いくつか

堀江敏幸『河岸忘日抄』を読む。大谷能生のCDが入り口という変わった道筋だが、内容は癖になるというか、一度読んだだけではなかなか意味がくみ取れない。独特の時間感覚が興味深く、堆積もしくは累積していくようなものではないし(忘日、というのもあるのかもしれないが)、かといって事件が連鎖するわけでもない。そのどちらでもないが、どちらでもあるような、印象深いフレーズが後半に時折ふたたび顔を見せたり、反対に重要そうなエピソードはすっぽりどこかへ中途で放り出されてしまったりする。それなりの事件(ただ毎日のくり返し、ということからは逸脱する事柄)も、ときおり発生する。それこそが日常の感覚かもしれず、最初に抱いた、どことなくヌーヴォーロマンのような、フィクションにフィクションを重ねていくもののような予想は裏切られ、意外にかなりズシリと来る日常の感覚が文字を伝って感じられてくる。それはこの本がもつ厚さと長さ、もしくは意外にもかなり読み応えのあるページ数が重要ではないかと思う。もっと短くても良いのかもしれないが、そうなればこの時間の流れは見えてこないし、長くなればもっと無常観めいたシニシズムになってしまったりするのかもしれない。他方、文章自体はかなり精巧につくられていて、読み流せもするし、熟読することもできる。またどこから開いても問題がないという点も、ある種の本好きには理想的な本であるかもしれない。漱石のいくつかの本を思い出す。

そこでCDを再度聴くと、個人的な黙読の感覚とかなり違うことに気づく。そして予想以上に綿密につくられていて、予想外のところでさまざまな音が響くことに、驚き。読み方はかなりゆっくりで(黙読より3倍くらい遅い感覚)、しかしかなりの持続力のある読み方。後半のクンタ・キンテのところはとても良い。選ばれた箇所も、おそらくもっとも歴史と政治が絡む(もしくはそのテーマが最初に提出される)箇所が選ばれていて、見事と思う。ただ、どうしてもドラマチックになる箇所があり(意識の水面に顔を出す・・・など)、そこでは意識の動きと声の処理がリテラルに一致していて、その辺りは逆にやや印象が薄っぺらい感があるように思う。後半になればなるほど、声だけになっていくところは、とても素晴らしい。

イギリスに行く辺りから、サンを中心にかなり重苦しいメタルのCDを沢山聴く。とくにサン&ボリスはたいへん感銘。かなりポップでもあるようで、汗臭くなく、かつエンターテイメント。
これらを聴くと、あらためてジョン・ゾーンの動向が気になる。やっと分かってきたのは数年前に出た「IAO」が、こうしたほとんど明け透けな魔術のエンターテイメントを吸収しながら、おそらくどれも、瞑想なりトランスなりを導く曲というコンセプトでまとめられていることだろうか。延々と続く儀礼めいたパーカッション、女声のコーラスはいうまでもなく、音響的な曲は神経を覚醒させるものであるといえそうだし、凶悪なメタルは音圧で目が覚めるようだ。ふりかえれば、そもそもtzadikの最初に出た「レッドバード」自体が、時間が永遠のまま凍り付いたようなミニマルの作品にインスパイアされつつ(それはある種のモダニズムのコアでもあると思われるが)、重苦しいベース音のくり返しで瞑想に誘うようなものだった。そこから「Rituals」を経て(これが98年作曲と書かれていることに驚き)、女声という要素を加えながら「魔術」をもってきて展開している。あいもかわらず、SMに代わって魔術という点から西欧の権威を転覆させようとしているようにも見えるが、あらためて瞑想/トランスと「魔術」がくっついて発展しているように思える。
面白いのは、そこで出てくるのがたとえば異様な強度の下の加速による狂気であったり(アルトーか?)、物音の散乱による憑き物めいた錯乱だったり、重低音のくり返しによる忘我であったり、さまざまな手つきが見られることだ。持続による瞑想にせよ、強圧的な加速にせよ、散乱と錯乱にせよ、それらはまたある種の崇高の概念と感覚(あるいは美的経験の極限)の表現であるようにも思えるし、ひるがえってそうした様々な経験を聴く側に迫ってくるようなところが、また興味深くもある。雑種的な音楽でスイッチのオン・オフをメインにしたポストモダンを、あるいは歴史に拘ったユダヤ主義を、そうした方向で乗り越えたように思われるともいえるかもしれない。
そんななかで出てきたのが、驚くべきアルトークロウリーとヴァレーズをコンセプトにしたほとんどメタルのCDで、これは参る。案の定、アルトーとヴァレーズの未遂に終わった作品をコンセプトにした2作目も出たし(といっても、一枚目の曲を再構成した側面も相当あるようだが)、かなり楽しい。ここではまさに異様な速度と圧力による強度というところから、ゾーンの解釈におけるアルトーの路線がエンターテイメントとして追及されているようだ(ちなみにこの数年で複雑化しているように思われるリズムについては、これも以前、唐突に出された「Xu Fen」というパーカッションとエレクトロニクス中心のゲームピースが節目ではなかったかと気になる。ただ既存の曲を高速化しているという以上に複数人のリズムを操っているのは、このあたりからではないだろうか)。これがどうなるのか、まだまだ続くらしいシリーズが楽しみ。