャージ。これで使い切って帰ってきたい。
まず中途で、京成スカイライナーで成田。スカイライナーは本数が少なく、3本のがせば飛行機に間に合わない。無事に切符を購入できたがICカードは使えないと言われ、予定分が無駄にチャージされたまま札幌へ行くことになる。約1時間ほど。成田でサンドイッチをたべる。
成田では問題なく通過。予約した番号を打ち込むとレシート一枚が出てきて、これが搭乗券だという。飛行機はエアバスという感じで、90分で新千歳へ着く。飛行機の中でガイドブックを読んだ。一つだけ、普段東京でパフォーマンス終了後はなかなか話しかけにくい音楽家や作家の人たちと、どうせ札幌なら気楽に話しかけてみようと目的を決める。あと、つまらなかったら詰まらないということにした。


2時。まず空港で牛丼屋に。空港で芸術祭のポスターを見て、現地入りしたことを実感する。新千歳から札幌へ、また移動。チケットを窓口で買うと、ここでもICカードは使えませんと言われる(実際は指定席でなくても良かったことは、乗車してからわかった)。チャージした朝の時間はなんだったのかと思う。
札幌駅。北口らしいというので北口に行くと天井に大風呂敷が垂れている。こういう光景は、実は東京では見たことがない。しばし無駄に歩き回り、案内所で地図をもらう。歩いていけますか、というと、行ける、と言われたので、行くことにする。
駅から地上へ。まずICカードに費やしてしまった現金のために銀行へ行った。午後3時だ。



目抜通りはほとんど東京と変わらない。チェーン店も多い。スタバもあるし、まるで普通だ。あえて言えば、人々の頭髪の色が、染めている人は少ないようで、黒髪がほとんどである。あとは都市部ということで変わらないだろう。


大通りから電車に乗り、資料館へ向かう。乗り場でぼんやり左右を見ていたら、テニスコーツのさやさんが知人?と一緒に乗りに来ているのが見えて「あ、居る」と思うが、そう思う間に駅へ。駅の出口の何番がいいのか地図を凝視していると、またさやさんと知人が背後を通る。着いていこうかと思ったが、どこに行くのか知らないのでまた地図へ。
地上から資料館へ行く。少し遠くをテニスコーツが歩いていて、「あれやっぱり」と思うが、足が速くて、その姿は遠のいていく。大通公園では出店の準備がされていて、もう数日でお祭りらしい。



資料館は趣きがあった。
資料館でパスポートを購入。NMAアーカイブを見る。まだ予定があるけれど、とりあえずとということで年表を開く。多い。人名一覧にかえる。1983年から現在までのアーカイブがあるということに衝撃を受ける。小杉武久のライブ演奏を見る。飛ばす。マークレー、飛ばす。他に、ボブ・オスタータグのカルテット。見入る。サンプリングを生演奏に乗せるというより、サンプリングが全体を支配していて、生楽器はその中に入って演奏している感じだ。サンプリング演奏として初めてみる形態。非常に重要なアーカイブであると感じる。特に音楽を学んでいる学生や演奏家にとっては垂涎のはずだ。そういう人は来た方がいいと強く感じる。


階段で2階へ。テニスコーツが居て、何かお話中。奥に行くと札幌文化アーカイブ調査、手製の新聞発行所のさかな通信。そして北海道の熊の彫刻の展示。
展示は圧巻だった。見ると沢山の熊の彫刻、その一つ一つが少しずつ違う。中には劇的に抽象化されたものもある。解説は一切なし。展示棚の上、机の上に50も30もそれぞれ置いてある。裏へまわると次第に立ち上がる熊も登場し、鮭をくわえているばかりか、二足歩行で鮭をぶら下げているものまであった。具象と抽象と笑いの間を行ったり来たりしているというべきか。
後で解説を読むと、これらは現代的な規格化された「お土産の木彫りの熊」以前の、職人によるものなのだという。特にアイヌの人々が作り、中には際立って抽象化された(ほとんど多角形にしかみえない)ものまで、個人の趣向で作られることになった。近年それが再評価されて、こうした展示に至ったのだという。質の高い展示だと思った。時間があったら来なければとおもう。



階段を降りるとSachiko Mとすれ違った。本当に札幌に来ている。


大通駅へ戻り、目抜き通りを南下。日が落ちて夜になり、方向音痴としては迷子になりやすい環境だ。札幌は碁盤の目になっていて、どちらを見ても同じにしか見えない。位置情報があれこれのアプリに転送されるのが面倒なので、グーグルマップは使っていなかった。ついに使うときだろうか。



