日記を読む日記

今の世の中はなかなか怖ろしく、一人で居ることが難しく感じる。メールを開けば、なんとなくネットを見てしまい、集中して長期間こもることが、非常に困難なようだ。なんとなく、世間(が何かは、正確ではないけど)で孤独感を感じている人が増えているように思うけど、それはコミュニケーションを迫ってくるシステムの裏返し(日常的にコミュニケーションをネットから求められるので、孤独な人は一層に孤独感を抱くだろう)な気がする。数年前は、これほどではなかったし、もっと具体的な、対人関係における孤独というのが存在していたような気がする。いまは、孤独といってもネット上にうまれた孤独にすぎないのでは?
・・・と、似非社会学を講じつつ、集中するためにネット遮断。ここに書く文章も一切書かずに一月ちょっと。


*なんとなく考えていた山口旅行は、現時点では厳しいことが判明。大友良英「オーケストラズ」をなんとか見たかったが、いきなり暇でもない限り厳しい。これで、どうでもいいけど、これまで現場で見て何か思いついてそれを書いてみる、というここでの一貫性の一部は破綻した・・・おそらく大友氏のメルクマールに違いないと思うので、見に行った人・行ける人は本当に羨ましい。
*と思っていたら「JAMJAM日記」が書籍化されていたので購入。日記をどう読むかというのは、結構面白いテーマだと思うのだけど、とりあえず600ページを約2時間で目を通し終えたときは、自分の変な能力に唖然とする(大半はメルマガ時代から既読ではあるのだけど)。読んだ証拠に(?)一つの白眉は133ページからのフリージャズ講座と、後半のアジアンミーティング、そして音の海か。ライブの感想とか旅日記とか、実際に立ち会えないものの情報がとても刺激的で、それが止まらず続いてゆく。大部だけど、実は2005年から今年までが全体の3分の2を占める、その変な構成も、うまく言えないけどけっこう面白い。本当に重要なことはおそらく書かれていないように思いつつ、時間感覚が文字通りに歪んでいるオブジェというか。
 通読するとあれこれ思いだし、アジアンミーティングの最終日を見に行って約3年で、あのときの興奮はまだ覚えていて、とても言語化できるものではなかった。あの、整理不能な情報量の塊(いや塊ではないのが重要だが)が、おそらく今の山口の展示に繋がっているのではないかとか想像したりして、余計に山口に行きたくなる。
 一方で、CDとしてはやはり「幽閉者」がかなり変だと未だに思う。あのノイズと錯乱とメッセージと心情が、叙情に流れるというより瞬間瞬間で凝固しているような、さらに暴力性とその否定を同時に孕んだ作品だったのではないか。ライブは観ていなくてとても残念な一方で、あの異様な濃縮さは、むしろCDゆえではないかとも思ったり。ありえないのかもしれないけど、CDであの続編というのがあり得るならどんなものかと想像してみる。
*さらに「エキス・ポ」でもインタビューを発見。やはり展示のキーワードの一つが「記憶」であったと確認する。たしか「MUSICS」では、意図的かこのへんは触れていなかったように思うけど、サンプリングウイルスの頃から、記憶の抹消を経て、音自体に記憶を感じる(そしてその記憶は、サンプリングのような社会的な意味づけではなくて、おそらく個々人がそれぞれに抱く、個人的なものなのだろう)ようなところまで行こうとしているのかと勝手に想像。・・・行ける人は本当に羨ましい。これでもう匿名で感想を書く意味がなんとなくなくなったので(もちろん個人的に人見知りであるというのが最大の壁ではあるけど)、今度はライブに行ったらちゃんとサインでもいただこうかとか何故か思う今日この頃。


*さらに、適当に積んであった中原昌也「作業日誌」と、「nu」3号を合わせると、このところ日記ばかり読んでいる。実は先週は中原氏のトークジュンク堂。驚くほど豊かでまったりした無駄話。先月も行ったのだけど、やはり同様で、あれこれの知識と少し豊かな時間をもらったような感想。先日はカーゲル追悼ということでCDをかけていて、ブルースを擬いたような作品というのを聴いて、凄さに静かに胸に来たり。
 連続CDも、ときおり思いだしたようにいくつか購入していて、知らぬ間に全部揃えてしまいそうだが、今出ている最新作がかなり良いような気がする。どこかで聴いたような感触もあるのだけど、vol1から聴いていくと、だんだんどこに行くのか、行き先がわからなくなってきて、次作への期待高まる。


