Letter from Samarinda

日本の目から見ると、ノイズは今や日本ではなく世界中に広がっている。特に、インドネシアのノイズはよく知られていよう。特にセンヤワ(ドゥームとトライバル)と、ハーシュノイズのコレクティブのジョグジャ・ノイズ・ボミングである。今やジョグジャカルタを中心としてインドネシアはアジアにおけるノイズのメッカであると言ってもよく、日本のノイズすらマランのレーベルから出ている。そして今そこに、新たな波がつけ加わろうとしている。ボルネオのサマリンダからであり、このミックスはそうした新しい波を示している。


コンパイルしたのは、私の友人であるテオ・ナーグラーだ。すでに100以上のリリースを誇り、レーベル、ハーシュノイズムーブメントを含むレーベルから音源を出す一方で、シューゲイズやポストロックに沿ったミックスもしているし、またフィールドレコーディングや、展示でもサウンドアートを行っている。パフォーマンスでは過激で、植物を基材と接続したサイバネティックな趣から、無骨極まりないハーシュノイズ ーハーシュノイズウォールー の波を作り出すところを見ることができる。その身と骨を削り取るようなノイズの連続は、変容しつつある今の世界のノイズの最前線にいると言えるだろう。それだけでも注目に値する。


だが、彼は孤独ではない。すでにサマリンダには一つのシーンがあり、実験的で規範の先へ先へと進もうとする人たちがすでに十分に鍛錬を終えて待っている。彼らは、それぞれの実験の中で、従来の欧米のプレイヤーたちが目移りばかりする機材ではなくーかつて大友良英は、ジョグジャのシーンについて、その機材が日本のそれといちじるしく異なっており、しかしそれゆえの魅力にとりつかれて自身で演奏の訓練したことを告白したことがあるーパンクトハードコアと都市の喧騒と自然の中で、私たちは聞いたことのないサウンドと歌の融合を耳にする。例えばジェリタンはハードコアのボイスから圧倒的なノイズの持続に耐えることができる稀有な才能だ。サラーナは、美術作家たちによるノイズプロジェクトで断片が融合し、また断片化していくさまを描き出す。サブリナは強烈なジャンクサウンドに歌を注入するだろう。空気を引き裂き続ける振動の中で、彼らは歌を見出す。
少しだけ寄り道を許してほしい。ノイズと歌は、日本では果たそうとして果たせなかった出会いである。ノイズは、本質的に音楽から音を引き剥がし、振動だけ、波だけを取り出して圧縮したものだった。それは先日亡くなった小杉武久やジョンケージから姿を現し、そしてジャパノイズを経て90年代には音響という振動だけの演奏群に到達する。そこにおいて、音楽は沈黙し、静寂に至った。彼らは、もしかして歌を求めていた彼らは、また歌を求めてさまようだろう。批評家の大谷能生は「もう一度再び歌うために、僕らは音の底へと降りてい」ったのだという。そう、だから、ノイズと歌は、本質的に相反するものであり、彼らは歌を求めながら物質の中へと消えていった。
私たちは、あるいは私は、再びその出会いを、ここに見出すだろう。ジャパノイズを経て、ジョグジャからソマリンダへと到達したノイズの広がりは、彼らの元で歌を取り戻すのだ。そのあり方は、一様ではない。実際、そこではハードコアな絶叫がノイズに、ノイズがメロディに入れかわり、時にノイズがメロディを押しつぶし、その中で彼らは歌うだろう。
今や千々に乱れたその出会いを、私たちは聞かなければならない。祝福しよう。


https://www.mixcloud.com/Seratus_Ribu/theo-nugraha-seratus-ribu-guest-mix-5/

「あの日」からのタイムライン

タイムライン@東京芸術劇場、3月30日。演出 藤田貴大、音楽 大友良英、振り付け 酒井幸菜、写真 石川直樹、衣装 スズキタカユキ、出演 福島の中高生


市街地が描かれた舞台で「あの日」以降の1日が描かれる。街の上を行き来する彼女たちは雲のようでもあり、具体的な個人のようでもあるところを行き来するようだ。何より感銘を受けたのはその演奏。ほぼ90分間歌と演奏が続き、それを12人のアンサンブルがキープする。さりげないギターフレーズからジンタのような不規則なリズムまで、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、オルガン、リコーダー含む吹奏楽器。最後に強く連打されるドラムの音も印象的で、その音楽と歌が、舞台である市街地の現在と未来を往還させていく。


印象的な場面は多くあるが、特に中盤、ゲームの中で当たった一人が自分の名前の由来をいうところで、ダンスに合わせて(それを即興コンダクションに見立てて)演奏していくところは(最後にそれが群舞になっていくところまで)、プロも超えた演奏が繰り広げられていたと思う。
付け加えれば、ダンスと音楽、振り付けの関係は、しばしば音楽が先にあるとされるし、時折ダンスと即興が並行していくパフォーマンスもある。そのなかで、即興的なダンスがコンダクション(身振りが指揮)になり、集団即興が生まれ、それが群舞へとひろがっていくのは、とても価値のある稀有な試みの瞬間だったと思う。いいかえると、ダンス&振り付けと音楽が、その場で相互に刺激しあうようなダイナミックな形態だった、ということになる。で、もしかすれば、というかたぶんこのミュージカル劇の全体が作り方もふくめて同じような性格をもっているように思った。だから終わったあと、余韻もあるけど、清々しくもあった。


