木場・点心・洛陽・カレー

木場の東京都現代美術館に、池田亮司「+/−」展を見に行く。

驚くほどスタイリッシュな作品で、というより実際に驚く。全体的に「数」に憑かれていて、まず入り口におかれた「トランセンデンタル」という作品からして圧倒される。とくに映像を使った二つの作品が並置されている部屋は、溢れる情報の量と、そのプレゼンテーションの洗練具合に驚嘆。かなり興奮して夢中になる。

他方で、上にも書いたように良くも悪くもスタイリッシュで、その興奮が、衝撃的、という感動かどうかはよく分からない。たとえば、出てくる情報が何なのか、量が多すぎてよく分からなかった。これは、まあ僕だけかもしれないから自分の馬鹿さ加減がよくわかるといえば分かる。

しかしほかにも、その映像を使った作品は、だいたい5分くらい(?もう少し長いかも)で一つの流れをつくっていて、それがループされている。が、その流れが、一時期に一部ではかなり議論された、ある種のストーリーに乗り過ぎている(それはたとえば静かなパターンから始まり、徐々に加速しながら複雑さを加味して、最後に轟音がすべてを覆う、というようなストーリー)ようにも感じる。

実際、終盤のクライマックス直前に激しいフラッシュバックみたいな部分があるのだが、僕はそこでの展開ぶりに思わず笑ってしまい(ここで音楽もバチバチッ、チュイーンと盛り上がる/盛り上げるし)、そのまま文字通りの怒濤の様相に、「よッ、○×屋!」という掛け声をしたい感じで、ずっと笑い続けていた。それがあまりに面白かったので、再入場含め4回も観てしまったが、一方で「やりすぎ」というほどにやらなければ駄目、というのも当然だろうと思いながらも、他方で、これはほとんどロックコンサートを観ているような感じでもあって、なんとも微妙な印象(ちなみに、前情報ゼロで連れていった友人も、だんだん盛り上がってバシッと終わるのがカッコいいといっていたから、そんなに変な感想ではないのだろう)。

一方で、ぼんやりとした感想としては、ある意味、ほとんど人間を必要としないような、という印象もあり。モノリスのようなというか、観客などいなくとも充分に存在するのではないかという孤高の印象・・・ただ、これも突き詰めるとファッションショーをみたときに近いような気がしなくもない。あの洗練された空間に、その秩序をかき乱す薄汚れた観客など必要としないのではないか・・・。

もちろん、数字ということでは宮島達男の作品との比較、というのは誰でも思いつくだろう。同じ数字でありながら、しかし作品の方向性は全く異なる。たえず変化する数字という点なら、宮島の「mega-death」という作品も思い浮かぶ。ただし、そちらの数字が、数字そのものに意味を強く感じるのに対し、池田の作品では数字はあくまで道具(もしくはある種の言語か。モノリスのような印象を受けるのは、そのせいかもしれない)として扱われているようで、その道具が全体としてどのような意味をもつのか、気になる。

いずれにしても素晴らしくスタイリッシュで、メチャクチャ格好良い。絶対に値段以上の中身はあり、遠くまで来た甲斐ある。

ちなみに、もう昔の話だけど、僕はもう10年とちょっと昔に、ここで学芸員の実習を受けたことがあり、それから(もちろんそれ以前からも)ポツポツたまに来るのだが、個人的に非常に愛着があって、こういう企画は本当に嬉しい。けっこう海外からの旅行者の客の姿も。一方で、アンソニー・カロの作品がぽつんと常設の入り口に、誰にも気づかれぬまま放置されてあって(常設展示作品一覧のプリントにもなぜか載っていない・・・)、これはもうずっと前から気になっている。たしかカロの作品はぐるぐるとその周囲をまわって観るのが面白いはずなので、あの置き方はすこし悲しい。せめてもう少し、台にのせて床からあげたり、あと30センチで良いから背後に回れるように動かしてあげれば良いのに・・・(ちなみに比較する気はないけどテートモダンでは、カロと、それと同じような作品がある部屋があって、いくつか異なる高さの台にそれぞれ作品を乗せ、かなり歩き回れるようにスペースが取ってあったと記憶する)。せっかく窓の向こうに同じ作者の大型作品があるのだし。いや、そもそも、あの二つが同じ作者だと知っていたのは、ひょっとしてタバコを吸うために外に出たわずかな人だけなのかもしれない・・・・・・偉そうですみません。いやでも、日本でわずかしかない現代美術館として、本当に頑張ってほしいと心から願う。