唐突に、宮崎「崖の上のポニョ」を観る。友人とネタのつもりで行ったのだが、衝撃的な展開に、全員唖然。
途中で話がまったく別物になり、黒沢清の「回路」以上の破滅的な世界観が待っている。観ていない人はすぐに観るべきだ・・・が、一方で、観た人が何をおもったのか、まったく謎。ネタバレ承知なら、さしあたり途中から、月が地球に向けて落下してくるということが重要である。あれほどの観客動員は、一体何を示しているのか、この国はかなり変だとしか思えない。とりあえずストーリーより、興奮するシーンを繋いでいくことでできているようだ。それはそれでアリかと思う。


さらに「インディー・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」も観た。これも想像を絶する展開。予告編とあまりに違う・・・
個人的には何度も爆笑させてもらい、悪意とユーモアと想像力の限界まで突っ走る展開に、かなり理想的なエンターテイメントを見たのだが、観覧後に同席した友人は、むしろ沈黙していた。時代性があるようで、それを完全に裏切る、ボブカットのソ連スパイとか、ありえないイメージばかりでできているようだ。その積み重なる「あり得なさ」が、インディージョーンズの世界観まで希薄化させていき、ぜんぶを破壊するギリギリで踏み止まっているようなところが面白かった。まあ、前作ですでに不死の騎士が出て来ちゃってるから、もう何でもありだ。


*いくつかCD。中古でブロッツマン・ラズウェルの「Low Life/Last Exit」の2 in 1。後半を目当てにしながら、前半のLow Lifeが圧倒的。唸り、割れる低音の複数同時攻撃でたいへんに興奮し、同じようなものはないかと手持ちを物色すると、買っただけで満足してあまり聴いていなかった「Stone benefit vol. 1」の最後の曲。ライブハウス・ストーンの経営援助のためのCDで、ジョン・ゾーンとラズウェルのデュオ演奏。ここではサックスの金切り声と地響きの連続で、やはり興奮。
 さらに、この「stone benefit 1」の2曲目が、マイク・パットンの悪魔のような声が多重録音されていて、まるで首がいくつもある地獄の獣が(それぞれの首で)喚いたり叫んだりしているような奇怪な作品。これまで単に即興をパッケージしただけだと思いこんでいたので、かなりアイデアに満ちたものだったと思い直す。
*この2曲目を聴いていると、同じかんじで女声のものはないかと思い始め、tzadikから出ていたMaja S. K. Ratkje(Fe-mailというグループの人)のCDを聴く。3曲目にやはり声による作品。
 あと、いま日本語でどのような情報が流通しているのか分からないけど、このところのtzadikは本当に凄くて、カタログの進展にまったく追いつけない。一方でユダヤ系音楽を連発しつつ、他方で、現代音楽で新複雑派の演奏不可能といわれたクリス・デンクや、継続的なマセダの新録、またアルス・エレクトロニカ受賞者の作品を多数出し、さらにジョン・ゾーンによるイージーリスニングに充分なりうるサントラCDや、色んなプロジェクトをあわせた企画ものまで、ジャンルを問わず複雑な理屈のついた作品を、毎月5枚くらい出している。
 なんとなく少し前にJeremiah Cymerman「In memory of the labyrinth system」を買ってみたが、これがサックスの演奏をマイクロミリ秒に寸断して編集し直すという、全編物凄い作品で、しかも変なメロディが乱入したりしてかなり面白かった(なぜかディスクユニオンだと「加工が適当」とあるけど、ライナーによれば音自体に加工は一切せず、徹底して切り刻んでペーストしていった結果、聞こえる音は大雑把なドローンと同じになった、とある。その結論自体も物凄い)。
 しかもなかなか驚くのは、そうした人たちのCDは、他のレーベルだとほとんど主要な店頭では入手できないこと。上記のRatkjeやラズ・メシナイなど、アルス・エレクトロニカ受賞作さえもがどこにもおいていない。もちろんネットで買えるけれども、それだけだと知っている範囲のものしか情報は手に入らない。やはりジャンルに囚われずに色々な世界に触れるという可能性を考えると、実際面でtzadikはやはりとてもありがたかったり。