他にも即興的に展開されるシーンが少なくなく、それは上に書いたようなまるで彼女たちが雲であるという印象、うつろい変化して、なおそこにたゆたっている雲であるように思わせた。最後、その市街地の上の雲たちが、3月の寒気から歓喜を導き出して唱和していくその歌と演奏は、いうまでもなく終演後も余韻を残してなお漂っている。



もしかして関係者の人も多かったのかもしれないけど、見ず知らずの僕のような人にも何かのインパクトを残すものになっていて、参加者は、それを大手に振るうかどうかはさておき、秘かな誇りにしてもいいように思う。感動というか芸術的感動というべきだろうか、そういうものをつくりだす喜び、というのだろうか。(とはいえ、これは小難しいものじゃなくて、創作物にはどこにでもあるもの、ロックとか漫画とかにもある、そういうものだと思う。)その点も含めて、意欲的な内容と、建設的な成果を伴う、優れたプロジェクトだったと思う。それと、藤田さんや大友さん、石川さんは今も、これまでもたくさんの作品を手がけていて、その熱狂的なファンになるべきかどうかはわからないけど、これをきっかけにそれを見てみたりするのも良いように思うし、もちろんしなくても問題はない。
とても楽しかった。



2016予告動画
https://www.youtube.com/watch?v=yf0yh3EUqCs




札幌国際芸術祭おぼえがき 備忘録のあとで(3)

フェイスブック、2月21日の投稿。原文以下。一部補足して和訳)


こんにちは。昨日は、四谷三丁目(国際交流基金アジアセンター)でのDJスニフ、ユエン・チーワイ、細田成嗣、メイヤ・チャン、大友良英によるトークとディスカッションに参加してきました。
内容は本当に興味深く、前半はアジアンミーティング2017について、後半は、台北と台南で開催される予定の同2018についてのものでした。また、質疑応答の時間では、「ノイズ」と「即興」の(地域での)違いについて、質問もしました(簡単に言えば「台湾での即興音楽はどのようなものか」という問いです)。
その質問についての答えも、大変に興味深いものでした。おそらくメイヤ・チャンが答えてくれたのは、「即興とはある音楽のジャンルではなく、ある一つの方法論であり、それは時間経過の中で音を組織していくというものであって、それは音楽以外でも、サウンドアートなど幅広いところで見られるものだ(と理解している)」というものでした。またチーワイは付け加えて、彼の過去のリサーチで台湾の作家Dinoとの対話で聞いたものとして、台湾の若い音楽家の中には、あるレコードショップを中心にして即興演奏をしているものもいるし、必ずしも即興演奏という形態を取っていない即興的な音楽や創作をしている人たちもいる、と説明してくれました。
そう、確かに、実際自分自身も、そうした「即興」のあり方を知っています。札幌国際芸術祭2017の中の多くの展示で、そうしたあり方を感じたりもしました。おそらくこの問題については、これから何度も何度も立ち戻ることでしょう(日本ないし東京の実験音楽シーンにおいては、「即興」というのは極めて重要だからであり、ですが一方で、それにこだわる、特にジャンルとしての即興音楽にこだわるべきではないように考えています。むしろこうした考え方の違いと共通点を、お互いの対話のスタート地点として捉えていくのがいいように思うのです)。


非常に興味深いフェスティバルのレポート、洗練された講演、そして熱のこもった議論でした。どうもありがとう。




*付記
これはフェイスブックに記した前日のイベントの感想文で、また読まれるようにこの中にも幾つかの主張のようなものが含まれている。全体について触れるのは錯綜するので避けたいが、前半では札幌国際芸術祭をピークに、非常にダイナミックな集団即興演奏としての形態をとったアジアンミーティング2017について、キュレーターである二人とツアーに同行した批評家細田氏による報告と討論、また、遡ってこれまでのアジアンミーティングの足跡も参加者全員で論じられた。そののち、後半では今年行われる予定の台湾でのミーティングについて、開催予定場所であるTCAC(台湾現代芸術センター)のメイヤ・チャンにより、これまでの同組織の活動についての解説や、アジアンミーティングを招聘する意義といった点をメインにトークが行われた(なお今年度で国際交流基金の後援による開催は終了し、アジアン・ミーティング・フェスティバルは以前のようにいわば自主企画となる)。「台湾はこれまでアジアと欧米に対して開かれているし、開明的な政治のあり方なども含め、もしかしたら日本より進んでいる、私たちが目指すべきかもしれないものとして、今年は台湾でやります」という旨のスニフ氏の解説は、非常に力強いステートメントで頷くところの多いものだった。


質問については、文中にある通りだが、実際、ノイズやサウンドアートの盛んな(グラウンドゼロなどポストモダン音楽もすでに受容されている)同地で、即興がどのようにあるのかという問いを立て、しかしその答えを聞いた時、聞きながら大きな納得と賛同と、そして戦慄(?)と驚愕が同時に走ったことは記しておいていいかもしれない。実際、すでに知っている範囲でも音楽から身体技芸まで即興的要素の強い芸術が多く見られる台湾においては、即興は音楽ジャンルではなく、多様な領域に広がる時間を組織するための大きな方法論なのだ、という答えは、まさしく日本の即興論と共鳴し、場合によっては先を行くと言っていいかもしれないものだろう。この点についての一概な答えや解説などは避けたいが、現在の日本(や東京)の即興音楽において近年では装置や機械を取り込んだ独自の展開が見られており、むしろそうしたところにおいてこそ、上の答えを共有するような、国境を超えた共通の議論が成立するかもしれない(こうした点については、後日書くつもりでいるスペース・ダイクでの即興によく見ることができると思われるし、すでに去る2月17日には台湾のアリス・チャンを招いた演奏も行われ、空間や機械群を用いた多様な即興であったことも付記しておこう)。


