札幌国際芸術祭覚え書き 備忘録のあと(2)

2017年11月4日


普段降りたことのない青山一丁目駅を出ると、大通り沿いに進む。なぜか人影はほとんどなく、すでに夕刻とはいえ曇天でいささか不気味な感じがしなくもない。大通りも車はほぼなく、ひたすらに強風だけが吹きつけてくる。
ただ直進するばかりの道を、ようやく右折し、さらに脇の道へと入っていくと、そこにドイツ文化センター/ゲーテ・インステトゥートがあった。



会場は、実のところホールというか、ごく普通の大き目の講堂といっても良いようだった。奥にステージがあり、あとはパーティにも講演にも使えるような場所だ。扉を開けて中に入っても、まずすぐに思ったのはそのことで、どことなく音の響きがそのような施設の音をしている。


すでに演奏は始まっていて、ステージ上には巨大な鉄製の筒状の機械があり、台座に横倒しで乗っかっていたそれがグルグルと回転しながら不穏な機械音を立てていた。その手前に若々しい体つきの青年が立っていて、奇妙な銃のようなものを持ち歩き、銃口めいたその先端をあちこちに向けている。薄暗い会場にはレーザーが走り、人々の間をその銃口らしい先端が向いていく。どこか殺意を感じるような気配だ。
何より、会場に人が多い。それも老若男女と言って良い、中・高年の男性も女性もいれば、若い男女もいる。どちらかといえば個人的に目を引いたのは中高年の男女で、音圧と音響で心身を威圧するノイズインダストリアル系のパフォーマンスにこうした人々がいるのは珍しい。しかも、髪を整えスーツを着た紳士風の老人の姿も見える。
これがドイツ的な文化風土の現在か、と心中ひとりごちていると、先のうろついていた青年の銃口めいた機械から鼓膜に衝撃があるほどの破裂音が響く。一度、二度、間をおいて、一度、二度。その度に会場は静まり返り、無遠慮なステージ上の回転する機械ばかりが轟音を立てている。見るからに暴力の景色を思わせるその姿に、さらに何度か炸裂音がして、パフォーマンスは終わった。カイライバンチという、現在東京で最も異様なインダストリアルノイズを展開する自作楽器のアーティストだ。



正直、この企画がどのような経緯でこうなったのか、あまりわかっていなかったし、書いている今もわかってはいない。ただ、ドイツ文化センターの入り口に展示スペースがあり、そこにカイライバンチとオプトロン、ベルツらによる、メディアアートインスタレーションが展示され、そのライブパフォーマンスだということは知っていた。冷たい機械音と由来のない殺意を感じさせたパフォーマンスにひんやりしながらホールを出ると、次はそのインスタレーションを用いたパフォーマンスが行われていた。


何台ものアナログのテレビが積まれ、灰色の画面を映し出してはバグのように乱れていく。その向こうには大型のラジオ受信機がチューニングを合わせては外れていき、飛び交ってはいるが目には見えない交信の混線のような光景が続いていた。テレビはVELTZというアーティストのパフォーマンスで、後でアート&スペースここからという場所でギャラリーを運営している人物と知れるのだが、モノクロームな世界観の美学というべきだろうか。ラジオは最近そのベルツレーベルから新作も出したラジオ・アンサンブル・アイーダという作家のパフォーマンスで、どちらも極めて正統的なメディアアートのライブパフォーマンスだったというべきだろう。激しいノイズと点滅がリズムを作りながら逸脱して蠢いていく。重量感のある音楽と行為の間の時間が推移していった。
すっかり魅惑されて見ていると、ふと隣に立っていた紳士から、「最近のロックはこういうものなのかい?」と唐突に尋ねられる。不意を突かれたが、「たぶん違うと思いますよ」と笑いながらいった。その答え方が良かったのかどうなのかはその後もしばらく考えてしまったが、なかなか難しい問いだと思った。



再びホールへと戻ると、照明の落ちた会場にはたくさんの人がいた。話し声もするし、黙って待っている人もいる。ステージ奥のスクリーンに映像が映し出され、その手前にいつの前にか大柄な男性二人の人影が現れると、雑然としたノイズと金属打楽器の響き、電子的なパーカッション、そしてうなり声のような言葉が絡みあっていく。


