ほんとうの嘘

 最近、文庫本での復刊がつづいていて、ごく普通に古典のような小説を楽しめるようになったのはすごく嬉しい。といっても、なかなか手に入らない本もあって、たとえばコクトーもかなり読めるようになっているけど、「山師トマ」もそのなかの一つで、最近、たまたま手元にあった古本を再読してみた。

 舞台は第一次大戦初期のフランス。とりあえず冒険心みたいなことから、将校の一族であるという嘘を吐いて、偉い地位を騙りながら活躍する少年の話ということになるだろうか。有名なので書いてしまえば、さいご、少年は戦地で敵の銃弾を受けて地面に倒れつつ、敵を前にした状況に「死んだふりをしなければやられてしまうぞ」と一人ごちたまま、本当に死んでしまうことになる。変な小説かもしれない。
 たとえば、ここで何とも落ち着かない感じがするのは、主人公トマが、完全に自分の嘘を真実のように生きてしまっていることというのだろうか。トマは身分を偽って軍に入り、その身分で高官とも貴族とも知り合いを作り、さらにその貴族の子女と恋愛にまで落ちたりするけど、まったく後ろ暗さを抱えていない。ごく普通に成り行きを予想すれば、「いつ身分がバレるのか」というサスペンスが想像されるけれども、トマは実にあっけらかんとしていて、そこにはサスペンスはないといっていい。代わりにあるのは、少年の軽やかさと、それと反比例するようにその少年に巻き込まれてしまった人々の、心身の崩壊の過程が描かれていて、そこがメインのように読める。どこか、奇怪な主人公とその周囲の破滅を描いた感がある。
 もうすこし広げてみると、とくにこの主人公が嘘を背徳のように感じていないというか、つまりある確固たる主体が基礎となって思考と行動が描かれるわけではなくて、自分の吐いた嘘をそのまま主体として生きてしまう奇妙な主人公が配されているところに、異様な感を覚える。つまり嘘と言っても、なにか隠れた野心や、厳窟王のような倒すべき敵もなく、要は、嘘を吐くための主たる目的がない(せいぜい冒険心ぐらいか)。だから、本来は手段であるはずの嘘がここでは、そのまま生きられてしまうというのか。なんとなく比較すると、まるでカフカのようで、ただ測量だけをする測量士とか、どこに届けるのか分からないまま届け続ける密使とか、何のためかわからぬまま裁判しつづける裁判官とか、手段だけが自立してしまった存在、目的を欠いた嘘がそれだけで存在する奇怪な主体といえるかもしれない。
 さらに言いかえてみると、嘘−現実という二段構えの人格ではなく、ふつうは誰か対象にむけて放つべき嘘が、ここでは自分にむけてなされる。ので、普通は他人との関係で成立するはずの嘘が自分に戻って来るというか、嘘によってできる他人との関係がいわば自分の中に折り返されており、その結果、そうした自分自身のなかだけで完結した新しい人間関係というか、自分の上に折り重ねられたもう一つの自分を生き始めることになる。つまりこの小説は、そうした過程によって自分で自分を生み出すという、どこか自己生殖をおもわせる不気味な存在と、その死を描いたということになるのかもしれない。しかも、その途中で、あたりに死が蔓延し、あるいは嫉妬や不安で心を狂わされていく人々の姿をみれば、この不気味な存在は、ひょっとして破滅の形象として描かれているのではないかとおもう。
 と、うがちすぎかもしれないけれど、またコクトーは、ひょっとしてこうした嘘をそれとして生きてしまう奇怪な主体を、ある種の詩的な存在としてずっとみていたのではないかと思ったりする。アンファン・テリブルも大人になっても子供のままでいる(あるいはいようとする・ここでも終盤、嘘がでてくる)存在の話だし、とくに何度も書き直したオイディプスは、自分がそれとしらず僭王という嘘を生きてしまっている奇怪な存在であり、あたりには疫病と災厄が蔓延する、それこそ悲劇を招く破滅の形象のようにみえる。それでいえば美女と野獣の野獣も、そのヴァリアントかもしれない(さらにいえば「地獄の機械」におけるスフィンクスも自分に嘘をついて、なかば自死してしまう。一方、これとはまった く別種に、地獄まで簡単に降りることが出来る、詩人たるオルフェがいるようにも思ったりする)。
 もちろんコクトーシュルレアリスムから遠く隔てられているし、どちらかといえば現代性よりもクラシックに向かっているようなところもあって、大きく見れば地味かもしれないのだけど、災厄とか破滅を容赦なく描いていて、どれも戦慄的だと思うし、どれも一筋縄ではいかないところがあるようにおもう。「阿片」などとあわせて読んでみると、これまた変な主体(とりあえず、陶酔ではなくて禁断症状が描かれているところからして、ちょっと異質な気がする)のようで興味深い。コクトーモダニズムをみるなら、ではモダンな主体とは嘘吐きや禁断症状にあるのかもしれない・・・
 ともあれ、本屋に行ってみるとやはり絶版、こんな想像を膨らませる小説も復刊してもらえれば嬉しい。