今や即興は単に音楽の特権であることをやめ、より広い領域に拡張する変異の時期にあるかもしれず、そしてそれゆえにこそ、そうした領域の垣根や因習をこえた議論が起こりうるかもしれないということは、率直にいってきわめて頼もしいことのように思えた。あえて言えば、退廃することのない新しさの感触というのだろうか、そうしたものを掴んで、会場を後にしたことを付記しておきたい。



***
from Facebook, 2/21/2018

Hi, friends, yesterday, I attended the meeting of Asian Meeting Festival at Yotsuya 3choume, talk and discussion by dj sniff, Yuen Chee Wai, 細田 成嗣 (Narushi Hosoda), Meiya Cheng,and 大友 良英 (Otomo Yoshihide).
Sessions were really interesting, first AMF2017, second, 2018 at Taipei and Tainan. And I asked one question about the difference of "noise" and "improvisation" (or how "improvised music" are in taiwan).
The answer was also interesting, maybe-Cheng said-'"improvisation" is not a genre, but a method to organize sounds in time-passing', and we could see it in various kind of arts, not only "improvised music", but also sound-art etc. And Chee Wai explained some younger generation play improvised music around some record-shop, with quote his discussion with Dino in his past research.
Yes, I know it, these kind of forms of "improvisation". In SIAF2017, I also felt the same way of improvisation in many exhibitions. Maybe i will think these problem again and again (in japan or tokyo experimental music, "improvisation" is really important, but we should not stick to it, especially as genre, i think. Rather that idea is a start-line to talk with each other).
So interesting reports, cool speech, hot debate. thanks.






ハーシュ・ノイズ・ウォールから


ハーシュ・ノイズ・ウォールという音楽がある。ある時期からノイズ・ミュージックのコミュニティでは有名で、fbにはすでに同名のグループもできていて、日夜、新作が更新されている音楽だ。


内容は、ハーシュ・ノイズが文字通り壁のように塗りたくられ、連続するもの、と言っていい。そのままである。中にはそのノイズ・ウォールの内部に、別の持続音が仕込んであり、ハーシュノイズの変化によってあらわになるものもある。またいずれも10分から20分以上の長尺のものが多く、ひたすらにハーシュノイズを満喫するには最適であるだろう(なおここでのハーシュノイズというのは、バキーンとかズバババとか表現されうる、電子的な雑音を広くイメージしてもらえれば間違いはないだろう)。
このハーシュノイズウォールは、Vomirというアーティストが始めたとされている。実際に「Harsh Noise Wall」というタイトルの曲を作成しており、その後も数え切れない膨大な数のノイズウォールのリリースを誇る。すでに述べたようにその音楽はすでに多くの影響を与え始めており、各国あるいは全世界で同様の作品が作られている。



少し視点を変えてみよう。この音楽に接したのは、外套というユニットとして活動をし始めた去年の春頃からだ。海外のノイジシャンと連絡を取り、彼らの作品を聴いていくうちに、名称が付いているのに限らず、ノイズウォール型の作品が複数あることに気づいた。その送り手は、英国、米国だけでなく欧州全体、さらにインドネシアを含めアジア全域に広がっている。


しかし、とはいえ、それらについての評価判断は、まちまちである。実際、ひたすらにハーシュノイズが続けられていくばかりのトラックは、率直に言って冒頭の十数秒聞けば、ほぼ内容が分かってしまうものがあったし、また日々更新されていくノイズシーンのトラックを追うのに、そうした構造を分かった上で20分以上聞き続けるのはいささか困難であったというところもある。また、とくにジャパノイズを聞いてきた側としては、ほとんどメリハリがなく、音色の工夫もないままに続くだけのトラックには(あえて言えばほとんどホワイトノイズを垂れ流しているだけのように聞こえるものも、かなり多いと思われる)、やや否定的な判断をせざるをえないというのが正直なところだろう。



にもかかわらず、改めてこうして書いているのは、自分で試作を試みた故である。実際にノイズウォールを作ってみると、どうなるか。
結果は、実作としてははかばかしく行かなかった(そもそもハーシュノイズを制作していないというのも一因だろう)が、発見もあった。とりあえず2つ挙げておく。
一つには、もし仮に、手を抜かずに10分から20分、みっしりとノイズウォールを作ってみるならば、まずそれは、おそらく多くの人(ノイズに関心のない人)が想像する「ノイズミュージック」になるだろうということだ。
実際、冒頭から遠慮のない爆音と周波数で最後までクライマックスを待たずして投射されるノイズのあり方は、繰り返しだが多くの人が想像する「ノイズ」であろう。また、今描写に用いたように、その形態はある意味でフリージャズの「集団投射」に近く、全力でノイズを出し続けるというものでもある。実際に流通しているハーシュノイズウォールがそのような音楽であるかどうかはさておいて、仮に模倣すれば、そのような作品になるだろうことが予想された。


