札幌国際芸術祭おぼえがき3

パイクから始まって(フルクサスを経由する)21世紀への旅。


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札幌国際芸術祭2017でまだ情報出てないヤバいイベントはまだまだありますが、とりあえず9月2日の刀根康尚「AI DEVIATION」は強烈にオススメします。複数の刀根AIによるライブ。60年代からの実験に時代が追いついたと感じます

1935年生まれ。作家、批評家、作曲家。1960年代初頭、「グループ・音楽」を共同で設立。1962年よりフルクサスで活動。1972年より渡米、ニューヨークやヨーロッパにおいて電子音楽の実験的な動向を巻き込みつつ、数々の重要なイベントを主催、参加する。「パラメディア・アート」という概念を提唱、作曲家として、電子音楽、コンピューターシステム、映画、ラジオ、テレビ、環境芸術といった多様な領域で作品を発表。



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ジョン・ケージの《ミュージサーカス》について —足立智美(インタビューより)

2012年11月1日
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—《ミュージサーカス》って?

今回、足立区千住にある東京都中央卸売市場足立市場(以下、足立市場、市場)で、ジョン・ケージの《ミュージサーカス》を演奏します。この《ミュージサーカス》は、さまざまな演奏者やパフォーマーが、会場の各所に配置され、そこである決められた時間に、それぞれの独自な演奏・パフォーマンスをし、それを観客・聴衆が自由に観て、聴いて回るというものです。

わたしは、以前にも《ミュージサーカス》に関わったことがあるのですが、その時は室内で演奏しました。その時の経験から、これは閉ざされた空間でやるのではなく、屋外でやるのが適当なのではないかと思っていました。たまたま、昨年、「アートアクセスあだち」で、わたしの作品《ぬぉ》を足立市場で演奏した時に、場所による残響、反響の違いがあるここが、《ミュージサーカス》の演奏には適当な場所だと気づいたのです。

実は、《ぬぉ》の前半部分などは、《ミュージサーカス》を意識してつくったので、形としては似かよっています。つまり、市場内の各所に散らばった演奏者が演奏をするのです。ただ、最後には演奏者が1か所に集まってきて終了します。

《ミュージサーカス》では、人と人がいっしょの時間を共有はしますが、お互いはバラバラなピースのままで、そこには「関係」がないわけです。一般的な音楽演奏の、「いっしょに何かをやる」という要素がまったくないのです。つまり「音楽の喜び」としてこれまで考えられてきたもの――たとえば、「ここがうまくできた」というカタルシスや達成感のようなものは、《ミュージサーカス》にはないかもしれません。

リハーサルもしない。会ったこともない人たちが集まって、他の人たちが何をやっているかにはまったく関係なく、それぞれが「自分のやるべきこと」をやる。「なんで自分はここにいて、これをやっているんだろう」という疑問さえ浮かんでくるのです。ですから、そこでは「精神力」が要求されるのです。それはまるで修行のように思えるかもしれません。

演奏者・パフォーマーと聴き手の「体験」は、かなり違います。演奏者・パフォーマーは、他のパフォーマーの音が聴こえていても、聞かないようにしなければならない。ところが、聴き手はそういうことを考える必要はないので、気楽です。その落差は非常に大きいのです。となりどうしの演奏者・パフォーマーは、その演奏・パフォーマンスに関して「競争」する必要はまったくありません。お互いに競争してしまうと、一つの方向性、関連性が出てきてしまうからです。同じ場所にいるけれど、お互いは独立している。それが「世の中」というもののモデルだ、とケージは言っています。


—「作品」ではなく「アイディア」

《ミュージサーカス》は、1967年に発表されました。もともとは、それ以前のケージ自身の作品を同時に演奏するというものでした。ですから、最初のころの《ミュージサーカス》は、ケージの作品のみの演奏から成り立っていましたが、次第にアイディアが広がっていき、やがて、誰のどのような作品を演奏してもいい、どんなパフォーマンスをしてもいい、ということに変わっていきました。

《ミュージサーカス》には、いわゆるスコアなどの「楽譜」はありません。説明や指示を記したいくつかの文章があるだけです。

“Some years ago … we gave a Musicircus … in a large gymnasium. We simply had as much going on at
a single time as we could muster. And we exercised no aesthetic bias. … You should let each thing that
happens happen from its own center, whether it is music or dance. Don’t go in the direction of one thing
‘using’ another. Then they will all go together beautifully (as birds, airplanes, trucks, radios, etc. do).”
John Cage
“何年か前、ミュージサーカスを大きな体育館でやりました。私たちは単に集められる限り多くの事柄が
同時に進行するようにしました。そして美的な好みを介入させませんでした。音楽であれダンスであ
れ、あなたのすべきことは、すべてがその中心にあるように、物事を起こるがままにしておくというこ
とです。他の人を「利用する」ような方向にいってはいけません。そしてすべては美しく共存していく
のです(鳥や飛行機やトラック、ラジオなどがそうであるよう。)“
ジョン・ケージ(訳:足立智美

