切り貼り

一度書いた文章を切り貼りする。並べ替える。これはワープロ導入以後の書き方だろう。並べ替えるとまた新たな文脈が生まれ、新しい考えが浮かぶ。メモの集積が一つのブロックをつくっており、ブロックが集まって一つの節をつくり、節があつまって章をつくる。そのそれぞれで入れ替え、考え直し、書き直す。ただしく強調されるべきはどの点で、弱めるべきはどの点か、繰り返し点検してゆく。
ストーリーをつくる、というのは、そのテキスト内部の時間を操作することに等しいのではないか、と思う。それはナラトロジーとしての物語論というよりは、『映画I, II』で展開されているような、時間が前後したり切り替えされたり、停止したり速くなったりする、そういう時間そのものの動きのようなもの。それを操作している。前後関係を入れ替えたとき、まったく違う文脈が立ち上がってくる。
時間に対する認識というものについて、あまりに勉強をしていない。
時間が進むと、交換がすすみ、贈与がなされ、利潤がうまれたり、さらなる贈与が円を描いたりする。資本が投下され、株が変動し、売買が進行し、労働がなされる。材料が変形する。その対価に何かを得たり、何かより少ない何かを得たり得なかったりする。砲弾が放物線をえがき、樹木が枯れ、快楽を得、快楽を失い、飢え、満たされ、産まれ、死に、葬り、生殖し、排泄し、移動し、停止し、話し、聴き、記憶し、忘れ、使い、棄て、殴り、・・・・・・そのあとに何か残ったり、残らなかったりする。形としては残らなくても、かぎ爪の痕の傷のように、形跡だけが残ったりもする。時間を遡ることはできないが、未来が過去にやってくることはある。計画、ユートピア、理念、理想、恨み、呪い、過去を未来に投射し、未来を現在に招こうとし、未来を過去へ召喚し、そこから現在をあらたにつくりなおそうとする。四次元などではなく、三次元でさえも時間は循環し、しかしたいていの場合、その未来は現実の未来にはなりえない。だがその未来をめぐって、だれもが争い、なにかを求め、新たな未来をまねこうとする。過去が背後から、あるいは周囲から襲い、挟み撃ちにあう。唐突に出会うこともある。交換し、話し、奪い取り、すれちがう、繰り返しのようだが、繰り返しのようにみえたとしても、二度と繰り返されることは一つもない。これらは時間のひとつの働きにすぎない。
話者はそこに介入する。暴力をもって介入する。