大友良英 presents: New Music Conference

先週の金曜日に、明大前のキッドアイラック・アートホールにイクエ・モリ、Sachiko M大友良英の「ニュー・ミュージック・カンファレンス」にいってきた。
僕はずっとCDで音楽をきいてきたクチだ。つまりは頭でっかち。オフサイトにも2回しか行かなかった。いまおもえば、もっといっておけば良かったと思う。あれこれの整理が一段落して、最近やっと現場に足を運んで生で見ると、やっぱり全然ちがうからだ。とくに実験的な要素の強い音楽は、そもそも音の質感そのものがCDとはかなり違うし、生で聴いた方がだんぜん美しい。Sachiko Mのサイン波なんて、実際はとても耳に柔らかく聞こえるし、とても攻撃的な音楽とは思えない(いや、たぶん物凄い爆音でやられたら頭がおかしくなるくらいのパワーがありそうだけど)。だからフィラメントとか、オフサイトでみた人たちを嫉妬するくらいだ。うらやましい。情報が溢れ、CDが気軽に買える世の中だと、逆にこうやって直接みにいかない人も沢山いると思う。もしそういう人が、たまたまこの文章を読んだら、ぜひ一度で良いから生で見ることをお勧めする。とくにインデペンデントな音楽は、演奏家と客席の距離がとても近いし、みている側の勝手な思いこみかもしれないがすごい緊張感。成功か失敗か、予定調和ではない興奮もあるし、やはり素直に感動もできる。と、まあ、そんなこんなで、オフサイトには行けなかったけど、いまからでもやっぱり面白いものを間近で聴きたい、と思い、なにしろ面白そうなので実は初めてキッドアイラックにいってみた。
その結果、とりあえず道に迷ったのだった。どうでもいいかもしれないけど、ホームページにある地図、みずほ銀行との位置関係がややおかしいと思う。明大前には行ったことがあったので、やや早めに到着して、場所を確認してから駅前のドトールで休んでいこうとかんがえていたのだが、どうしたことかグルグル同じ道を回ってしまった。途中、同じく髪がやや長い若者と女性のカップルと鉢合わせし、たぶん彼らも迷っているのではないかと思っていると、グルグル回っているあいだに7回くらいもすれ違った。旅行帰りで身なりがボロボロだったので、怪しい人物と思われたかもしれない。結局、彼らがわかったらしく、後をこっそりつけていくと、すぐに発見。こんな大通りとは。中も予想外に狭くて、少しびっくりしたりした。
で、三人が登場。CDだけを聴き漁ってきた頭でっかちには、イクエ・モリなんて伝説だ。最近も「Hemophiliac」とか「コブラ」のデレク・ベイリーが出ていた曲とかで、個人的にはもう凄かった。ジャケットやオビの写真を見るとかなり不思議な雰囲気のようだったけれど、本人を近くでみると、背筋がすっとして落ち着いた雰囲気の、変な比喩だけど小学校の校長先生のような人だった。で、三人の演奏が始まった。
一曲目というか1st setは、正直に言うとよく分からなかった。なんというか、手探りをしている感じに見えた。三人ともノイズといえばノイズだけど、全員ちがう。イクエ・モリはラップトップでキュルルーンとかダバババとか、うまく表現できない独特の音を出し、大友はターンテーブルを回しながらそこにマイクやネジめいた器具を当てたり、手で叩いたりしてやや静かめの音を出していて、Sachiko Mはサイン波を断続的に出したり、ピーと流したりしていた。それを聴いて、見ながら、最初は誰がどの音とか妙な好奇心であれこれ見ていたのが悪かったのかもしれない。
それに注意力が途中で切れそうになってしまったのも事実だった。途中の出入りが多く、しかも最後に入ってきた人が端に座って、酔っているのか何か喋っていた(「これおもしろいの?」と聞こえた)のだった。一瞬、誰かのサンプリングかと思ったが、もう一度言葉が繰り返されると、大友がものすごい目でそのおっさんを睨みつけ始め、さらに二人の奏者にもそのままの眼力を送り、明らかに音量を大きくしだした。イクエ・モリもちらちらおっさんを見たりして、一触即発感にボルテージはあがったが、演奏にたいしてはすっかり集中力が拡散してしまった。「バ  ング  ント」の初日もそうだったけど、ヤジには慣れているのかもしれないがSachiko Mは決して客の方を見ないけれど諦めたような表情のように見えて、あのときは「消失」をテーマにした社会性もある展示の中で、演奏が客の無理解のせいで消去されてしまうという東京の田舎ぶりを実感させられた(もちろんそれが作曲者奏者の本意でないことは前提のうえで)が、今回はこの狭いスペースでその姿を見ていると、すこし悲しくなり、そのおっさんをつまみ出したい気分になったことは間違いなかった。