ですから、《ミュージサーカス》は、「作品」というよりは、「アイディア」と言ったほうがいいでしょう。

また、「サーカス」という言葉は、「曲芸的な何かを見せる」ということではなく、「演目が同時に何か所でも進行する」という意味です。たとえばレストランで、自分のテーブルではこういう話をしているけれども、隣りでは違う話をしている。隣りの話を聞こうと思えば聞くことができる。そういう状態のことです。また、現代の東京では、各地で演奏会がたくさん開かれていますが、その「壁」を取り払ってみよう、というような考え方に近いのです。

演奏者・パフォーマーは「会場の各所に配置され、そこである決められた時間に演奏・パフォーマンスをする」のですが、その開始時間、演奏場所は、基本的には、サイコロのような、偶然に左右されるもので決めます。

今回はまず、足立市場の構内図(地図)を用意しました。この地図中の、使用可能な範囲の中に、1から64まで、64個の数字を振ります(図参照)。この数字の位置は、足立市場の構造を勘案して、観客・聴衆が入って行きにくいような「死にスペース」ができないように、私が考えます。

ちなみに、「64」という数字は「易」の、「八卦」を二つ重ねた「六十四卦」に基づいています。そしてコンピューターで「乱数」を発生させ、それを使って、その64個の中から演奏者・パフォーマーの配置を決めていくのです。位置が決まったら、次に、それぞれの奏者がどの時刻から演奏を開始するか、ということを決めます。これも、全体の時間、つまり今回は2時間を64分割して、1コマあたり2分弱という単位で分けて、どこから始めるという時刻を乱数で決めます。

ですから、ある時間帯のある場所では誰も演奏していなかったり、逆に複数のグループが同じ場所で同時に演奏している、という状況も生まれるのです。


—楽しいことをやりたい

参加者(演奏者・パフォーマー)は、プロフェッショナルであるかアマチュアなのかは問いません。それは、先ほど言及した指示書の中に演奏者に関する指定がないからです。演奏・パフォーマンスをするのは大変ですが、逆に、誰でもできるのです。それはたとえばケージの《4分33秒》の演奏は誰でもできる、ということと同じです。

一般的に「音楽」は、快楽であったり、記憶と結びついたりという、情緒的な面が大きいのですが、それとはまったく異なる世界が世の中にはある。しかしそれを音、音楽でつくることができれば、その喜びを共有できる可能性がある。それは、実際にやってみなければわからないのですが。そういう感覚が見つけられればいいと思います。演奏者自身が楽しんで演奏・パフォーマンスをしてもらえれば嬉しい。辛気臭いこと、まじめくさったことはやりたくない。祝祭的で、賑やかで、少し非日常的で楽しいものをやりたいのです。


—楽器があまり弾けなくても音楽はできる

わたしは小さなときから楽器をやっていたわけではなく、ピアノをほんの少しだけ習いに行っていたことがある程度です。しかし、中学生の終わりくらいに、自分は音楽やる、ということを決めて、それからピアノの練習をまた始め、その後、吹奏楽部でパーカッションをやり、エレキ・ギターを買い……と、同じ楽器を継続的にやるということがなく、どの楽器も上達しませんでした。

けれども、音楽というものは、楽器があまり弾けなくてもある程度はできるのだと思います。わたし自身、音楽家になるためのプロフェッショナルな訓練は受けていないけれども、音楽家になりました。

《ミュージサーカス》でも、去年演奏した《ぬぉ》でも、基本的には楽器がうまくなくてもできるのです。その人のレベルで演奏できればいいし、それでも出てくるものはプロがつくる音楽には劣りません。

わたしは、今回の《ミュージサーカス》を含めて、「そろわなくても面白い音楽」をつくりたいのです。一人ひとりの人間が生み出す音が違うのは当然なので、そのさまざまな音が同時に鳴ることで、それが豊かな響きを生み出すような音楽をつくりたいと思います。

誰のほうがうまいだの、へただの、と言うけれども、誰でも時間をかけて練習すればうまくなるし、誰でも高い楽器で弾けばいい音になったりするのです。つまり、時間と金の問題に過ぎなかったりする。楽器のうまい、へたはどうでもいいことなのです。

 (インタビュー/構成 早川元啓)



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フェスティバルFUKUSHIMA! 2012
Flags Across Borders
2012年8月15日(水)〜26日(日)