もう一つは、別の観点から見れば、それはつまり「ノイズ」から「即興」の要素を抜くことである。やや意外からもしれないが、現在のノイズ・ミュージックにおいて即興の要素は極めて大きいものであり、整ったリズムをとることのない不定形でランダムな音の発信や、終わりが予想できない展開といった点は、ほぼすべて、自覚的に「即興演奏」のイデアを取り込んだことによっている。それゆえに、名高いノイズミュージックの多くは信じがたいほどの爆音と広域の周波数のみでなく、混雑し混乱した流動的な様相においても他の追随を許さない過激さを誇っている。
そのノイズ・ミュージックから、「即興」を抜く。あとに残るのは、先にも書いたようにみっしりと詰まったノイズだ。そのノイズが20分近くもかけて聴取者を打ち抜き続けていく。とすれば、その形は、それなりに面白いもののように思えた。




この、即興を抜く、ということが、どういうことを意味するのか、未だにはっきりとはわかっていない。仮に理論的に推測すれば、それはノイズミュージックから「主体性」を抜くということだろうし(少なくとも演奏時の演奏者の主体性はこれまでに比べてあまり必要とされないだろう)、また展開よりも構成に、演奏よりも事前の作曲(音色を作るところまで含めてここでは作曲としよう)に、力点が置かれることになるだろう。また、そうした形態が、仮にノイズに普段は興味のない一般の聴取者にとって、想像しやすい「ノイズ・ミュージック」であるならば、むしろますます世界中でファンや作り手が出てくるに違いない。(付け加えれば、ここでわざわざ「即興」を抜く、ということを書いているのは、即興演奏の盛衰について、もしかしたらヒントがあるかもしれないと念頭に置いているからである。けれど、それがどういうことなのかはまだわかっていない)



とりあえず、こうした問題がどのような意味をなすのかは、まだわかってはいない。個人的には、むしろこれまで散発的に続けてきた、フィールドレコーディングを使ったノイズトラックの作成に、ある種のヒントを得たということぐらいだ。
実際、フィールドレコーディングに即興はない。レコーディング自体が自然の即興の産物であり、それに対してできるのは事後的なコラージュか加工かしかない。主体性など必要もない。ただそこにノイズがあれば、それでいい。と思いながらも、こちらの方法もまだ試行錯誤で、その途上でのヒントとして得たのがこれだった。



(なおVomirは今年の4月下旬に来日し、日本のノイジシャンとの共演も予定されている)






札幌国際芸術祭覚え書き 備忘録のあと(2)

2017年11月4日


普段降りたことのない青山一丁目駅を出ると、大通り沿いに進む。なぜか人影はほとんどなく、すでに夕刻とはいえ曇天でいささか不気味な感じがしなくもない。大通りも車はほぼなく、ひたすらに強風だけが吹きつけてくる。
ただ直進するばかりの道を、ようやく右折し、さらに脇の道へと入っていくと、そこにドイツ文化センター/ゲーテ・インステトゥートがあった。



会場は、実のところホールというか、ごく普通の大き目の講堂といっても良いようだった。奥にステージがあり、あとはパーティにも講演にも使えるような場所だ。扉を開けて中に入っても、まずすぐに思ったのはそのことで、どことなく音の響きがそのような施設の音をしている。


すでに演奏は始まっていて、ステージ上には巨大な鉄製の筒状の機械があり、台座に横倒しで乗っかっていたそれがグルグルと回転しながら不穏な機械音を立てていた。その手前に若々しい体つきの青年が立っていて、奇妙な銃のようなものを持ち歩き、銃口めいたその先端をあちこちに向けている。薄暗い会場にはレーザーが走り、人々の間をその銃口らしい先端が向いていく。どこか殺意を感じるような気配だ。
何より、会場に人が多い。それも老若男女と言って良い、中・高年の男性も女性もいれば、若い男女もいる。どちらかといえば個人的に目を引いたのは中高年の男女で、音圧と音響で心身を威圧するノイズインダストリアル系のパフォーマンスにこうした人々がいるのは珍しい。しかも、髪を整えスーツを着た紳士風の老人の姿も見える。
これがドイツ的な文化風土の現在か、と心中ひとりごちていると、先のうろついていた青年の銃口めいた機械から鼓膜に衝撃があるほどの破裂音が響く。一度、二度、間をおいて、一度、二度。その度に会場は静まり返り、無遠慮なステージ上の回転する機械ばかりが轟音を立てている。見るからに暴力の景色を思わせるその姿に、さらに何度か炸裂音がして、パフォーマンスは終わった。カイライバンチという、現在東京で最も異様なインダストリアルノイズを展開する自作楽器のアーティストだ。



正直、この企画がどのような経緯でこうなったのか、あまりわかっていなかったし、書いている今もわかってはいない。ただ、ドイツ文化センターの入り口に展示スペースがあり、そこにカイライバンチとオプトロン、ベルツらによる、メディアアートインスタレーションが展示され、そのライブパフォーマンスだということは知っていた。冷たい機械音と由来のない殺意を感じさせたパフォーマンスにひんやりしながらホールを出ると、次はそのインスタレーションを用いたパフォーマンスが行われていた。