そんなこんなで、三人それぞれが色々と試しながら、なんとなく時間が過ぎていってしまったという気分だった。なにか意図的な試みがあったのかもしれないが、それに気づく前に演奏が終わってしまった。頭でっかちには三人ともスターだけど、今回は少し残念だった。
というのは間違いだった。小休止を挟むと、おっさんは消え、客席もすこし空いていた。そのせいか、なんとなくリラックスし、ゆったりと集中して次のイクエ・モリと二人それぞれのデュオを聴けた。そしてどちらもとても良かったと思う。
最初のイクエ・モリ+Sachiko Mは、実はまったくおぼえていない。ラップトップによる礫のような細かい音や植物が水を吸っているような音、金属的な波打つような音、そこに断続的なサイン波がバチバチ、ピーと交ざって、起承転結どころかストーリーなどまったく見えないまま、そのまにまに聴いてあれこれ驚いていると、いつのまにか終わってしまった。演奏は即興だったと思われる。音もノイズ、というほどの大音量ではなく(たまに瞬間的に大きい音があったけれど)、奏者二人ともまったく感情をみせず機器をずっと見ているだけで、さまざまな音色が次々に現れて、また現れて、また現れて、いつの間にかピーッというサイン波が聞こえていてびっくりしたりしていた。
ここではじめて、これまでCDでしか聴けなかったイクエ・モリの音をじっくり聴くことができた。ラップトップの音楽、というのは見た目がいまひとつ分かりにくく、僕がこれまで見てきたのは「なにか色々動いているけど、それが音とどう繋がってるの?」というのが多くて、あとはモニタの関係かもしれないけれど音がすべて平面的に流れていてライブ感が感じられず、どうにも落ち着かない気になったものばかりだった。それに比べると、片手をラップトップに、片手をもう一つの操作台に置くイクエ・モリは、両手をそれぞれ動かすと、音が即座に次々と変化していき、観ている側にするとかなり面白い。上述の比喩をそのまま使うと、じっと動かずパソコンを注視したまま、両手だけを素早く動かすところは、なんだか小学校の校長先生がものすごい手慣れた業でコンピューターゲームマリオカートとか)をしているところに見えた。
他方でその音は、物質的というか、なにか鉱物みたいなものが降ってきたり、くねったり、動いているような独特の質感があって、それらがどんどんどんどん出てきて、しかしめくるめく万華鏡というほど派手派手しくなく、手法を見せつけるというような構成で攻めるのでもなく、なるほどこれは「迷路」というCDを出すと思わせる、音色をじっくり聴かせながら、にもかかわらず次々にそれが変化していくという感じだった。ただ、いずれにしろ音はきわめて視覚的イメージに換言しにくい。する必要もないのかもしれない。そこにサイン波の演奏が入ってくると、もう飽きもせずにじっと見ていたのだった。
そんなこんなで、演奏そのものはほとんど何も覚えていない。言語化や頭の中での再現が、すくなくとも僕には難しいものだった。しかしその場その場の音に耳を澄ますことができて、なにより演奏に興奮したのだが、いずれにせよ表現できないので仕方がない。このデュオのCDが出たらたぶん買うと思う。
と思ったら、次の大友+イクエ・モリは、もう全然ちがった。物凄い轟音だったし、とくに始まっていきなりターンテーブルが回り始め、ドローン的なズズズズという音が聞こえたと思ったら、すさまじい重低音が(たぶん)ラップトップの操作から出てきて、耳がおかしくなった。そこからさらに激しい音の出し入れがあって、大友は釘みたいのを投げたり剥き出しのコードを接触させたりして、フィードバックはなかったけどかなり慌ただしかったし、対してイクエ・モリはかなり素早く手を動かして、大音量で鼓膜に突き刺さるような激しい音を複雑に操作していた。マリオカート格闘ゲームかシューティングに変わった、とか思ったのを覚えている。半ば無秩序の大音量になるとそれだけで興奮する、というのが良いのかどうかはわからないけれど、バチバチバキバキいう演奏に、さっきとは全然ちがう意味でうっとりしてしまった。最後もノイズのまま突然バチっと終わって(あれはストップウォッチでコントロールしているのだろうか)、かなりかっこよかった。こちらは録音の編集が進んでいるそうで、もっと色んな演奏が聴けると思うと楽しみだ。
そんなこんなで、終わる頃には何かの飢えが満たされたような気分になった。これがこの三人の最良の演奏なのかは、よく分からない。ひょっとすると、それぞれの演奏のかなりの違いは、観客の期待を満たしてくれるためのサービスだったようにも思える。欲をいえばトリオであと三分だけで良いからもう一度最後にやってほしかった(何しろ前半がおかしな感じだったので)けれど、いずれにせよ録音だけを聴いてきた演奏を、生で見るのはかなり面白かった。下旬にもう一回くらい、どこかに足を運びたいとおもうけれど、とりあえず記憶しておくための手がかりに、この文章を残しておく。