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どうでもいいが、なかなかに寒い季節である。こんなときは珍しくウォトカなど摂取してみたいものである。別に大量でなくてよい。冷たくてもよい。炭酸などで割ってみてもよい。
さらに意味もなく屋外などで摂取してみるのもよい。冷たい空気のなかで。空の下で。夜空でもよい。
とくに意味はない。どうでもいいが、今年の三月下旬に、諸々のうわさ話によって店頭からアルコール類が消えたとき、残されていたのはウォトカとマッコリとオニゴロシだけであった。だからどうしたわけではないが、ふとそんなことを思い出しつつ、そんなことを考えつつ。冷たい夜空で摂取するものは何かと思えば、このあたりになるかもしれぬ。ならないかもしれぬ。というか寒いだけかもしれぬ。とくに意味がない。
とかなんとか。


そんな今日この頃。今年最後になりそうな、意味のない文章である。



どうでもいいが、最近の予定。とりあえず明日のお昼に、オートモさんとオルウクさんの演奏を見にいく。お昼の部に行ったことがないので、感覚わからず。
あとは来週の土曜日に、コアオブベルズとゲス番長である。よくわからないが、1年くらい前から興味と関心だけあった・・・やっと行く予定。これも、何なのかよくわからないので感覚わからず。つまり何も分からず。というか、いったい何を分かっているというのか、それ自体が分からず。
だからどうしたわけではないが。


そういえば誰も興味を持っていない気がするが、先々週、ササキさんの授業にモグってみた。前後関係が分からなかったが、とりあえずツノダ氏の環境録音を沢山聴くことに。なにか奇妙な授業。その後、質問をしてみたが、サインももらわず、ウ゛ァンデルウ゛ァイザーのことも聞きそびれたというか、なんかド×ューンがあるとかで目の前から消失してしまった。
というわけで、つまるところW学派については何も分からないままである・・・これは来年に繰り越し。
そんなかんじで、あまり年末感のない今日この頃である。




どうでもいいが唐突に疑問を思い付いたシリーズ。「音量の音楽」について。
1)どうでもいいのだが、前回、適当に名前を付けてみたところ、「音量の音楽」と言うコンセプトのもと、無駄な思いつきと疑問が展開してみた。とりあえずメモだけ。


たとえば疑問としては、よくわからないのだが概念として、「ある時間内に出された音量の総量」のような単位と言うのは、あるのだろうか。
つまり単に何デシベルというのではなくて、それが1分間とか続いた場合の、音量の全体量にかんするものである。それがあるのかどうか、よくわからないのであった。あってもおかしくなさそうだけど、エネルギー量に変換とかされてしまうのだろうか。いずれにしても、分からない。



ちなみに、なぜこのようなことを考えるかと言うと、つまりたとえばこうした単位があるとしたら、それで作曲してみようというアイデアである。たとえば全体を5億デシベルだと設定した場合、演奏がはじまって5億デシベル鳴ったらそこで終了、みたいな曲。音量の総量の規定によって、作品とするわけだ。
別のいい方をすれば、しばしば現代曲で「時間」によって作品を決定しているものがあるが(4:33とか)、それを「音量(の総量)」にしてみたらどうか、ということである。で、そのためには、まずそうした音量の総量をはかるための単位がわからないと、作曲できないのであった。
逆に言えばそうした単位がなければ、このアイデア自体がとくに意味ない・・・もともと意味があるのかという問題も存在するわけだが。


そのうえでもう少し続けると、たとえばそうした作曲をしてみたとして、だからどうなるかというのを妄想してみる。と、よく知らないがとりあえず分かっているのは、もし同じ楽譜であっても、それが爆音で演奏されるか弱音で演奏されるかによって、この場合、曲の長さが変わることである。
たとえば図形楽譜を考えると、それを爆音で演奏したら、規定の音量を2分でこえてしまうかもしれない。そうしたらそこで終わりである。一方、それを微弱音で演奏したら、たとえ2時間だろうが10時間だろうが、規定の音量に達するまで演奏を続けなければならない。そういうふうに、同じ楽譜でも長さが変わるわけである。
だからどうしたといわれると、それは全くよくわからないけど。そういうアイデア



というわけで、「音量の総量」のような概念とか単位があるかと気になる昨今である。無いなら無いで、別にそれは問題ないけど。
よくわからないが、こういうことを考えると、なんでもかんでも音楽を「音量」から考えてみるのも良いかもしれないとか思ったり思わなかったり。・・・よくわからないが、音量派、みたいなものだろうか。あるいは音量原理主義とか。もしくは音量還元論者かもしれぬ。そうでないかもしれぬ。というか、そもそも意味がよく分からない。
そう思う今日この頃である。



2)どうでもいいが、ここで考えているのは妄想の音楽であって、どうやら妄想している過程で、いわゆるノイズからは少しズレてきてしまったようである。そのあたり、簡単なようで難しい。
というか、ずっと大音量の音楽というコンセプトで進めてみたが、実のところ、ノイズというのは単に大音量だけには、おそらく限らないように理解している。他にも色々な要素があり、そうした要素を踏まえた上で議論をする必要があるかもしれない。


で、ただしそれはけっこう難しい・・・たぶんジャンルも違うし、地域も違うし、あといわゆる思想的にも全然違うひとたちが、けれどなんとなしにノイズと言う形ですれ違ったりしていたような気もする。詳しくはよく知らないが。それに対して、たとえばジャンルや地域性や思想性からだけ踏み込んでも、おそらくノイズの形は見えないのかもしれない、とか思ったりする。とりわけ、なんとなくだが思想性のカベがけっこう高いかもしれない・・・つまり実際の音よりも思想を優先して論じることで、それはそれでいいのだが、そうしてしまうと上記のようなジャンル混交の状態については取り逃がしてしまうような気がする。別に取り逃がしても良いのだが。というか、そもそもこれについては聴くことのできない音源が沢山あって、把握できないような気もする。
では、どうすればいいのか。それはよく知らぬ。とりあえず問題だけ。



というわけで、空腹である。ベーコンなど食べたい次第だ。分厚いのがよい、カリカリで。ポテチを大量に添えて。もしくはシシトウなど食べたい。天麩羅か。天麩羅だったら、あるいは春菊などもよろしい気がする。
そんなかんじの今日この頃。




というわけで、つまるところ、あまり意味のない文章であった。なるべく意味がないようにしたかったのだが、ひょっとすると意味が発生してしまったかもしれぬ。だがそれがどんな意味で、どんな文脈におさまるのかは、これを読んでいるあなたに委ねたい。
と、そのように深く思う今日であった。そのようにというのが、どのようになのかは、やはりよく分かっていないのだが。



というわけで、とりあえず適当なかんじで、
つづく。