何台ものアナログのテレビが積まれ、灰色の画面を映し出してはバグのように乱れていく。その向こうには大型のラジオ受信機がチューニングを合わせては外れていき、飛び交ってはいるが目には見えない交信の混線のような光景が続いていた。テレビはVELTZというアーティストのパフォーマンスで、後でアート&スペースここからという場所でギャラリーを運営している人物と知れるのだが、モノクロームな世界観の美学というべきだろうか。ラジオは最近そのベルツレーベルから新作も出したラジオ・アンサンブル・アイーダという作家のパフォーマンスで、どちらも極めて正統的なメディアアートのライブパフォーマンスだったというべきだろう。激しいノイズと点滅がリズムを作りながら逸脱して蠢いていく。重量感のある音楽と行為の間の時間が推移していった。
すっかり魅惑されて見ていると、ふと隣に立っていた紳士から、「最近のロックはこういうものなのかい?」と唐突に尋ねられる。不意を突かれたが、「たぶん違うと思いますよ」と笑いながらいった。その答え方が良かったのかどうなのかはその後もしばらく考えてしまったが、なかなか難しい問いだと思った。



再びホールへと戻ると、照明の落ちた会場にはたくさんの人がいた。話し声もするし、黙って待っている人もいる。ステージ奥のスクリーンに映像が映し出され、その手前にいつの前にか大柄な男性二人の人影が現れると、雑然としたノイズと金属打楽器の響き、電子的なパーカッション、そしてうなり声のような言葉が絡みあっていく。


ブラックスモーカー・レコードに興味を持ったのは、もうかなり前だった。一時期はそのCDRを探してあちこちのレコード屋に行き、ごくたまに入手できる作品にはどれも魅了された。カットアップというべきか、手押しのサンプリングによるコラージュに言葉、引っかかるようなノイズとパーカッションはどれも通常考えられるヒップホップの枠組みを超えていたし、ハードコアとも、アバンギャルドとも違った。レベル・ミュージックという言葉を知るのはもっと後で、実のところほぼ同世代である彼らの音楽に、その文脈にこだわらない一作ごとに放置していくようなあり方に、非常に共感することが多かった。
ついに目にした彼らの姿も、それに外れはなかった。演奏にののしりながら声を上げ、その場でパーカッションを手打ちし、金属を鳴らし、喚く。それだけで問題はない。
それだけで問題はなかった。理論や傾向や対策は、さしあたり後でいい。




非常に興奮して、会場からまた入り口へと戻ってきた。するとJu Seiの二人がいて、声をかける。Seiさんは髪型を変えたばかりで、それを指摘したらトコトコとどこかへ離れてしまった。怒られたようだ。その後も、この企画は一体なんなのと聞き、よくわからないなどと話していると、展示付近でのパフォーマンスが始まり、ヘアスタイリスティックスが演奏していた。たくさんの機材、特にアナログシンセにサンプラーエフェクターで、複雑にレイヤーされたループが形を変えて進んでいく。3重のループは独特な力があり、ノイズでも現代音楽でも、それ以外のどうでもいい音楽でもあるようで、しばし聞き入る。ふと上を見ると、美川師匠と呼ばれる人がいて、じっと聞いているのが見えた。




喫煙所は建物の入り口しかなかったので、外へ出ると小雨で、灰皿の周りにはたくさんの人が立っていた。前後するがブラックスモーカーの人もいたし、その後、作家のbikiという人とも初めて会って話をした。もう以前からツイッターでは知り合いで、まるで僕が現実の存在であることが信じられないという風情で会話をして面白かった。
ホールへ戻る。ステージ上には、蛍光灯を使うオプトロンの演奏と、若い女性の音楽家がコンピューターとシンセサイザーを操作しようとしていた。
テンテンコ。このチームはズヴィズモというユニットだ。



この演奏は、この日の白眉だった。インプロヴィゼーションでありエンターテイメントであり、アバンギャルドでありノイズでもある。オプトロンが激しい電子雑音とともに即興で演奏を始め、そこにテンテンコが、凄まじい音量のハンマービートを打ち込んでいた。構造はほぼそれのみ。ビートは定期ループではなく、常に揺らぐようなタイミングで攻撃的に打ち込まれる。ジャーマンロックやニューウェーブと言われた音楽で聞いたことのある構造の、さらに鮮度の高い、凶悪なバージョンというべきだろう。媚びなど一切なく、ただひたすら雑音にビートが叩きつけられ、それがある種のエンターテイメントとして成立していく。速度のあるオプトロンが休むことなく形を変え続け、飽きさせることもない。仮に2017年のベストのユニットを挙げるとするならば、おそらくこれであろうという音楽を作り出していく。
テンテンコがノイズをやっているということは、噂と名前だけは知っていた。特に美川師匠とのミカテンというユニットは聞いていたし、それはまさにノイズだったが、このような音楽として今あるというのは知らず。それはむしろ非常に爽快というか痛快な音楽になっていた。ふと横を見ると、まさに美川師匠が立っていて、腕組みをしたまま身じろぎもせず聞き入っているのが見えた。とりあえずそれは見なかったことにして、終わった時に歓声とサムズアップをする。まだまだ新しい音楽はある、それ以上はとりあえずどうでもいい。




演奏が終わった後、あまりに良かったので物販へ行くことにした。あえて言うなら、まさに先端的な、あるいは高純度の文化的企画で、国際水準といって恥じない。とくにズヴィズモのCDは出ているのだろうか、あったら聞いてみたい。


