2つかそれ以上


今月「新潮」に発表された三島賞については、もうあちこちで色々なことが言われているのだろうけれども、やはり驚いた。選評をみても、果たしてきちんと推薦しているのか、よくわからない「気分」が前面にでている。とてもペラペラな世界、そこで熱情に引きずられながら書かれる物語、というのが、ついに評価された、ライトノベルなどと呼ばれていたものが、ついに純文学に入ってくるのは既に見られていたが、その傾向が決定的なものになったような気がする。このことは、覚えておくべきことだとおもう。21世紀00年代の傾向の一つなのかもしれない。

ジェリー・ブラッカイマーが席巻している。製作総指揮のものをみれば、手がけているものは多岐に及ぶが、その肝は、複数のストーリー(それも基本的には周知の、ありふれたストーリー)を、一つの鋳型に無理矢理はめこむ、ということのように思う。で、そのことを評価しつつ、しかしどうもそうした手法がこれから支配的になりそうな気配を感じる。
ときどきテレビで放映される「CSI」など、もはや尋常ではなくなっている。今放映している第5シリーズは、一話の中に犯人が3人以上でてくるのが最低限の枠組みのようだ。「マイアミ」では、基本的に犯人は2人、まったく関係のない2つの事件が並行して描かれるという手法が一貫していたが、それをさらに推し進めたのだろうか。
ほとんど細切れにされたストーリー展開のため、情感や、持続的な描写などはありえず、お定まりのようないくつかの物語の断片を繋いでゆく語りで、かろうじて物語が把握できる。その語り口の洗練ぶりは驚くべきものだし、アメリカはバカにされるべきではないと思うが、一方で、そうした物語が実験的であるという以上に、支配的になりつつあることも意識されて良いような気がする。これも、21世紀00年代の、ひとつの典型例のように思う。