『基底材を猛り狂わせる』。デリダをこの本から読み始めたために、真面目で正しい知識人としての主張や、粘り強く否定神学に近い議論をすすめてゆくという哲学者のイメージがなかなか落ち着かなくなってしまった。いろいろな議論があり、いくつもの概念が飛び散るように組み込まれていて圧倒されるが、なによりもこのようなテクストを書ける人がどれくらいいるのか。一言でいえば変態としか思えない。ネットというのは放送禁止用語がどこまで使えるのだろうか。アルトー論なのだが、とにかく「膜」を中心とした生殖行為関係と排泄物関連の言葉が頻発される。いつか権威的な出版社の文庫になったりするのかもしれないが、これを読んでデリダなる人物が20世紀最後の四半世紀を代表する哲学者だと、未来の人々は納得するのだろうか?そういえばチャレンジャー教授がおかしくなっちゃう本もあったけれど、あの本も偉大とみられるのか?
基底材を猛り狂わせるのは誰なのか、基底材が猛り狂うのはなぜなのか、そして基底材とはいかなる存在なのか。それはどこにあるのか、誰なのか。そもそもアルトーとは一体何なのか。何が猛り狂っているのか?
途中で議論がすり替えられているような気がしないでもないけれど、気になって結局また読み直すことになったりしてしまう。そのうちにこちらが猛り狂わされていくのかもしれない。もしそうなら、もちろんそれが本望だ。