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 毎年と同じく、今年も8月15日のフェスティバルを遠方から視聴した。今年は例年よりも多くの時間を(ほぼ全部といってよい)見ることができた。
 その最中、またその翌日に、いくつかの感想をツイートしたので、そのさえずりをメモ代わりにほぼそのままペーストしておく。



インプロオケについて:
声とコンダクションで、指揮がふたりいる。まるでダブルオーケストラ。あたらしい方法が目の前で生まれていることに驚く。
リアルタイム性が強い。とくに、どうやら現場で楽器がうまく鳴らないという状況から、それでは声でやってみようかという偶発的な事情によって始められ、事態は参加者である観客=演奏者にとっても、コンダクター2人にとっても、なにが起きてるのかわかっていないかたちで展開し始めた。なにができるのか、その場でやりながら方法論と実践が不可分な形で進行していたようだった。
事態は、声の集団的インプロヴィゼーションとして進展した。指揮者と参加者のひとりが1組になって、まず「あ」というところからはじまる。それに会場の参加者が反応しながらみずからも声をだしていく。
一見、コール&レスポンスのようだが、大きくちがうのはここでの主役は参加者=観客=演奏者の「声」であること、いいかえればコールしている主体はあくまで指揮者であって、会場から沸き起こる声の方が音楽をつくりだしてゆく。


これだけではない、じつのところ、進行とともに指揮のレイヤー(?)というべきものが発生し、事態はおおきく変転した。最初、声を使った指揮で立ち尽くしていたかのように見えたオートモさんが、途中から立ち上がって、歩きながら指揮しはじめた。それが、見えたとおりやることがなかったのか、もしくは反射的にひらめいたのかはわからない。ただ、集団で声のコンダクションがはじまっているなかを縫うようにして楽器の指揮をしていく。そのとき層ができた。一方に声に反応する奏者、他方で楽器を鳴らし始める演奏者、指揮者2人、しかしその区別はつねにいれかわりながらインプロビゼーションの技法で、市民オーケストラが豪奢な音楽を奏で始めた。
声のオケ、器楽のオケ、巨大なオーケストラでは当たり前かも知れない構図は、けれどこれまでみた即興オーケストラでは見たことのないものだった。それまでは誰もが「楽器」を演奏できると言うだけで何か途方もないことができるかのように思っていたのだ。けれど、それだけではなかった。誰もが「声」をあげることができる。そして声は音楽だった。彼らは楽器と声の間を往復し、誰でもできるものをつかって、集団で音楽をうみだしはじめていた。
それも野外で、街中で。



追記しておけば、個人的にはかならずしもコンダクションの歴史(とりわけ詳細な事例)について詳しいわけではないし、とくにブッチ・モリスのコンダクションを網羅的に把握しているわけではないので、この文章はあくまでも文というより些細なさえずりにとどまる。だが、そのうえでふれておけば、それは奇妙なものだった。
なにしろ、指揮者が2人いるのだ。おまけに、1人はオーケストラのなかをうろうろしてコンダクションし、もうひとりは腰をおろして偶然に隣あわせたらしい参加者の方とあわせて「あ」と声をだしている。その2つの指揮に市民でつくられたオーケストラが反応しながら演奏をつづけているのだ。もちろんコンダクションしている側にとっても、演奏者がどのような音を出すのか事前にはわかっていない。それは奇妙に二重の即興であるといってよかった。
もしかすれば、かつて街路で、市民の、社会的職能によらない音楽をつくろうとした音楽家たちは、これを見れば驚いたかも知れない。どこにも中心をもたず、偏心した2つの指揮が移動しながら、誰か知らない人々のあいだから音楽が湧き起こってくる。誰も技能を必要としない技術をつかって。




個人的には、これにさらに、そこに「即興」があったような気がした。それは技術的ないし技法的なものというより、それらを含み込んだアイデアの全体がその場で生みだされていくような、あるいはそのアイデアがさらに演奏をとおして次のアイデアを連続的に生み出していくような、継起的なプロセスというものかもしれなかった。
その力強さにたいへんに感動する。



さいごに、元に戻れば、だからインプロオケにはいくつかのレイヤーが発生しているようだった。それは、記憶のなかではかつて見たONJOの、多様な音響と歴史のクリアな混交(?←語義矛盾だが、おそらく描写としては必ずしも間違いではないだろう)が二重写しになるようだった。そこには背景のちがう、演奏も考え方もスタイルもちがうものが、クリアなレイヤリングを保ちながらも層は流動的にうごいていた。レイヤーがあって、集団があって、分断され、混じり合い、層をつくり、つくりかえていく。


いいかえれば、だからここには、もしかすればアンサンブルズがあったのかもしれないと、そう思った。






(引用おわり。)