と、近づいてみると、会議用の机らしいものに置かれた段ボールに、CDRシリーズというのがあるというので入っていた。どれもテンテンコのものらしい。最新作はこちらです、というので見ると、札幌国際芸術祭のノイズ電車の録音のものが置かれていた。
迷わず、それを買うことにした。付属で大きな用紙にびっしりと書きこまれた紙がついてきて、ちらりと見ると、アジアン・ミーティングでの参加の緊張や興奮が綴られているようだった。多分何かを得たのだろう。


受け取った品を仕舞おうとしていると本人がいつの間にかやってきていて、ありがとうございます、と言われた。とても良かったです、と言う。あらためて親指を上げ、お互いお辞儀をする。そしてその場を離れた。








光と音のあいだで(2)

1月26日
台湾のシェリル・チェンからメッセージが届く。開くと灰色の空に、カラスが舞っている動画が送られてきていた。「どうしたの」と聞くと、「嵐が来て去って、そんなにひどくない状態」という返事が来る。いうまでもなくこれは去年作っていた通称鳥ノイズ(鳥の声や羽の音でノイズを作る)からの連想だろう。


去年の夏ぐらいから、台湾のノイズが気になり始めた。きっかけはアジアンミーティングフェスティバルでアジアのあちこちの実験的ないし前衛的な作家を次々に知ることになり、まだまだいるはずだとネット上を彷徨っていたことだった。SNSの使い方は様々だろうが、こうした時にはもってこいで、少しずつあちこちの作家たちと知り合いになる。その情報からさらにと広げていくわけだ。
中でも気になったのが台湾のノイズだった。台湾では1990年に軍事独裁が終了し、一気に開放的な現代消費文化が流れ込む中で、アンダーグラウンドなロックの影のように過激なノイズを実験的に行っている集団がいた。ゼロ・サウンド・リベレーション・オーガニゼーションと名乗る彼らは、90年代ポストモダンをたちまち吸収して前衛的なカットアップや伝統の現代化、周縁的表現である病理表象やマイノリティの苦悩と解放に工業ノイズを混ぜ合わせ、苦痛と享楽に満ちたパフォーマンスに仕立て上げた。わずか数枚のアルバムの断片を聞けば、その活動初期には雑多なコラージュが展開しており、さらにすでに1996年前後にはサイントーンを使ったミニマルな表現に到達、そこで活動を停止して、各自散開していったのだという。その苛烈で身体的な現代残酷劇の様相は大変に強烈で、おまけに調べてみるとたちまち魅了されたはずのその団体のリーダーであったリン・チー・ウェイと、僕はすでにfb上で友達になっていた。彼がどのような活動をしていたのか、全く知らないままだったのだ。
あらためてそのリンさんと連絡を取ると、様々なことを教えてくれた。特に日本の表現では飴屋さんに注目していたこと、ジョン・ゾーンポストモダンよりはインダストリアルで、かつアウトサイダーアートを意識していたこと。解散は意図的で、先端的かつ前衛的な試みは維持できないものであり、ポテンシャルを果たしたら団体としては解体することを意識的に行ったということ。だから彼らのメンバーはまだ個別に活動しており、ノイズや現代音楽、メディアアート・パフォーマンスなどの領域に散って活動していたことなど。彼らの表現は、一方で西欧文化の摂取であるとともに、他方で伝統というより土俗的・文化人類学的関心からの儀礼なども意識したものであり、そしてこの双方に自覚的で批判的な立ち位置を取っていた。これらは、さらさらと流れるように教えてくれたが、だがそれを知った時の衝撃といったらなかったというべきだろう。90年代前衛の一端を担っていたと思われていた日本のアンダーグラウンドシーンのすぐ隣で、それに近似した極めて強力な表現活動が見られ、しかも驚くほど鋭く批判的である。またその一見おさえたかのように見える表現のうちに(ただ聞くと伝統楽器の下手な演奏と聞こえるかもしれないものもある)常にはらんでいる死と儀礼の雰囲気。ほとんど不意打ちに近い痛打だった。


そのあたりから、少しずつ台湾のノイズシーンに関心を持って調べ始めた。一つにはいわゆるノイズミュージックの形態もあり、そこでは即興演奏によるノイズパフォーマンスも見られる。だが調べていくうちに驚いたのは、領域が横断しているというか、領域がないということだった。たとえば詩の会。詩といえば漢詩で、いわゆる漢文なわけだが、台湾ではそれが文化の一つとして生きていて、書や詩を多くの作家が共有しており、他方で詩の会もまた積極的にボイスパフォーマンスを行う海外の作家たちを招聘している。詩が文化ないし美学の根幹に位置している、言いかえれば、そこには詩学が現在のものとして根付いていた。
さらに身体表現についてもダンスや舞踊、武術まで、身体訓練や運動を伴うものもそうした表現に組み込まれている。ダンスをする者が映像作品を作り、ケージを題材にして短いフィルム作品を制作する、ということが自然に行われていた。もちろん提示するメディアは、そうした生のパフォーマンスから映像、インターネットまで広がっており、メディアアート的な性格も持っている。というより、おそらくここには障壁がなく、すべてがなだらかなコンテンポラリーアートとして繋がっているのだ。