2012年、今年の『フェスティバルFUKUSHIMA!』は8月15日から26日までの12日間、福島県内のみならず、国内・海外各所での100を超えるフェスティバルの同時多発開催を目指します。フェスと言っても個人で出来るようなささやかなものから、いくつものバンドが出るような大きなフェスまで、音楽以外にも、アート、演劇、映画、ダンス、パフォーマンスといった様々な表現、対話やトークセッション、シンポジウムやスクールまで、形にはこだわりません。

今年のテーマは「旗」。タイトルは『Flags Across Borders』(旗は境界を越えて)です。Fukushimaをめぐっては、これまで多くの人びとが対立し、自分の「旗」を立ててきたように思います。でも、そんな旗という旗を一堂にはためかせたらどうなるでしょう。わたしたちは想像します。無数の旗は立場の違い、境界線、国境を越え、わたしたちを結びつけてしまうのではないかと。

同時多発的に展開されるフェス、無数の旗、これらによって何が起きるのか、やってみようじゃありませんか。

「未来はわたしたちの手で」。これは昨年同様わたしたちの変わらぬ思いです。この思いに、みなさんが自分の思いを重ねてゆくことでより大きな広がりとなりますことを。


8月15日 オープニング
「Flags Across Borders」

福島市内の駅前通りを中心とした区間で、午後3時から5時の間(予定)、旗とオーケストラのイベントを開催します。昨年「四季の里」に敷かれた6000平方メートルの「福島大風呂敷」を使って、何百、何千という旗を作ると同時に、大風呂敷が市内の各所に敷かれ多数の旗が掲げられます。旗はひとつとして同じものはありません。形も柄も自由なら、なにを書き込んでもいいし、なにも書き込まなくてもいい。カラフルな大風呂敷が街を彩る中、旗をもった1000人を超える人たちが福島市内の商店街を埋め尽くすところからフェスがはじまります。オーケストラは昨年「四季の里」で行われた「オーケストラFUKUSHIMA!」のさらなる拡大版(目標参加者数:数百人)を目指します。音の出るものさえもってくればオーケストラにはどなたでも参加できます。今年は見るフェスティバルではなく、誰もが参加でき、会場にいるみなが出演者、そんなフェスティバルを考えています。


8月15日〜26日 
「世界同時多発フェスティバル」

あなたも自分の手でフェスティバルを企画してみませんか。
この期間中は誰もが『フェスティバルFUKUSHIMA!』を開催出来ます。形も大きさもこだわりません。大きなフェスである必要はありません。ライブハウスやクラブでのイベントから、身近な場所でのささやかなパーティートークセッションまで、あなたに出来る等身大のものでかまいません。
条件は3つ。「Fukushima!」をキーワードにすること。8月15日のオープニングで使われた旗、または自分たちで作った旗をなんらかの方法で掲げること。そしてわたしたちのサイトでエントリーすることです。
公式サイトでは、各地のフェスの様子が逐一見れる仕組みを工夫する予定です。エントリーは随時受け付けます。期間も多少前後してもかまいません。福島に住んでいる人たちも、福島から別の場所に移った人たちも、福島に直接縁がない人たちも、これを機会に何かをやってみませんか。わたしたちもこの期間は「旗」とともに各地を駆け回ってみようと思っています。ひとつひとつは小さいけれど大きな広がりをもったフェス、そんなことをわたしたちは考えています。


8月26日 クロージング
「マッシュルーム・レクイエム」

福島市の「四季の里」とジョン・ケージ生誕100年を記念したイベントが行われている東京のサントリーホールを映像で結んでの公演です。夕方から日没にかけて四季の里では、きのこの形にならべられた何万本もの光るオブジェが灯り、美術家・遠藤一郎や千住フライングオーケストラの手による何百もの光を放つ連凧が上空に舞う中、200名を超える「オーケストラFUKUSHIMA!」のメンバーにより大友良英作曲作品「マッシュルーム・レクイエム」(Mushroom Requiem)の演奏が行われます。基本はFUKUSHIMAのF(ファ)の音と、ジョン・ケージJOHN CAGE)のC(ド)の音のみで構成。この映像は「DOMMUNE FUKUSHIMA!」によりリアルタイムに東京に送られます。サントリーホールでは福島の演奏に呼応する形で会場内に投影される福島での演奏にあわせて、参加者により「マッシュルーム・レクイエム」の同時演奏が行われます。これはジョン・ケージの作品「ミュージサーカス」(Musicircus)の一部にもなっていきます。さらに、これらの配信映像を使って世界各地での同時多発演奏も目指します。複合的なアイデンティティをもった作品が様々な境界線を越え、福島から世界に響きわたります。

※『マッシュルーム・レクイエム』については日程と場所は決定ですが、内容や時間帯については今後多少変更される可能性もあります。6月中には詳細を決定し、あらためて発表する予定です。


