2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧

どこかなにかがちがう

先週だっただろうか、テレビで踊る大捜査線の映画と、たまたまレンタルしてきたイーストウッドの「ブラッド・ワーク」を、前後して見ることになった。おなじような捜査もの、若干猟奇、全体としてアクション・エンターテイメントという点で一致しているが、…

ポルケ

とつぜん、抽象的な思考から解放された。風邪がなおっただけなのか、作業が進展して落ち着いてきたのかわからないが、体の感覚もかなり変わる。すとん、と現実に降りてきたような感覚だ。 本屋でデリダの『名を救う』の翻訳と、林道郎『絵画は二度死ぬ、ある…

長いけど最後まで読んで欲しい

作業を進めるが、実のところ一日に2時間しか作業していない日もある。あとは本を読み、食事をし、ビデオを見たりCDを聴いたりする。優雅な生活にみえるかもしれないが、実際は生活費を切り詰めながら、かろうじて何かを作り出すための時間を見つけること…

切り貼り3(つづき)

切り貼りする、その貼り方。接続。接合。縫合。接着。 二つ以上の異質なものを、一つの平面でつなぎ合わせてしまうものに興味が湧く。潤滑油であったり、調和であったり、そうしたものといってもいい。実際、まわりをみれば、いたるところにそうした接合する…

サンプリングと持続

これもまた自分でも意図がわからぬまま、デビッド・シェイの「クラシカル・ワークスI」と、Alvin Curranの「Animal Behavior」を聴く。どちらもサンプラーを使っていて、いま興味がある「切り貼り」に近いからかもしれない。しかし、その目指すところは二者…

切り貼り2(つづき)

切り貼りする。しかし、パソコン上で行うそれは、痕跡が残らない。カット&ペーストという機能でなされると、メモを並べ替えたり、下書きを鋏で切って置き直してみたりするような痕跡は残されず、あいもかわらず一面の白い画面と文字だけだ。残らないのは切…

つづき

当たり前のことを確認していかないと、なかなか進めない。こんなことに拘泥しているのは、やはり風邪のせいなのか、それとも単に頭が悪いだけなのだろうか・・・? そう、語り、物語において話者は、常に暴力的に切り込んでいる。ある事柄を暴力的に改竄し、…

海市展

その合間に、動機がよく分からないまま、適当に置いてあったICC「海市展」のカタログを再読。ICCが今後どうなるのか、あるいはこの最初の企画展が計画当初の意図からして成功だったのかもよく分からないけれど、異様なまでの分厚さの中で、そうそうたる論者…

ストラビンスキー

風邪をひいてダウン。これまでなんとか小康状態だったが、しかたがない。 しかたがないので、休んでひさしぶりにストラビンスキーの後期の曲を聴く。作曲家本人が指揮したものと、ブーレーズによる2枚。宗教的な内容になり、野蛮なリズムはほとんど残ってい…

切り貼り

一度書いた文章を切り貼りする。並べ替える。これはワープロ導入以後の書き方だろう。並べ替えるとまた新たな文脈が生まれ、新しい考えが浮かぶ。メモの集積が一つのブロックをつくっており、ブロックが集まって一つの節をつくり、節があつまって章をつくる…

そんなときに

そんなことを考えたり忘れたりしつつ、「東風」をビデオで見た。映画作品をビデオで見て、その感想をあたりまえのように書く、ということ自体も、また怖ろしく恥知らずだが・・・とりあえずあっけにとられた。 どうも、ただ友達といっしょに山にピクニックに…

とくに題なし

テキストはすべからく物語になるとずっと言われてきた。いまの作業もまったく同じだ。人によっては感覚が違うのだろうけれど、ノンフィクションの史料を扱っているとはいえ、それらを読み、眺め、調べ、メモを取り、ノートを作り、並び替え、情報を組織し配…

追記:音響など

先日新宿のツタヤにいったら、すごい品揃えで驚いた。「北国の帝王」がある、「ゴダールのマリア」が、「東風」が、パゾリーニの見かけないビデオもある。CDもすごい。想い出波止場があり、SOUPがあり、青木タイセイのソロまである・・・残念ながら、明日…

感想

たぶん僕は展示を社会的に引き付けすぎているし、またあまりにナイーブになりすぎ、感傷的にすぎるのだろう。作者3人の意見と合っているのかも確かではない。ただ、あえて引けば前回の横浜トリエンナーレでみたオノ・ヨーコの滑車から光の柱が展に突き立つ…

消失ふたつ

あらためて展示をじっくりと見た。3人の作家による展示はちぐはぐでもあったけれど、それゆえに多様なメッセージを読みとれるものでもあった。 それは、二つの消失を示していたように思う。ひとつは、消えてしまうこと。あったものがなくなってしまい、展示…

消失と持続

しかもその中でSachiko Mと石川高は、びくともせずに演奏を続けていた。Sachiko Mは野次になれているのかもしれないが、それでもどこか辛そうに見えて、石川高は笙を口にしたまま微動だにしなかった。ざわめきの中で音が聞こえてきた。 僕はその無関心と無理…

無関心と消失

けれど、あのとき演奏中にあったのは徹底した無関心だった。演奏があり、作品がある中で、かなりの数の人が、そもそも演奏を聴いていないのだった。オープニング・パーティがどんなものかは知らないが、理解できないならば会場を出ていけばよい。たかが20…

演奏とざわつき

ややすると、演奏がはじまった。Sachiko Mと石川高による、大友作曲作品の演奏。CD で出ている「モジュレーション」の変形バージョンらしかった。これは生で見ないと分からないのではないか。そんな期待があった。明らかに会場が騒いでいたが、少しくらいは…

P-HOUSE

あるのは、白い、ごく普通のギャラリースペース。「バニシング・ポイント」の数語が消えて「バ ング ント」。テーマは消失らしい。行ってみたら混んでいて、既に酩酊している人たちもいて、入るまでにすでに行列ができていた。並んでいるのを見て、もうそこ…

きっかけ

きっかけは単に音楽を聞きに行ったのだった。その日はたしか高円寺の円盤で飛頭のライブがあり、大友作品とどちらに行こうかと散々迷ったあげく、たまたま出くわした友人を半ば以上だまして連れて行った。僕はいつも常に現代美術に触れているわけでない。も…

「バ  ング  ント」展を思い出す

『美術手帳』の最新号に「バ ング ント」展の小特集が載っていて、読んでみた。まだ参加者によるシンポジウムとか、そういうものの内容は出ていないけれども、展覧会はこの特集によって一段落したと思われる。会期終了からもう1ヶ月近くが経ち、そろそろ忘…