日誌(つづき)

*後日
困ったことに、途中から文体が変わってしまった。まあ良いや。「僕」は専門家ではないし、唯一の武器は、急いで評価を下したりしないで、そのまま書いてみるということしかないのだから。


手元に2枚のプリントが残された。演奏者自らの手で配られた次の展示のための文章。休符というコンセプトが書いてある。

休符が何を意味するのか、いまの「僕」にはよくわからない。けれど、休憩を挟んで続けられたコンサートが、そのどれもあまりに異なるものだったことは、はっきりと分かった。プリントに書かれているのは、これらを一つにまとめることはしない、ということだろうか。アンサンブル、という言葉で示された何かを、色々な形として、そのままでいくつかの形として示す、ということだろうか。

あるいは、そのどれもが何らかの意味で批判や停止や反論をふくむ、ある意味で目の前で進行する事態への「休符」としてあり(あるいは勿論、日常での疲労を直すための小休止としての快楽、というのも含まれるかもしれない)、そうしたいくつもの休符が休符を挟んで連なっている、ということだろうか。もしそうなら、本当に休符だらけの音楽になるのかもしれない。いずれにしても、それは単なる沈黙とは、似て大いに異なるものであることは確かなようだ。

3日目に何があったのかは、よくわからない。ここまでの記述も、あくまで「僕」の感想、とくに、自分が観客として(のみ)見ていたことを気づかされたという、ちょっとした体験にもとづいている。どれほど錯乱的なものでも、観客としてみていればそれをある形に収斂させるシステムが働いてしまう。それが良いことなのか、あるいはその機能をどうするか、ということに、今さらながら(実際、大友はずっと以前から、演奏者も何を演奏しているのか分からず、また視聴者もその位置によって受け取るものが異なる、ということを言っていた。ここで書いたのは、いま振り返れば、それを追体験して言葉を置き換えてみたという作業にすぎない)気づかされた。これは(もし続けられるのならば)次へのもちこし。

いずれにしても、その作品(即興といっても作品にちかい。というか、二日目の最初のセットは、録画もしてあったみたいだしDVDとかにしてほしい。よく見えないところもあったし)が、現在進行形で変化していることはまちがいない。YCAMでの展示への反応がどのようなものであったのかわからないけど、空間性を自分のものにした作品は、ヴァレーズからクセナキスリゲティへと続く音楽家の、非正統的な継承であるようにもおもわれる。
東京でこれが進められるなら、なんだかんだで追いかけるしかなさそう。

追いかける・・・?いや、もうすでに彼は、美術館を飛び出してしまった。そこでなら整備されたテクノロジーとスタッフが揃っているだろう施設を出て、技術で武装した作品という一貫性を捨てて、とうていジャズとはいえない音楽をジャズの聖地でおこない、さらに街へと飛び出そうとしている。
だから、もう追いかける必要はないのかもしれない。扉を開けたすぐそこの街で、なにかが行われているのだから。書物も捨てる必要もなく、ごく普通の日常のなかで。ごく普通に、遭遇する準備をしておけばいいのかもしれない。