色々

実に久しぶりだが、ここ最近驚いたのは、次期首相と目される人が遂に公然と憲法改正を口にしたことで、かつ、それに対するメディア上の反応がなんとも鈍い気がすることだろう。正直、驚かずにはいられない。もしこのまま総裁選が決まってしまうとするならば、まちがいなく2006年をもって日本国の大きな変化の年となるだろう。ただし、良いか悪いかはまったく別として。

誰に対する報告というわけでもないが、最近出版された「セイヨウキンゲンダイシ研究ニュウモン」という本の「Britishゲンダイ」の項目に、昨年発表したものが紹介されている。ごく一行だけの紹介だが、入門書に載せていただいたことは素直に嬉しい反面、まだ20代の身でこんなことになって良いのだろうかと、逆に少しゾッとしなくもないところ。
ただ前段との絡みでいえば、そこでは既に改憲をある程度予測した上での反戦論を考えてもいるつもりだった。いま考え直せば少し違っているかもしれないけれども、少なくともこれまでの反戦論の多くが「敗戦」という経験から導き出されたものであるように考えていることは変わりがない。負けたから、許してください、負けたから、これほどの苦しみが二度とないように、という論理構成では、実は簡単に、じゃあ勝てば良いじゃん、という方向に反転してしまいかねないだろう。あるいは、敗戦を基底にする反戦論だけでは、おそらく勝った側、あるいは攻められた側に対して積極的な訴えかけをすることができないとも思う。だから、そこで勝った側をみることによって、というより、そもそもどう見ればいいのか、それを考えたのがあの文章だった。
ではどうすればいいのか。とりあえずの答えとしては、とにかくもっと敵味方の分類をする前に、世界を分析すること、もっと兵器や経済や情報技術について、文化について知ること、そのうえで、支配したり殺したりするのは、端的にイヤだと思う、そのことを主張すること。その両者をともにすること。一方で、あらためて経済的な視野を入れた上で国家をどう捉えるのか、検討し続ける必要があるとともに、感情についてはナイーブにすぎるかもしれないけれど、少なくとも僕は支配なんてイヤだし、したくもされたくもない。ここから始めるしかないんじゃないか。

あと、間が空いた期間もいろいろと物色していたけれども、昨日、ONJQの新しいライブ盤を聞いた。個人的な感想をかけば、これは本当にびっくりするくらい傑作だと思う。個人的な、というのは批評したわけでも分析したわけでもなく、ただ聞いたとき驚きのあまりに呆然としてしまい、他の人もそう判断するか分からないからだ。
4曲入りで1曲、2曲目までは、まあ良かった。2曲目の「セレーン」のアレンジはあらためて聞くとものすごい変で、普通のポップスしか聴かない人には意味不明だろうと思いながら、とくに2度目にメロディが出てくるタイミングが抜群で、うわ、とちょっと思った。が、同封のレビューにもあるけれどやはり「フラッター」が凄い。まず大友良英のギターが凄い。ギターはこのCDを通して凄いけど、とくに凄い。ついで、アルトサックスのソロが凄い。グスタフソンのソロは、聴く前に予想していた唸り声のようなものがないので聞き所だけど、そのあとのアルトサックスの延々と続くソロが、なにか神がかっているような謎が多い。そしてそこに入るギターが、またなんでこんな演奏なのか、理不尽なような演奏で(どうしてこうした奏法なのか理屈がわからない)、このあたりで謎が多くなり呆然としてしまい、そこからギターのソロがかなりノイジーでありながら、また理不尽なかんじでドラムとかが入り込んできて、あともう全員のほとんど先の見えない演奏のあり方に途中から聞き入ってしまい、凶暴だが押し殺したような雰囲気が終始つづいているところも素晴らしく、理不尽だが理性的でもあるような演奏に、緊張と静かな興奮の持続と、終わった後に爽快感さえ感じた。
このような感想はここ数年で数回、「フォー・エバー・モーツアルト」と「Unloved」という2本の映画を見たときくらいだ。どちらも予想のつかない理不尽さえ感じる展開と映像に「え、なに?これ?」と思いはじめてしまうと終わりまで止まらず、終わった後は余韻を感じる暇さえなく(うわ、なんか凄いもの見た、としか思えない)、興奮することさえなく、どこか目が開かれたようなすっきりした感動を覚えてしまったりした。だからこの2本も、本当に傑作か、誰かが誉めるまで分からなかったし、このCDも今のところ、傑作かどうかまったく分からない。