そうこうして池袋へ戻るが、食事をどうしようかと考える。
世間が休み、ということでそういえばGWにも食事に行く。やはり1000円で池袋世界料理巡り。


いちどは、ロサ会館のすぐ側、有名なラーメン屋の隣りの建物の2階にある、飲茶の店にいく。中国茶のセットと、シュウマイ、ニラレバ、ユーリンチーなどを。

とくに、一見ふつうのバンバンジーにみえるが、酒をどうかしたゼラチンがのっている、酔鶏(スイチー)というのが美味しい。かなり酒の香りが強く、鼻に抜ける。同じ皿に載せられたキュウリまで酒漬け。景気づけに。独特の淹れ方の二種類の中国茶とともに、大勢で食べた。



また別の日も、やはり中華へ。しかし、かなり変わった品を食べる。

すこし面倒だが、ロサの映画館がある大通りをずっと奥へいき、白米食べ放題のチェーンの定食屋があるあたりで横断歩道を渡って、そのまま直進した小道にある、洛陽の料理を謳った中華料理店へ。

火鍋が売りのお店だが、ここがはじめてという友人と一緒なので、定番を。汁のない坦々麺、水餃子、チャーハンを注文。まず出てきたのは、水餃子。薄い塩味がついているので、なにもつけずに。薄い皮のなかに汁がたっぷりと入っていて、肉の味もする。美味しい。

しかしここで驚きは、なんといっても坦々麺。皿の上に、白い麺が野菜と載っている、ようにみえるのだが、これをかきまぜると、下から真っ赤な油と山椒が、挽き肉や砕いたクコの実らしきものとともに登場する。そして、白い麺が赤黒くなるまで混ぜてから食べるのだ。汁はない。

これが見た目以上にかなり独特の辛さで、唐辛子だけではなく、中国山椒が強く、油も利いたねっとりと濃厚な味。二口めを食べ終わったくらいから、舌と口の中がジンジン、さらにザラザラしてくるが、ただ辛いだけでなく、色んな味が混ざっているのが特徴。たちまちその味に病みつきになり、むしろ食欲が出てきて止まらない。辛さと味で体中が刺激されて、活力が湧いてくるようだ。

以前にテレビで本場ペキンの坦々麺が同じように汁がなく、山椒混じりの油をかきまぜて食べるのを見て、たしかに向こうの味らしいと確認。どうやら中華には予想しえない味が、かなり安価でも楽しめるらしいと実感したのは、これをはじめて食べたときだった。ちなみに油のせいなのか、これだけでお腹もかなり満足。この全部を二人でシェアしてちょうど2000円。



そうこうしているうちに、現代美から池袋に到着。あれこれ候補をあげたすえに、北口のやや奥まったモンゴル料理屋の隣にある、パキスタンカレーのお店。ここはなんというか、本場のカレー、という雰囲気なのだ。

友人と二人で、とりあえずレモン風味のチキンのものと、卵とミルクの入ったチキンのもの、あとナンを2枚注文する。店内は僕ら以外、日本語を母語とする客も店員もいない。

なんといっても、出てくるものが固定観念を破壊する。まずレモン風味のものは、小さく切った鶏肉に、いくつものスパイスとレモンとショウガのみじん切りが入り、ほとんど色の付いていない汁がたっぷりとある。いわゆる「カレー」らしき、焦茶色のソースではまったくない。これが美味しい。味としては、ショウガ焼きにレモンを添えたようなかんじか。さっぱりして、どんどん口に入る。

一方、卵とミルクは、まるで炒り卵に鶏肉をいれたような風情で、見た目はほとんど中華料理だが、こちらはピリリと辛い。この汁がナンと相性がよく、やはり口に運ぶ手が止まらず。

また今回は頼まなかったが、これまで頼んだ範囲では、ほうれん草とチーズ、というのも良い。
これはなんと、あたかもしょう油で味付けをしたような、黒い色で出てくる。それはほうれん草なのだが、そこをスプーンでかきわけると、中から白いチーズの固まりがいくつも。全体として、ほうれん草のソテーをしょう油で味付けし、そこにかた目の豆腐が入っているような感じ(チーズはほとんど癖がない)で、しかし飲み込んだ後にグッと辛みがくる。これをライスに乗せて食べるのが一興。ほうれん草の濃い味とあっさりしたチーズ、そして辛さで、あっという間に食べ終わる。もちろんここは、ビリヤーニも旨い。

ほとんど日本語の「カレー」では考えられないものばかりだが、しかしこれが楽しい。味覚による言語感覚への打撃。