いつのまにか年を越して

久し振りに日記を書いてみよう。ここ2ヶ月ほどずっと書いていた。まだ書き終わっていない。こんなに粘るのは珍しいらしく、周りの人にはほとんど白眼視されかねない勢いなのだけれど、どうも性格のようであることに、最近気づいたりしている。あと1週間ほどしかないけど、でもなんとか終わりそうだ。
頭の中ではボルヘスグリーナウェイのイメージがぐるぐる回っている。彼らの作品は、とても嫌いであり、とても好き。作品自体が死体のようで、ハードボイルドや推理物の乾いた影響を受けているように見えつつも、もともと資質としてああいう作風になっちゃうんじゃないかというところが、捻れた感想をもつところだ。ヘミングウェイとか、小学生で読んだときなど、ハードボイルドなどといいつつ、ホラーかスプラッタにしか思えなかったし、今も思えない。ああいう、翻訳しても伝わる気色悪さと、それに拘る異様さは、ボルヘスとかには感じない。知的な操作が前面に出ているというか、語りながらも自分でそれを冷笑的に説明してしまう、一人二役ができてしまう語り口が、好きでもあり嫌いでもある。
この2ヶ月ほど、うちに籠もっていたのでギャラリーも美術館も、あるいは小説も全然あたらしい刺激をえていない。唯一、12月10日の大友良英ニュージャズオーケストラのライブに行ったのだけれども、いまやものすごい評判で、素人の僕の感想が出る幕はないだろう。大きい会場で、かなり鮮烈な演奏が繰り広げられていて、僕は徹夜明けで仕事の二次会を抜けて、すこし遅れていったことを覚えている。あまりに情報量が多くて茫然としたけど、一番びっくりしたのは曲がタイトだったことで、これは昨年の1月を見ていないからだろう。もっと曲を引き延ばして、そこに新たな音を織り込んでいくのかと思っていたら、かなりショックな印象だった。ただ、当日CDを買ったプレゼントでもらった未収録の演奏を聴くと、そちらはやはり曲が引き延ばされているかんじで、CDでのタイトさは意図的に選択されたものらしいことが分かる。そう来るとは、思ってなかった。あと、ドルフィーの曲自体が、そもそもかなり変なものであることを改めて実感。あんなメロディーでよくテーマが成立するなあと、変な感想をもったりした。
最近、というかここ数日、Kayo DotというバンドのCDを聴いている。Tzadikから出ていて、たまたま安くなっていたので買っただけで、作曲家シリーズなのにメタルが売りのCDだった。で、1回だけ投げやりに聴いて、過激なメタルを期待していたら全然ちがったので放置していたのだけど、なにかの拍子に聴き直したら、かなり興味深いように思えて聴いている。リーダーはToby Driverという人で、無知を承知に晒すと、全然この人がどういう人か知らない。ただプログレ志向なのは分かるけど、どれほどその世界で有名なのかコケにされてきたかは、やっぱり分からない。
ただ、何かとても変だ。オビに「メタル」とありながら、大半はフォークのようなギターが多くて、歌もあるけど、げろげろウゲーみたいな定番はごく一部。ただ突然メタルっぽいエレキギターが入ったりはするけれど、呟くような声やヴァイオリンとかヴィオラ、フルートやホルンの旋律がほとんど噛み合わないまま入っていたりする。そうすると、あれこれのスタイルを切り貼りするネイキッド・シティっぽい音楽のように思うのだけど、このCDの曲はどれも10分を超える、かなり長いものばかりで、それにカクテル・ミュージックが入ったりはしない。どちらかといえばダラダラしている。で、面白いなと思うのは、切り貼りというよりも、その移行部分で前と後ろがノリシロみたいに重なっているところ。バラードみたいなギターになぜかほぼ無関係にヴィオラが鳴っていたり、あるいは弦楽のなかで轟音のギターが始まったり、またフォークのように戻ったりする。それに、ブロックごとのようにはっきりと切り貼りされているのではなくて、なんとなくグシャグシャ交ざったり、突然割り込んだり、しかも重なった部分は全然調和が感じられず、そもそもそれぞれのブロックも中途半端な感じで美学が感じられず、どこに定位していいのか、さっぱり分からないのだ。
色んなスタイルを混ぜたオリジナルなスタイルを確立しているかといえば、全体としても洗練されていないようにも思う。しっかりしたリズムがあるかというと、そうでもないので、盛り上がりに欠けている。しかも1曲が長い。要するに、何がしたいのか、さっぱり分からない。けれど、ただ分かるのはその方法を貫いていることで、どうやらなにか新しいものを目指そうとする意志だけが伝わってくる。この、はっきりしないところ、どこにも足場がないまま、ジャンルわけできない領域になりながらも歌を歌っていて、しかもなぜか曲が持続しているところが、でも面白い。やっぱりこういう方向もありだよなと思ったりする。とにかく、型から抜け出そうとしているようだ。
だから、定番の興奮はほとんど得られない。孤高、というのが相応しいアバンギャルド感さえ皆無で、かといってヘナチョコでもなく、かといって起承転結もなく、美しいというほどでもなく、カオスでもなく、下品そうな歌詞もほとんど聴き取れない。でも曲が成立しているのが謎。無理に比喩を使うと、言葉遊びだけで絵を混ぜ合わせてしまうという意味でのシュールレアリスム絵画のような、とらえどころのない感じを受ける。ネタが割れているのに意味がわからないマグリットの絵みたいなのだ。
でも、一般受けしないだろうし、方法論もよくわからない。そもそもあるようで無いのかもしれない(ジャケットの裏に、厳密に構築されたというmapが乗っているのだけれど、その構築原理がよくわからない)。ただ、よくこんなCDを出したレーベルと、これで完成品とした作曲者に驚く。しかも最近、トビー・ドライバー名義で新しいCDも出ているようで、ここ2日ほど、それを買うべきかどうか、迷ったりしているのだった。