変わる

選挙結果がすさまじいことになった。
驚くほどの自民党の大勝だが、一週間たったいまも、まだ納得できるような勝因の説明を聞いていないのは、僕の不注意なのだろうか。すくなくとも私見の限り、今回の選挙に、おおくの評論家は口をつぐんでいるように思われる。このこと自体が驚くべきことだ。
この結果が、今後どのような意味づけをされ、位置づけをなされるのかはわからない。しかし、現時点での感想として記しておくべきと思うのは、この大勝の理由が判然としないということに尽きる。所得ごとの投票行動分析など、今後なされるのだろうか。公明党支持者の票があったとはいえ、かなりの無党派層が動かなければこれほどの大勝はありえないだろう。選挙活動中、当初は「刺客」騒動があり、そして中盤以降、自民やや不利とさえ憶測された結果が、結局は自民党過半数にいたった。
そしてすくなくとも今、その理由といって考えつくのは、ことの是非を別にして、どうやらかなりの数の人々が「改革を止めるな」というメッセージに、かなり素直に反応し、そしてそのまま選挙戦の言論に左右されず、投票日の9月11日までかなり素直に支持したらしい、ということしかない。
そしてもう一つ重要なことは、この結果によって、もはや小泉政権をギャグとかコントとか言えなくなってしまったということだ。自民単独過半数、与党で全議席の3分の2を占める状況はいささかも冗談ではなく、しかも、場合によっては今後、なにをしても可決されるという結果さえ導くことになるかもしれない。この結果は、ブラックユーモアを抑圧させかねないほどの力があるようにも思われる。抑圧させてはいけないのは無論だが。
この政治情勢は、今後の日本に徐々に、しかし確実かつ急速な変化をもたらすかもしれない。すでに民主党は若返ったが、なぜかやたらと好戦的な雰囲気で(スローガンが「闘う民主党」である)、菅・小沢のせいで隠れていた部分が露呈してきたようだ。
この選挙をマルクス的なボナパルティズムの変種と見るか、サッチャー主義の復権と見るか、評価は今後に任せるしかなく、これからの政策もさしあたり政権に委ねられた形だ。
しかしなによりも、このあっけなさ、あっけからんとした、理由の不明な勝利という2005年9月20日現在の感想を、ともすれば忘れられかねないので記録としてここに残しておきたい。