ブラックスモーカー・レコードに興味を持ったのは、もうかなり前だった。一時期はそのCDRを探してあちこちのレコード屋に行き、ごくたまに入手できる作品にはどれも魅了された。カットアップというべきか、手押しのサンプリングによるコラージュに言葉、引っかかるようなノイズとパーカッションはどれも通常考えられるヒップホップの枠組みを超えていたし、ハードコアとも、アバンギャルドとも違った。レベル・ミュージックという言葉を知るのはもっと後で、実のところほぼ同世代である彼らの音楽に、その文脈にこだわらない一作ごとに放置していくようなあり方に、非常に共感することが多かった。
ついに目にした彼らの姿も、それに外れはなかった。演奏にののしりながら声を上げ、その場でパーカッションを手打ちし、金属を鳴らし、喚く。それだけで問題はない。
それだけで問題はなかった。理論や傾向や対策は、さしあたり後でいい。




非常に興奮して、会場からまた入り口へと戻ってきた。するとJu Seiの二人がいて、声をかける。Seiさんは髪型を変えたばかりで、それを指摘したらトコトコとどこかへ離れてしまった。怒られたようだ。その後も、この企画は一体なんなのと聞き、よくわからないなどと話していると、展示付近でのパフォーマンスが始まり、ヘアスタイリスティックスが演奏していた。たくさんの機材、特にアナログシンセにサンプラーエフェクターで、複雑にレイヤーされたループが形を変えて進んでいく。3重のループは独特な力があり、ノイズでも現代音楽でも、それ以外のどうでもいい音楽でもあるようで、しばし聞き入る。ふと上を見ると、美川師匠と呼ばれる人がいて、じっと聞いているのが見えた。




喫煙所は建物の入り口しかなかったので、外へ出ると小雨で、灰皿の周りにはたくさんの人が立っていた。前後するがブラックスモーカーの人もいたし、その後、作家のbikiという人とも初めて会って話をした。もう以前からツイッターでは知り合いで、まるで僕が現実の存在であることが信じられないという風情で会話をして面白かった。
ホールへ戻る。ステージ上には、蛍光灯を使うオプトロンの演奏と、若い女性の音楽家がコンピューターとシンセサイザーを操作しようとしていた。
テンテンコ。このチームはズヴィズモというユニットだ。



この演奏は、この日の白眉だった。インプロヴィゼーションでありエンターテイメントであり、アバンギャルドでありノイズでもある。オプトロンが激しい電子雑音とともに即興で演奏を始め、そこにテンテンコが、凄まじい音量のハンマービートを打ち込んでいた。構造はほぼそれのみ。ビートは定期ループではなく、常に揺らぐようなタイミングで攻撃的に打ち込まれる。ジャーマンロックやニューウェーブと言われた音楽で聞いたことのある構造の、さらに鮮度の高い、凶悪なバージョンというべきだろう。媚びなど一切なく、ただひたすら雑音にビートが叩きつけられ、それがある種のエンターテイメントとして成立していく。速度のあるオプトロンが休むことなく形を変え続け、飽きさせることもない。仮に2017年のベストのユニットを挙げるとするならば、おそらくこれであろうという音楽を作り出していく。
テンテンコがノイズをやっているということは、噂と名前だけは知っていた。特に美川師匠とのミカテンというユニットは聞いていたし、それはまさにノイズだったが、このような音楽として今あるというのは知らず。それはむしろ非常に爽快というか痛快な音楽になっていた。ふと横を見ると、まさに美川師匠が立っていて、腕組みをしたまま身じろぎもせず聞き入っているのが見えた。とりあえずそれは見なかったことにして、終わった時に歓声とサムズアップをする。まだまだ新しい音楽はある、それ以上はとりあえずどうでもいい。




演奏が終わった後、あまりに良かったので物販へ行くことにした。あえて言うなら、まさに先端的な、あるいは高純度の文化的企画で、国際水準といって恥じない。とくにズヴィズモのCDは出ているのだろうか、あったら聞いてみたい。


と、近づいてみると、会議用の机らしいものに置かれた段ボールに、CDRシリーズというのがあるというので入っていた。どれもテンテンコのものらしい。最新作はこちらです、というので見ると、札幌国際芸術祭のノイズ電車の録音のものが置かれていた。
迷わず、それを買うことにした。付属で大きな用紙にびっしりと書きこまれた紙がついてきて、ちらりと見ると、アジアン・ミーティングでの参加の緊張や興奮が綴られているようだった。多分何かを得たのだろう。


受け取った品を仕舞おうとしていると本人がいつの間にかやってきていて、ありがとうございます、と言われた。とても良かったです、と言う。あらためて親指を上げ、お互いお辞儀をする。そしてその場を離れた。