札幌国際芸術祭おぼえがき 備忘録のあとで(3)

フェイスブック、2月21日の投稿。原文以下。一部補足して和訳)


こんにちは。昨日は、四谷三丁目(国際交流基金アジアセンター)でのDJスニフ、ユエン・チーワイ、細田成嗣、メイヤ・チャン、大友良英によるトークとディスカッションに参加してきました。
内容は本当に興味深く、前半はアジアンミーティング2017について、後半は、台北と台南で開催される予定の同2018についてのものでした。また、質疑応答の時間では、「ノイズ」と「即興」の(地域での)違いについて、質問もしました(簡単に言えば「台湾での即興音楽はどのようなものか」という問いです)。
その質問についての答えも、大変に興味深いものでした。おそらくメイヤ・チャンが答えてくれたのは、「即興とはある音楽のジャンルではなく、ある一つの方法論であり、それは時間経過の中で音を組織していくというものであって、それは音楽以外でも、サウンドアートなど幅広いところで見られるものだ(と理解している)」というものでした。またチーワイは付け加えて、彼の過去のリサーチで台湾の作家Dinoとの対話で聞いたものとして、台湾の若い音楽家の中には、あるレコードショップを中心にして即興演奏をしているものもいるし、必ずしも即興演奏という形態を取っていない即興的な音楽や創作をしている人たちもいる、と説明してくれました。
そう、確かに、実際自分自身も、そうした「即興」のあり方を知っています。札幌国際芸術祭2017の中の多くの展示で、そうしたあり方を感じたりもしました。おそらくこの問題については、これから何度も何度も立ち戻ることでしょう(日本ないし東京の実験音楽シーンにおいては、「即興」というのは極めて重要だからであり、ですが一方で、それにこだわる、特にジャンルとしての即興音楽にこだわるべきではないように考えています。むしろこうした考え方の違いと共通点を、お互いの対話のスタート地点として捉えていくのがいいように思うのです)。


非常に興味深いフェスティバルのレポート、洗練された講演、そして熱のこもった議論でした。どうもありがとう。




*付記
これはフェイスブックに記した前日のイベントの感想文で、また読まれるようにこの中にも幾つかの主張のようなものが含まれている。全体について触れるのは錯綜するので避けたいが、前半では札幌国際芸術祭をピークに、非常にダイナミックな集団即興演奏としての形態をとったアジアンミーティング2017について、キュレーターである二人とツアーに同行した批評家細田氏による報告と討論、また、遡ってこれまでのアジアンミーティングの足跡も参加者全員で論じられた。そののち、後半では今年行われる予定の台湾でのミーティングについて、開催予定場所であるTCAC(台湾現代芸術センター)のメイヤ・チャンにより、これまでの同組織の活動についての解説や、アジアンミーティングを招聘する意義といった点をメインにトークが行われた(なお今年度で国際交流基金の後援による開催は終了し、アジアン・ミーティング・フェスティバルは以前のようにいわば自主企画となる)。「台湾はこれまでアジアと欧米に対して開かれているし、開明的な政治のあり方なども含め、もしかしたら日本より進んでいる、私たちが目指すべきかもしれないものとして、今年は台湾でやります」という旨のスニフ氏の解説は、非常に力強いステートメントで頷くところの多いものだった。


質問については、文中にある通りだが、実際、ノイズやサウンドアートの盛んな(グラウンドゼロなどポストモダン音楽もすでに受容されている)同地で、即興がどのようにあるのかという問いを立て、しかしその答えを聞いた時、聞きながら大きな納得と賛同と、そして戦慄(?)と驚愕が同時に走ったことは記しておいていいかもしれない。実際、すでに知っている範囲でも音楽から身体技芸まで即興的要素の強い芸術が多く見られる台湾においては、即興は音楽ジャンルではなく、多様な領域に広がる時間を組織するための大きな方法論なのだ、という答えは、まさしく日本の即興論と共鳴し、場合によっては先を行くと言っていいかもしれないものだろう。この点についての一概な答えや解説などは避けたいが、現在の日本(や東京)の即興音楽において近年では装置や機械を取り込んだ独自の展開が見られており、むしろそうしたところにおいてこそ、上の答えを共有するような、国境を超えた共通の議論が成立するかもしれない(こうした点については、後日書くつもりでいるスペース・ダイクでの即興によく見ることができると思われるし、すでに去る2月17日には台湾のアリス・チャンを招いた演奏も行われ、空間や機械群を用いた多様な即興であったことも付記しておこう)。


今や即興は単に音楽の特権であることをやめ、より広い領域に拡張する変異の時期にあるかもしれず、そしてそれゆえにこそ、そうした領域の垣根や因習をこえた議論が起こりうるかもしれないということは、率直にいってきわめて頼もしいことのように思えた。あえて言えば、退廃することのない新しさの感触というのだろうか、そうしたものを掴んで、会場を後にしたことを付記しておきたい。



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from Facebook, 2/21/2018

Hi, friends, yesterday, I attended the meeting of Asian Meeting Festival at Yotsuya 3choume, talk and discussion by dj sniff, Yuen Chee Wai, 細田 成嗣 (Narushi Hosoda), Meiya Cheng,and 大友 良英 (Otomo Yoshihide).
Sessions were really interesting, first AMF2017, second, 2018 at Taipei and Tainan. And I asked one question about the difference of "noise" and "improvisation" (or how "improvised music" are in taiwan).
The answer was also interesting, maybe-Cheng said-'"improvisation" is not a genre, but a method to organize sounds in time-passing', and we could see it in various kind of arts, not only "improvised music", but also sound-art etc. And Chee Wai explained some younger generation play improvised music around some record-shop, with quote his discussion with Dino in his past research.
Yes, I know it, these kind of forms of "improvisation". In SIAF2017, I also felt the same way of improvisation in many exhibitions. Maybe i will think these problem again and again (in japan or tokyo experimental music, "improvisation" is really important, but we should not stick to it, especially as genre, i think. Rather that idea is a start-line to talk with each other).
So interesting reports, cool speech, hot debate. thanks.