近所の自販機がなぜかいつも100円切れなのだが、

 さておき。やはり気温のせいか、まったく年末感をかんじない。都心部も、なんとなく寂しいような気がする・・・いずれにしても21世紀が、こういう社会だとは、50年前の人は想像し得ただろうか。未来感は、皆無。


どれほど知られているのか知らないが、池袋西武のWAVEが年始早々に閉店するとのこと。ただいま、閉店セール中である。ひさしぶりに散財しようかととりあえず3枚ほどCDをつかんでみたが、あわせて780円だった・・・まあ、あれこれと思うこともあるけど、今のうちに行かないと、とにかく店がなくなってしまう。


 ともあれ、いくつか本とCD。
 なんだかんだと、BlacksmokerのCDやCDーRを買い続けている。やはり興味深い・・・というか、もはや単に「変な音楽」の領域に近いものばかりか・・・。
 とくにBBSSという、killer bongとシタールとタブラ(+サックスなど)の変則トリオは、その楽器編成から想像もしないような、整合性などほとんど無視された(?)ような音楽。まるで和製アクションペインティングを音楽にしたような、とにかくいろんな世界が叩き付けられ続ける・・・面白くて、そして自由だ。
 その一方で、いろんな個性が集まっているのも面白い。BABAの「No Credit」とか、ジャズのドラムに、いろんな演奏の一部をループさせていて、いつのまにか三味線(だと思う)に、ジャズのドラムが絡んでいたりする・・・即興音楽としては、三味線と西洋楽器の組み合わせはそれほど意外ではないかもしれないけど、あたりまえのようにこうしたトラックができていると、やはり驚愕。というか、ヒップホップではない、すくなくとも既成概念的なヒップホップではない。


 と呆然としながら、そういえばftarri fesで買ったまま、買って満足していたJohn Butcher, Xavier Charles, Axel DornerのトリオThe Contest of Pleasuresによる「Temptestuous」を聴く。
 これはイギリスのAnother Timbreというレーベルの第一弾らしく、興味津々だったのだが、例によって普通の店頭では見つけられず。あの機会に買ったのだった。音響派・・・というと、わかりやすいのかもしれないが。
 が、中身はやっぱり変わっている。というか、もう電子音ということでイメージするような音は、人力のアコースティックですべて奏でられうるのだという世界で、驚き。ブブブ、とか、ザザザとか。
 そのうえで、全体としてはどこか現代音楽っぽくて、サックス、クラリネット、トランペット三者が、まるで誰かに音を電子的に変調させられているように音をかえながら、絡み合ったり、ノイズめいた奏法をとったりする。なんというか、人力シュトックハウゼンというか・・・すごい緊張感。
 もう音響うんぬんではないのかもしれないけれども、そこからさらに切り開いているというか、切り開いた上で、しっかりと定着させようとしているようなもので、とても刺激的。同じレーベルの他のも、普通に店頭に置いてほしい。


 と呆然としたので、勢いで大友良英、Xavier Charlesの「Difference between the two clocks」。上のと似ているのでは・・・という予想は、思いきり外れた。
 なんなんでしょう、コレは一体・・・とにかくギターとクラリネットがずっと同じように持続音を出している、のだけど、ものすごく変で、凄い。具体的に説明できないのがもどかしいが、ハードコアな作品であることは間違いない。
 変わらずのリリース大量で、とてもここでは追い付けず、まだアノードも「2台のギター」にも触れられていない。ただ、こういうのを聴くと、やはり正しく聴こえないということが重要な気がする・・・どんどん機器が高性能になって、複雑な音の世界が展開できるようになっているのかもしれないが、そのなかで、なお、誰もが同じものをきちんと聴ける正しさを回避しているような・・・つまり、それがノイズなのではないかという、あるいは、そういう形で、音は決して大きくはないけれど、データ化されてデジタルな世界で、新しいノイズをつくり出しているのではないかと言う、そんな気にさせられる一枚。


 あと、まだ立ち読みしかしていないので直接の感想ではないけれど、大谷能生「批評を読む」。冒頭に美術批評家である宮川淳の読解がおかれているのだけれど、それをみて、あらためてなるほどと思う。
 実は以前に、「貧しい音楽」の感想をかいたことがあるのだけれど、そこで僕は、文中の「底の底に降りていく」というような表現を「宗教的」としたことがあった。が、これは間違い。
 この「底へ」というのは、まさに宮川淳の追求したことであることを、そのあとで(岡田温司の「肖像のエニグマ」を読んでいて)気付いた。その意味では、「貧しい音楽」は、まさに宮川淳の美術批評を音楽批評にからめようとした試みとして、読まれないといけないだろう(そのうえで、全体に宗教的なニュアンスがあるかどうかは、また別問題)。
 ということで、雑駁な感想であったことを恥じつつここに追記しておく。