福島駅前や四季の里の放射線の問題についてのわたしたちの考え方

福島市の駅前の野外の放射線量は0.5〜1μSv/毎時程度。これは福島第一原発事故前の数倍〜十数倍程度の線量です。四季の里は0.2〜0.6μSv/毎時程度。これも決して自然の状態ではありません。そして、ここに多くの人を集めることに賛否があるのも事実です。わたしたちも「安全」という言葉は使いません。

そのようなときに、ここには来たくないと思う人がいるのも事実だと思います。わたしたちはその気持ちを否定するつもりはありません。怖いものは、誰になにを言われようと怖いですし、リスクを減らしたいと思うのは当然の気持ちであると思います。わたしたちは、実際にFukushimaに来るかどうかが一番大切なことではないと思います。Fukushimaという場所を超えて、人びとの輪が広がってゆくことを望んでいるのですから。

ただ、もしFukushimaのことを思ってくださるのであれば、忘れないでいてほしいことがあります。それは、ここで暮らしている大勢の人たちがいること。そして、日常をおくる中で、自分たちが置かれている現実を充分に理解した上で、この現実に立ち向かおうとしているということをです。放射線の問題をどのように考えるにせよ、Fukushimaに来るということは、そのような人たちに会いに来るということなのです。


出演:オーケストラFUKUSHIMA!、大友良英遠藤ミチロウ和合亮一坂本龍一二階堂和美テニスコーツU-zhaan勝井祐二、遠藤一郎、中崎透、アサノコウタ、ハタさん、千住フライングオーケストラ、フラッグ・アンサンブルズ ほか



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2017年への旅。


Circus without Circus - Yuko Mohri 毛利悠子個展−沒有馬戲的馬戲團

Project Fulfill Art Space 就在藝術空間
2016/07/16 に公開


Project Fulfill Art Space is honored to invite renowned Japanese artist YUKO MOHRI to participate in our June exhibition. Circus without Circus will be her first solo exhibition in Taiwan.


The title of this exhibition discloses the kernel idea of Yuko Mohri’s current creation, which is inspired by Musicircus, a piece created in 1967 by John Cage. To create this piece, Cage brought together several musicians of different genres (e.g. piano, vocal, electronic, dance, etc.) and made them perform at the same time. Although the layout of this “orchestra” was well-coordinated, the performance was, in appearance, unorganized and aimless. Yuko Mohri used to present one artwork at a time in previous exhibitions. However, in Circus without Circus, the artist takes a trot through her oeuvre. She will assemble several previous installations and establish ties among them to create a circus. It is a breakthrough of her creative pattern and a refining of her oeuvre. This solo exhibition at Project Fulfill Art Space will thus be an important challenge and a turning point for Yuko Mohri.


(by google translator
この展覧会のタイトルは、John Cageによって1967年に作成されたMusicircusからインスパイアされたMohri Yukoの現在の作品のカーネルのアイデアを公開しています。 この作品を制作するために、Cageはさまざまなジャンルのミュージシャン(例:ピアノ、ボーカル、電子、ダンスなど)を集め、同時に演奏しました。 この「オーケストラ」のレイアウトはよく調整されていましたが、そのパフォーマンスは外観上、未編成で無意味でした。 モリユウコは以前の展覧会で一度に1つのアートワークを発表しました。 しかし、サーカスのないサーカスでは、アーティストは彼女の作品を見ている。 彼女はいくつかの以前のインスタレーションを組み立て、サーカスを作るために彼らの間のつながりを確立する。 彼女の創造的なパターンの画期的なものであり、彼女の作品の洗練です。 このプロジェクトの充実したアートスペースでの個展は、モウリ裕子にとって大きなチャレンジとなります。)



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就在藝術空間六月份展覽很榮幸邀請到日本知名藝術家——毛利悠子(Yuko Mohri),這是她首次於台灣舉辦個展,展覽命名為「沒有馬戲的馬戲團」(Circus without Circus)透露出毛利悠子本次的創作核心,靈感來自於約翰・凱吉(John Cage)於1967年創作的《音樂家們》(Musicircus),他邀請了不同類型的音樂家齊聚一堂同時演奏,包括鋼琴、聲樂、電子音樂、舞蹈等等,儘管位置經過安排規劃卻呈現一個漫無目的演出狀態。毛利悠子的展覽往往一次只展出一件作品,但在「沒有馬戲的馬戲團」中,藝術家重新審視自己作品,將於畫廊空間中集合數件過去不同的裝置,串聯組構成一個馬戲團,突破以往的創作形式並且嘗試讓他們變得更加精練,本次於就在藝術空間的展出對毛利悠子來說將是一個重要的挑戰及轉折點。