この形態自体が、衝撃的だった。ノイズをする者と詩を読む者、ダンスをする者と映像を作る者が協働している。それに、さらに言えばマーケットとしてもヨーロッパに開かれているようで、幾つかのギャラリーではサウンドインスタレーションと思しき展覧会も開かれていた。というより、毛利悠子が所属しているギャラリーは台湾にあって、彼女のサーカスはそこで製作されていた。日本を閉塞的とするなら、少なくとも多少以上は開放されていると言ってもいいだろう。(さらに言うなら台北ビエンナレーには「関係性の美学」の指導的評論家であったN.ブリオーが2014年にディレクターに招かれており、海外の評論家がトップに着任することも、またその人選においても先進的たろうとしている野心もうかがえる。ちなみにブリオーは昨年来日し、そのことは日本で一部の話題をさらった)



こうした出会いは、個人的にも僥倖だった。死や破壊だけでなく儀礼やそこにおける身体、自然の非人間性、コンピュータと思考、テクノロジーと生化学的な関係性などこそ、ノイズの多様な表現が切り開いた中で個人的に注目したものだったし、飴屋さんをノイズということがふさわしいか分からないが、だがその表現が極めてノイジーで破壊と暴力と死と生と性を扱っていることは誰もが了解するだろう。また、個人的にそうした主題に即して作っていたトラックもコンタクトを取った彼らは評価や理解をしてくれ、わずかではあるがそうした交流も始まった。ネット上の交流であるとはいえ、こうした問題について考えることのできる相手がいるとわかったのは大変に面白い。たとえ才能があろうがなかろうが、ナノテクノロジー量子コンピュータ、温暖化や気象変動、テロリズムとドローンの時代における表現とは何かと考えることは、なんだかんだ言ってそれ自体が楽しいものだし、そこで美学と詩学を差し入れてみれば、それは一層に興味深い。



シェリル・チェンとはそうした中で知り合った一人だった。彼女は海外で生まれニューヨークの美大を出ているというらしいが現在は台北近郊に住んでいるという。パフォーマンスでは自分の腕と植物にセンサーを貼り付け、何らかのトリガーに用いているようだ。また台南の聴説で身体訓練もしており、実験的な演奏にも造詣がある。


そうしてやり取りするようになった彼女から、唐突にメッセージが来た。しばし考えたのち、どうせならと、テオと同じようにコラボはどうかと返信してみる。返事は明快に賛成で、幾つかのトラック交換をして試していこうという話になった。と言うより、これを書いているのは3月だが、実はもうすでに一度トラックの交換は終わり、次のトラックも継続することになっている。公開はしばらく先になる予定だが、小説や身体文化を背景にしたフィールドレコーディングと電子音、サンプリングに基づいた通称「イマジナリーな」プロジェクトで、次の交換は4月末を予定している。






光と音のあいだで

1月30日
テオ・ヌーグラーからメッセージがくる。短く「helloo」。前から関心を持っていたノイジシャンで、インドネシア在住らしい。関心の中身は音源で、とにかくゴリゴリしたハーシュノイズ。ハーシュノイズの中に振動するような低音がある。以前に聴いていた大友良英マルタン・テトロでの硬質なノイズを思わせる音で、もう少し凶悪な、物体を投げつけているような物音というべきだろうか。
言うまでもなく今やインドネシアはノイズミュージックのメッカだ。ジョグジャノイズボミングをはじめとして、主にメタルを背景に、だがよりラディカルかつ自由に追求した結果ノイズにたどり着いたらしい彼らは、幾つかのドキュメンタリーや最近では海外に招聘されてもいる。日本にも、アジアン・ミュージック・フェスティバルで何人かが来日している。
というわけで、その中の一人としてとりあえずfbで知り合いになり、とはいえ何も交流のないまま互いの投稿を見ている感じだった。最近では、どうやら機材に植物を用いているらしく、より凶暴でかつ無作為なノイズが惹かれるところだった。


そのテオからメッセージ。何かと思うと、「スプリットを出さないか」という。幾つか、同じコンピレーションにトラックを寄せていた縁もあるのだろうか、なかなか興味ふかい連絡だと思った。と同時に、即座にコラボにしてみようというアイデアも。コラボと言っても、ノイズの場合はお互いのクセが強いし、どこまで自分を主張し(あるいは譲る)かも事前にはわからない。ということで、互いにリミックスし合うというのがいいだろう。そう思いつくまでに10分とかからなかった。


早速その旨を送ると、5分も経たずに「lets gooo」と返事が来る。別に公表しなくても、まず交換するだけでもいいけど、というと、自分のバンドキャンプにアップしようという。
これで話が決まり、互いのアドレスを交換して、1週間後には新トラックを送ると伝えた。



2月2日
新トラックが出来たので、テオに送ることにする。最近試みている、即興演奏の録音をサンプルに激しくコラージュとレイヤーを施して別物にする試みの一つだ。
ノイズと即興の関係は、難しくも面白い。ノイズの発祥を、イントナルモーリやケージではなくノイズ・ミュージックに求めるならば、そこではすでに即興を方法として取り込もうとしているのが伺える。特に80年代ジャパノイズの非常階段などでは、即興であることが前提であり、激しいフィードバックやエフェクターを使ったノイズが不定形のまま爆音集団即興として繰り広げられている。
裏を返せばこれは即興演奏がすでにスタイルとして固定化し(ここからポストモダンが出てくるだろう)たなかで、むしろその硬直化を打破する意図があらかじめ装填されていたとも思われる。ここからフリージャズでは高柳の晩年の試みなどとも接続されるだろうが、さしあたっては、こうした即興演奏/フリー・インプロヴィゼーションからの発展としてのノイズ、を考えておけばいいだろう。


