夏の崩落

なかなかの猛暑に、夏休みさえも休みではなく、といって、休みでなくとも休みのような体がとろける8月。
間があいたうちのことをいくつか。まず参議院選挙があったわけだが、ここ数年と同様、いささか把握に苦しむ傾向。すくなくともメディア上では年金問題が大きな軸とされたが、はたして相当以前にまでその根がある年金問題は、現政権と関係がある「問題」なのだろうか。また、非常に気になるのは、「支持率」なる数字が、ほぼ毎週のように新聞欄を踊っていたことで、これはいつからなのだろうかと、首を捻らざるを得ない。といって、支持率の提示そのものが「メディア操作」というようなものではなく、どうも新聞社同士の争いのネタとして、支持率を出す、ということになっているように思える。ただ、毎週毎週、現政権に否定的な「支持率」が提示されると、あたかも誰も彼もが否定的であるような世界がうみだされはじめ、それが結果に響いているようにも思う。(ただし、ようやく分析され始めている「敗因」は、それなりのデータと経済的な現状分析にもとづいているものでありそうで、それはそれとして、メディア上の傾向で気になるものを記しておく)

3月の旅行をきっかけに、ここ3ヶ月ほどサン)))O周辺のCDを、手近に入手できる範囲で聴く。それにしても、メゴから出たKTLはある程度納得としても、新作はその一人であるSOMAとゼ・ヴとの共作で、これは内容はともあれ人選が衝撃。ゼ・ヴは、ほんとうに金属が立てる、鳥肌が立つようないやな感じの響きを集めたようなパーカッション演奏で、なぜかCDまで持っているが、こういう形で出てくるとは完全に予想外。
全体の印象としては、ある種の(美術でいうところの)表現主義であるのかと理解する。メタルというジャンルで、しかも轟音のドローンが主である音楽は、かなり聴く人を選ぶと思われるが、とりあえずへヴィな音を前提に、今の技術でできることを試して、奇怪になろうが構わず(奇怪であればあるほどジャンル的にOKなのかもしれないが)どんどんやってしまおうという実験的なスタンスか。それは前世紀前半にコンクリートが使えるとわかってどんどん奇怪な建築が発想されたり、ロマン主義を経て一見抽象的だがとにかくドロドロした表現主義が出てきたりというような、そういう新たなテクノロジーを使って、抉るような表現をする作風に近い(ただ、基本的に感情は込められておらず、そこはメタルというテーマに従っているのが、余計にテクノロジー主義的に感じられて面白い)という感想。「カネイト」や「ホワイト2」などが、そのうえで端正な出来で良いように思う。「ホワイト1」の日本版特典のライブも良いし、その最後に入っているラジオ用のインタビュー録音は、インタビュアーとの英・米語の違いや緊張感も含めて、生の声と意見が聞けて面白い。いずれにしても、こうしたやりっ放しのような試みは、どのジャンルでも進行中かもしれないが、その最中でストイックな作品を作り続けていて、面白い。
一方でアースの新作は、こうしたものを聴いていなければほとんど意味が分からなかったのではないかというほど、まったくへヴィでもノイジーでもない、かなり異様な出来で驚き。基本的にはちょっと長いテーマをくり返し続け、その都度ギターとドラムが和音とリズムを出す、というだけ。しかも、全体として前へ前へと動いてゆくようなリズムではなく、その場その場の打点のようにドラムが鳴る。同じフレーズを繰り返すのは、なんとなくサティの「ヴェクサシオン」を思い出したりしつつ、しかし毎回ちょっと和音が違うようにも聞こえるし、あるいはリズムの打ち方が違うのかなど聞き分けようとしているうちに、また同じフレーズが繰り返されてくるのでそのうち面倒になってしまい、何も考えずに、ただ毎回出てくる和音とフレーズとリズムをその都度ごとにじっと聴いてしまう。とくに和音が独特の感触で、そこに焦点が当たっているようにも思うが、はたして。しっかりした教養がないのでわからないが、なんとなく、位置づけが現時点では未知のものではないか。曲はどこへ行くのか、よく分からないまま、ほとんど何も起きていないに等しいようでもあり、たえずぐらぐらと目眩に襲われるようでもあり、ぐったりと崩落するような麻痺に近いのか。

岩波文庫で「ヴォイツェク」その他。やはり文庫というのは気軽に読めるので嬉しいが、あらためて「ヴォイツェク」やその他の作品は先鋭的。すくなくとも20世紀末には非常にヴィヴィッドであったような、文化論や分裂症の問題が軸に置かれていて、その意味ではまったく古典としては読めない。