オイディプス以後IV


*注−この文章は、アップロードされる数日ないし十数日前に書かれている。



すこしだけ回想をしよう。ほんの1年前だ。2014年1月。そのとき、渋谷のちいさなギャラリー兼ライブラリー・スペースで開かれた、Sachiko Mによる「FINAL CALL」という企画を観に行った。
まだ、そのときのチケットの小片が、手元に残っている。とりあえず何でも詰め込んでおいたファイルの隙間から、それはぽろりと机に落ちた。
この文章は、ついさきほど見つけたその小さなチケットをきっかけに書き出されようとしている。



とはいえ、「観に行った」というのはかならずしも正確ではない。実際、その企画はコンサートとトークの2部構成になっていて、しかし実際に足を運んだのはその2番目の企画だけだったからだ。渋谷駅の広大な地下通路を歩き回り、ようやく出た地上にすぐの場所にある建物の、階段をあがった通路とそこにある扉のことを、まだ覚えている。階段の脇にはエレベーターがあり、本来はそこから上階へあがった(結局は見ることのなかった)どこかの部屋で、コンサートはおこなわれていたはずだった。はずだった、というのは、到着したとき、すでに演奏時間をすぎていて、おとずれた会場には受付の数人の姿以外、からっぽだったからだ。そこには小さなバー・カウンターがあり、その奥にいくとわずかな空間の壁に、スライドが映し出されて、人もいないのに始まっているようだった。小さいとはいえ数十はあるとおもわれる椅子は、もうすでにトークの一部がおこなわれたらしく、客のコートやセーターがかぶせられているものもいくつかあったが、大半は空席だった。それに何より、演奏時間中のこの時間帯に、そこには誰もいなかった。
そのスライドが作品であり、そして写真でもあり映像作品であることは、すでに知っていた。
写真の多くは、白黒で室内の展示風景を写したものだった。その最初の方に出てくる光景には、見覚えがあったし、つまりは実際に足を運んでいた。それらが、どのように写真として定着されているかは知らなかったが、そこに行って、そこに居たことを喚起させられるものだった。それから、まちがいなく場所が移り、同じ作品の展示物が、場所をかえながら置かれている風景が、強烈な白黒のコントラストとともに映し出されていった。
その多くを、すでに知っている。すでにインターネットを介して公示されたものは見ていたし、そしてなかでも感銘をうけたものの多くがスライドにふくまれていたことに、あらためて感銘をうけたりなどした。とくにおおきな矩形。白い画面が大胆に切り取られる黒が、奥行きを消すようにして抽象的な構図におさまっている。実際に写っている風景は、ありきたりな室内や街路であるのに、黒い矩形がマッシブなボリュームをもって迫っていることが、あらためて確認された。はたして、撮影者にとって、当初の大きさはどのへんなのだろうか、いまは大きく引き延ばされてボリュームを得た映像をみて、何度目かの疑問をおもいうかべる。答えはないにちがいない。あらためて、最初から答えを求めていないことを確認しながら、ゆるやかに時間をとばしながら、全くおなじ展示物が場所だけをかえていく光景をみていた。ほかには、ひとりの観客もいなかった。



回想というのは秩序がないのかもしれない。いま思い出すのは、それからふたたび部屋を出て、階段のまぎわに置かれた灰皿の側に立って、廊下に設けられた大きな窓から、外をのぞいていたことだった。窓の外には、道路と、その道路をまたいだ向かいのとおりにある交番がみえて、ひどく寒そうな身ぶりで制服姿の人影が立っていた。しばらくすると演奏が終わったらしく上の階から、エレベーターをつかって観客と、それから演奏者がおりてきて、どうやら関係者らしい数人が煙草を吸っていた。さむいですね、などと口走り、関係者の関係者上の話は聞かぬふりをして、もういちど外を見ると、さきほどとおなじようにひどく寒そうな身ぶりで制服姿の人影がいた。人影は、やはり、たったひとりで立っていた。