そうしたなかで、インプロコラージュによるノイズは、なかなか楽しい。作業は全てPCで行い、編集ソフトを使って、ただし音を整えるのではない真逆の方向で加工を試みる。今年に入ってから取り組み始めたが、すでに6曲以上製作していて、これまで試みてきた環境音によるノイズトラックとは違う、ある意味で正攻法の、ある意味で迂回した逆流の試みとも言えるだろう。サンプルは演奏からフリーの音響サンプルも使っていて、もうだいぶサンプルの原型はほぼわからないところまで来ているはずだ。積極的に新しいことをしようという意気込みは必ずしもないが、多くが自我を主張する音楽ばかりに囲まれている中で、むしろ無作為な音塊には積極的な意味を感じるし、音声データを加工して出現するコラージュにはそれ自体と魅力を感じる。
そういえばノイズミュージックの流れの中に、シェフェールから始まるミュージックコンクレート/具体音コラージュがあることも忘れてはならない。どちらかといえば、そちらの軸の中で、何か面白ことができないかと模索したいというところ。


タイトルに「10n乗次元からの歌」とつけたノイズを送る。



2月4日
テオからトラックが送られてくる。フィールドレコーディングだった。どこかのギャラリーか、あるいは公共施設のような空間の録音で、特に何も起きない。



2月5日
リミックスを開始する。フィールドレコーディングがノイズか、という問いが立ちはだかる。具体音の流れからすればノイズだし、一般に環境音ノイズというものはノイズだ。ではそのままでいいだろうか。
環境音の使用は、ここ数年で一気に盛んになりつつある。特に大きいのは録音機材の性能の向上というか、誰でも高品質の録音ができるようになったことが大きいかもしれないが、早いところでは90年代末あたりから、何時間もの環境録音に電子音を合わせた作曲作品が出始めており、今では楽譜指定での録音や、高品質マイクでの野外インスタレーションの録音も出てきている。
いうまでもなくここでの環境音とは加工されうるものであり、かつてはマイクを向ければそこに自然の時間が切り取られうると主張されたとしても、今はそれほどナイーブではない。録音された音は、ある時間の切断面であるとともに、極めて主体的にマイクで拡張された世界であり、またそれはキャンバスの上の絵のように音響空間上に保存されている音の風景でもある。


角田さんのフィールドレコーディングを思い出す。特殊なマイクを使って、海や海に渡されたロープなどから振動音を取り出す、音響の探求だ。それだけでなく、片方のチャンネルにサイン波を入れたり、同じ場所で違う時間に録音したトラックを左右にそれぞれ配置した実験的な作品もある。いずれも鑑賞者の感覚自体に訴えかけ揺すぶってくるようなハードなものばかり。音も重低音で、可聴域外の低域によるスピーカー破損の危機があるとさえ言われている。


それらを思い出し、録音のチャンネルを左右にバラして、それぞれ加工することにした。さらに、どうせなら物語を導入してみる。ある録音されたフィールドに、次第にノイズが侵入してきて、ついにはサウンド自体が絶叫していく、というようなイメージだった。侵入するのは、もちろんレコーディングが支えられているキャンバスとしての音響空間で、フィールドレコーディングの外部がやってくると捉えてもいい。サウンド自体が絶叫している、というのは意味が不明かもしれないが、空間内の音そのものに絶叫の成分が混じっている、というイメージだろうか。どこにも主体は見えないが、ある空間の内部全体が叫んでいる。グラインドコアノイズと呼ばれる激しい電子ノイズと絶叫交じりの音楽に聞かれる、ほぼ叫び声だけが人間から切り離されてノイズ中に充満しているようなサウンドだ。

この設計図に従って、トラックにレイヤーとコラージュをした。まず右チャンネルからノイズが侵入し、幾度かの停止を経て、その姿を現わす、というものにする。録音された音の空間のフィクション性を横切っていく、この声は、このトラックの再生される内部にしか存在しない、音響空間内の身体と言ってもいいし、奇妙にフィクショナルで人工的な、意味を欠いた叫び声として現れるはずだ、そうなるように願いながら作成していった。



2月9日
テオからメッセージで、アルバムジャケットについての相談が来る。自身はメディアやテレビに関心があるらしい。実際、ある種の手紙のやり取りで成立するメールアートや、サウンドアートでの音源提供もしているらしい。
彼の音源にある、どこか時間軸を前提としないハードなハーシュノイズのあり方はそうしたところから来ているのかと納得する。即興かノイズかといった二分法ではない、時間軸を意識しつつ無視するような、空間や展示といった中での音のあり方も考えるところまで、すでに来ている。


何かイメージはないかというので、よく知ったビデオアートの作品の映像を指摘する。即興とノイズを通過して、サウンドアート上での快楽と美学をさまようようだ。



2月21日
テオからリンクが送られてくる。アルバムが出たらしい。今はフランスのナントにいるはずだ。
地球の裏側に近い場所から光の速さで送られてくるデータを開き、そこにあるノイズに耳をすませる。




関連リンク
テオ・ヌーグラーと追湾及  
https://theonugraha.bandcamp.com/album/-