まずドミューンを目指し、ススキノあたりを地図通りに歩くと、ポスターを見かけて立ち止まる。ゲームセンターのようだが7階にあるらしい。エレベーターで上がると梅田哲也展示だった。金士館ビル。暗い。パスポートも携帯ライトで照らされて確認される。何人かガイドの方がいるようだ。こちらですと案内されて中へ入る。


すでに部分的に写真で見ていたが、写真から想像されたのは冒頭だけで、途中からは全く別物だった。
個人的に理解したかぎりでは、これは音響空間を基本に扱った作品のように思えた。目には見えない、音で成立する空間が素材として扱われている。歩くと音の距離が変化し、また距離を無視した音がノイズとして響く。視界は暗さのために部分的にしか役立たない。見えるものと聞こえるものの空間の位相がずれているようだ。
いくつもの水滴の音も撹乱された空間をおもわせる。置かれたスピーカーや電話などのオブジェに惹きつけられていると、暗闇の奥で動く影があり、これも展示かと思ったらガイドさんで、親切に窓の作品について解説してくれる。その間も壁をコツコツとあちこちから叩く音がしており、不気味さが極まったが面白かった。また最奥部に置かれていた自転車になぜかゾッとする。まるで黒沢清のホラー映画の廃墟のようだ。
出方がわからず、ガイドさんに案内してもらってようやく出た。大作だ。




再び地図を見ながらススキノを歩き、派手なビルにポスターを発見する。中へ入ると完全に飲み屋街の建物で、地下には実際に居酒屋が並んでいるようだ。その地下の階に展示があった。
ドミューンはピンク色の部屋、ターンテーブル、そして山川冬樹の映像作品。とりあえずキャバクラだったらしい空間であちこちの椅子に座ってみて、チェックインが予定より遅れそうなゲストハウスにその旨の電話などをかけたりしながら、ふんぞり返ってみたりする。奥に山川作品があり、見ていると強烈に肌を撫でられているような気配があり、そのまま見入ってしまう。置かれてあるドレスと仮面と、スクリーンをなんども見比べた。



隣は会館と酒場の出店が一つずつ。どちらもエロティシズム全開の博物学という趣きで、たくさんの女優のグラビア、ヌード絵画、炭鉱写真などが配列され、生・聖・性そして死が並置された異様な空間となっていた。どれもが過去のものばかりでイマイチ興奮しないかもと思っていると、時折、最近のグラビアの切り取りがあって抜かりがない。特に、時代を思わせるややふっくらした色あせたグラビアの間に「スリムビューティーハウス」の釈由美子のこれでもかという細い体の扇情の形式が貼り付けられているところは、思考というより感覚の回路を混乱(という刺激)させられる。出口付近にも最近のものがあるようで、時代的な統一感を欠いたエロティシズムの博物学だろうか。
そのさらに奥に秘宝館のドキュメント映像があり、しばし眺める。



まだ終わらない。さらに上の階にもありますと言われたのでエレベータで上階へ。端という方の展示があった。すでに情報量過多だったが、手前の展示室を抜けるといきなり冷ややかな空気に目が冴える。
気化と液化を循環させるという作品は、だが何よりも儀式的なおぞましい雰囲気に収まっていた。まるで帝都物語に出てくる機械のようだ。薄暗い広大な部屋と装置、黄金色の照明などによるのだろうか。こうした雰囲気は嫌いではないので、しばし眺めたり写真を撮ったりする。



まだ終わらない。ビルを出て、とりあえず直進する。中華屋があったので入り、味噌ラーメンを注文。一服。SNSなどをチェックする。カウンター席の人が食べているレバニラにライスの組み合わせがひどく旨そうだ。
食事を終えて、次の目的地に向かうところで完全に道に迷う。




ススキノで、堀尾展示に完全に打ちのめされる。直感で「これはノイズだ」と思う。これについては、また書くこともあるかもしれない。



夜8時頃、トオン・カフェにたどり着く。コーヒーと喫煙。明日の予定などについての意見をもらう。木彫り熊の本なども見せてもらう。電車でゲストハウスの最寄駅へ。駅から宿まで再び迷う。9時過ぎにチェックイン。一階のバーではギターを弾き歌う若者たちがいた。二階へ上がり、二段ベッドの一段目をもらう。
共有スペースを覗くと誰もいなかったので、パソコンを開く。フェイスブックなどに書き込み。メールチェック。ノイズ専門レーベルのハーシュノイズムーヴメントから、外套名義の音源が収録されたコンピが出ていた。深夜に近くのコンビニに行き、飲み物と軽食を購入して歩きながら食べる。まったく札幌だ。