携帯・文学

文芸誌の特集で「ケータイ小説」など。

阿部和重の「ミステリアスセッティング」は、相当に難しい小説だった。語りの技法が上手くなりすぎて、以前みるからにあった実験的な部分がほとんど見えないようになっているのではないか、果たしてどこまで考えつくされているのか、ということを読んでいる側が問われるような作品だが、とりあえずこれは究極の携帯小説だと思う。
まず、もっとも直接的にびっくりしたのは、これがSFである、いやSFではないのだが、未来の話である、ということだろう。すでに「ニッポニアニッポン」をめぐってそういう議論があるのは知っていたが、今度は確信犯(読者にあからさまに示す、という意味で)として、話がすべて未来のことになっている。また、この物語の形式が、又聞きの構造というか、「饗宴」とおなじというか、主人公から話を聞いた人の話を聞いた人が、あとから回想している、という二重三重の構造をとる、というのも、ある意味でこれまでの作品の構造をわかりやすく提示したものとみられるかもしれない。
しかも、ここで全開するのは携帯メールというものだ。僕はそれほどいまの小説を多く読んでいるわけではないが、ここまで異様なほどに携帯メールが使われ、しかもストーリーの根幹にかかわり(誰もいないところで他人とコミュニケーションを取る、という状況が積極的につくりだされている)、かつ、物語全体の構造にかかわる(主人公の話を聞く、という手段自体が携帯メールである)ところまで使い倒した小説があるのかどうか。しかも、この小説自体が携帯で配信されたらしいのだから、相当に異様な作品だと思わざるをえない。
帯に「純真小説」とあったが、これほど作為的に状況が仕込まれ、そこで絶望する少女を描き出す(もちろんその少女についての描写のすべてが、それを見たわけではない語り手の妄想という可能性もあるのだが、どの語り手の妄想かということもあり、妄想でなくとも想像的な再構築にすぎない(さらにいえば主人公の幼年時代は、主人公自身の回想によっている)わけで、そんな屈折までも含めて)、いずれにせよ、そのような作品をしるしたこの著者は、おそらくまったく純真ではない。