ほかのことは、あまりおぼえていない。トークについては、そのいくぶんかはすでにネットで公表されていた文章でその内容を知っていた。客席はすでに一杯で、スペースをこえてバー・カウンターのほうまで立ち見の人影があるようだったが、背後になって見えなかった。撤収のさいには、何人かの観客が携帯電話で写真や動画を撮ろうとしていて、しかし問題なのはそこには写らないものなのだとおもったことをおぼえている。
とくに驚いたことは、会話のさなかで、当時の演奏者が駆使していた「写真譜」のつかい方について言及したときのことだ。はたして、演奏者はそれをただ見ている、凝視しているだけで、なんらの解釈もしていないと(一瞬)強い言葉でいいはなった。
それはまったく困った解答だった。おそらくそのようなことは、「楽譜」の観念からして著しく混乱させる類のものだった。正確にいえば、それは「楽譜」としての機能を果たしていないのかもしれない。だが、おそらくだが、この演奏者にとっては、それがただしい楽譜のつかい方なのだろうということも感知されていた。「見ること」、ただそれだけで、それをすることが、十分にインプロヴァイザーであるところの演奏者にとっては、拘束であり、規則であり、演奏におおきな影響を及ぼしかねない要因なのだ。より正確には、そのような影響をもたらすということにおいて、すでにそれは十分に楽譜としての機能を果たしている。だとしたらそれで十分なのだ。だが、そのようなことを口走った演奏者など、ほかには知らなかった。


はたして、ここに説明などする必要があるのだろうか。たとえば、このとき頭にうかんだのは、いうまでもなくこの演奏者が通常一般に、聴くことを前提にしているということであり、音を出す―出ている音を聴くという関係のみにあって、余人の及ばない高速での反応と世界観をつくりあげてきたことなどである。あるいは、それとは別に、たとえば二人組による即興演奏のこともおもいだした。かつて昔、その演奏を観に行ったとき、じつはその相手に写真譜の読み方をたずね、実際に写真をスコアとして、グラフィカルに解読していたことを教示されて、全くそのように理解していたのだ。じつのところ、そのときもう一人の(つまりはこの文章で対象としている)演奏者にも訊いてみればとうながされたのだが、見遣れば緊迫した雰囲気でスピーカーを梱包しているところで、遠慮していたことなどである。
そうではない。いや、そうではなかった。そもそもがここにおいては、「見る」ということ自体が異常事態であり、緊迫した、作為と人工的な手段によるものであることに、気づいていなかった。もし事前に用意された視覚映像によって、ある形で演奏が規定され方向付けられるとするならば、それで十分に「作曲」と呼ぶことができるのだ。いいかえればそれほどに、通常一般の即興における「聴くこと」は重要であったし、だからなおこと、「見ること」が介在すれば、その干渉のレベルはきわめて大きいものになりうるはずである(そしておそらく、その見ている写真を別のものにいれかえれば、ただそれだけで演奏の質や性格はかわるのだろう。写真譜の演奏は、おそらくそのような実験なのだ)。だが、いずれしてもそれは、なんとありふれていないものであろうか。



そのわずかな回想のことを、小さなチケットを前にして思い出しながら、この文章はここまで書かれてきている。外では雪が降っている。



それからのことは、すでにあきらかかもしれないが、続けておこう。とりあえず、そして展示が再開された。その場に集まった、それまでの展示に関わった関係者たちがひとりずつ、それぞれ一台のCDプレーヤーに電源をいれ、ほんのわずかな時間「I’m here-shortstay」と題した展示がその場に姿をあらわした。はたしてどのような音が録音されているのか、4枚のCDがそれぞれの場所でつくりだす音が相関しはじめ、空間上に動きをうみだしてゆく。それは目にはみえない。


時間の順列が逆転されたとも、逆行する輪廻のようであるとも自作解説された作品が、この展示にもあてはまるのか、それはまだ明らかにはされていなかった。それらのCDが単におなじものであるのか、時間軸が置換された異なるヴァージョンであるのか、あるいは写真譜をもちいたまったく異なる作品群からなっているのか、そのどれでもありうるだろう。
ずっと壁にうつされているスライドは、逆行していなかった。いまこの場は「FINAL CALL」で、時間軸の最後に位置するものだった。だからといって、困ったことに、そこには全く「最後」としての雰囲気は残されていなかった。