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どうでもいいが、寒い季節である。こんなときは、牛たんなど食べたい気分。根拠はない。ネギなど乗せて。もしくはネギのみでもよいかも。あるいは、よくないかも。


そんなかんじの、今日この頃。



ちなみにどうでもいいが、本屋で音楽雑誌などをながめて今年のベスト的なものを拝見。よくわからないが、世の中には沢山音楽プロダクツがあるものだとおもう。
あとひとつ、あくまで個人的な違和感だが、これだけダウンロードが進んでいて、つまり1曲単位で買ったり聴いたりリスト化したりするのに、評価の方はなぜかアルバム単位でしかないこと。当然だがこういう風になると、たとえばエイケイビイとかは入らない。そのへんに、状況とのズレを感じる。気のせいかもしれないが。


つけくわえると、実はこれは先日の朗読のあとの食事会で、よく知らない人と話したついでに話してみたのだが、やはりエイケイビイの評価がいまいち分からない昨今である。
なおここでの興味は、かなり即物的なものである。具体的には、たとえば一方で音楽の売り上げは下がっていると一般に言われているが、一方でここだけ記録更新しているらしい。とすると、これは一体なんなのか、という問題が素朴なナイーブさで浮かんでくる。
あるいは、それに対して「エイケイビイは音楽でなく産業だ」という仮説がありうるとは思う。が、しかしこれだけ流行ったりしてみると、おそらくかなりの人が、知らずのうちに曲を覚えてしまっていると思うわけである。それくらい流行っているのは間違いないというか、人によったらニホンのミライがそこにあると思ってしまうかもしれないと思えるほど売れているらしい。なんだか大変である。
いずれにしても、ということは、要するにこれは流行歌だと捉えても良いのだろう。よく知らないけどたまにヒヒョー家のひとが「さいきんは誰もが歌える流行歌がない」と断言したりしているのを見たりするけれど、ではそうした観点からしたら、やはりエイケイビイは、単に産業ではなく、音楽ではないのか。などとか。そのへんの位置付けが、よくわからない。


ちなみにこれはあくまで個人的な感想だが、これについてはとくに興味がなかった・・・ただなんとなく「問題」として誰かがどこかに書いてみて良さそうな気がしたので書いただけである。つまりメモ。あと、先日ニュースにプロデューサーが出てきて、はっきりと「産業だ」みたいなことを言っていたので、まあそうかと思う。コンテンツ産業かしら。
というか、ものすごく正直に書くと、本当に一人でおなじCDを何十枚と買っているのだろうか、そのへんが、いまだに信じられなかったりする・・・深くは詮索しないが、あるいはそれはCD屋で買うのだろうか、それともネット通販なのだろうか。そのへんも、イメージできない。困ったものである。いやあんまり困ってないかも。どっちでもいいかも。



どうでもいいが、そういえば鴨とか食べたい今日この頃であった。というか、こういうメモをつけて気づいたが、ワタクシこってりしたものが基本的に好きらしい・・・ソバがいいかしら。



唐突なかんじの疑問シリーズ。大音量の音楽にかんする。
1)そういえば大音量の音楽を妄想しているわけだが、それに関連して前から疑問があるのであった。どちらかというと技術的な。


というのは、ものすごく素朴な疑問だけど、たまにテレビで「スーパースロー再生」みたいなものを見る。あるいはハイスピード撮影というのだろうか。要は、ものすごく時間がゆっくりしたかんじの映像。翼のはばたきが見えるとか、そういうやつである。
で、それとおなじように、ハイスピード録音というのは、あるのかしら。あるいはスーパースロー再生。つまり1秒間に聴こえる音を、たとえば300倍で再生できるとか。そういう技術である。これについては、まったくしらない。



で、要はそういうのがあるなら、サンプリングに使えるではないかと言うことである。そういうスロー再生を用いるみたいな。
たとえばピアノ曲を録音して、スーパースロー再生するとか。ちなみに上記の例だと1秒間が300倍で300秒かかるわけだから、5分間。もしそれで三分間の曲を再生したら、やたら長いことになってしまう。というか、ひょっとしてそもそも曲としては把握できないかもしれぬ。それはそれでいい。というか、そういうのがいい。
で、そういうのを、前に書いたような特殊ジャズで流す・・・スーパースローな和音がどわーんとか鳴っているあいまに、謎の任意の持続音やら偶発的なハーモニーやら即興やらが次々と。


で、そのうえに爆音サンプリングをかぶせて、つまるところわけわかんない、みたいな。そんな音楽。
あるいは、全部かぶせると勿体ないから、たまにオフにしてみるとかでもよい。というか、そのほうがいいかも。爆音が切れると、それはそれで何やらおかしな音楽がおこなわれている、みたいな。しかもスローな和音はずっと続く、みたいな、そういうかんじである。
どういうかんじなのか、よくわからないのだが。



2)ちなみにどうでもいいが、このアイデアは我ながらあまりにも中身がないらしいことに今さらながらに気づいた。あれこれ書いているのに、まったく内容がない。困ったものである。
なので、とくに意味はないが分かりやすさのために名前を付けてみようと思ってみた。さしあたり「中身のない音楽」と言ってみたいところだが、少しだけひねって、これを「音量の音楽」としてみたい。英語で言うとmusic of volumes。
とはいえ、名前を付けたからといって、実のところまったくもって意味がなかった・・・わかっているのは、ひたすらに中身がないことだけである。あるいは、ただ音量だけ。反復も構造も組み合わせもどうでもよくて、ただ大小の音量の重ねあわせだけが全てである。


そんなかんじにしてみた。これを音楽と呼べるのかどうかはよく分からないが、はて。そもそも音楽ってなんだっけとか考えたり考えなかったりしない方が良いとふかく思う、そんな今日この頃であった。
というか、こういうコンセプトの音楽はあるのだろうか・・・あんまり分からないまま適当に進めているが、もしあるのなら知りたいところである。
とかなんとか。



食べ物のことを書いていたら、あまり空腹ではなくなっていた。というか正確には空腹をとおりこしているのかもしれぬ。今からあらためて空腹感を回復したいところだ。いや、別にしたくないかも。どちらでもいいような気がしなくもない。


とか。そんなかんじで、よくわからないが適当に、
つづく。