素敵に不安に

約1年ぶりに髪を切る。べつに伸ばそうと思っていたわけではないが、伸びてしまった髪の毛はとっくに背中に届いていて、散髪というより断髪という事態に。
一気に普通の髪型にし、こちらはなんとなく伸ばしている顎髭だけは残す。
とくに予告もしていなかったので、周囲に驚かれる。

いくつかCD。Hair stylisticsのマンスリーものとか「am 5: 00」とか。
個人的にはhair stylistics(もしくはそれを名乗っている作者の他の作品も)は、シュルレアリスムだと思っている。21世紀のシュルレアリスト
とにかくあらゆる事態が、駄洒落やサンプリングを介して、情け容赦なく混ぜ合わされる。曲をオール・ダーティ・バスタードに捧げてみれば曲名はオールド・ダーティ・バスタオルになってしまうし、激しいノイズかと思えばそれは何かの宗教の決まり文句が変型したものだったと判明する。こうもり傘とミシンが合体しまくり、どこか得体の知れない地帯をふわふわと移動し続けていく。もう書かれないかもしれない小説は、意味があるようで意味がなさそうな文章が、意味が通りそうで通らないかんじで滑らかに接合され、残酷な遊戯めいたものが後に残されて、あれはほとんど「アフリカの印象」みたいだと思ったりする。マンスリーものは後半に行くほど鬼気迫る気配があり、残酷さと困惑が巨大なスケール感をともなうようだ。
とはいえ、こうしたレッテル貼りはどうでも良くて、それに意味は何もない。というか、実は何にしても曲が格好いい。とくに3種類くらいの異なる動き(レイヤー?)が、まったく別々のリズムを作りながら展開していくところは、どの曲でも痺れる。名のみ高くて評価が不明、のように思うけれども、素直に格好いいと思う。どれも。

少し音楽とか美術とか文学とか、何でも良いけど興味があって、気ままに探してみた人は誰もがあると思うけれど、自分一人しか知らないんじゃないかという作品がある。時折こっそり取りだしては読み直したり聴き直したりしてみて、やっぱり良いねと思うけれども、そう思っているのは自分一人だけなんじゃないか、と。いや作品が流通しているんだから、どこかの誰かは価値を見出したに違いないが、どこかで絶賛されているのも聞いたことがない。
その一つは、tzadikから出たLa Mar Enfortuna「Convivencia」という一枚。
これはアメリカのElysian fieldsという男女二人組の別名義によるものだが、とにかく素晴らしい。まず演奏に参加しているのが、知っている人は知っている名手ばかりで、Ted ReichmanとかDoug WeiselmanとかのNYの、というかtzadikではよく見る名前だし、そもそも元のバンドのOren BloedowとJennifer Charlesも、John Zornの作品とかにも名前を見かける。手練れによる作品なのだ。
それに曲も良い。とにかく凝りに凝ったアレンジで、一応民族音楽(クレズマ)が元になっているけれど、アコーディオンとパーカッションの豊かな響きとか、あるいは途中まで民謡なのに後半はヘビメタになってしまう曲とか、甘ったるく気怠い女性の歌声とか、どれもこれも、雰囲気たっぷりで変化球もあり、しかし詰め込みすぎる寸前でハイレベルな演奏に保っている。しかも、そうやって凝りまくった曲が並んだ挙げ句に、最後にアコギ一本の弾き語りが来るのだ。これがまた、その朴訥なギターとかすれた歌声で、最後までヤられっぱなし。感嘆、溜息。素敵・・・・・・。Radical Jewish Cultureも、遂にここまで来た、なんとも洗練された傑作か。
とはいえ、問題もある。最大の問題は、歌っている歌詞がわからない・・・というか、英語がわからないのではなく、どうやらユダヤ系の言語で唄っていて、そもそも皆目100パーセントちんぷんかんぷんである。朴訥なギターにかすれた歌声とかいっても、もしかして世界の破滅を望んでいる内容だったらどうしよう・・・・・・別にどうもしない。どうもしないが、何か不安である。そしてやはりというべきか、誰かが絶賛している気配もない。意味が判らないのだから、それはそうか。
たぶん音楽とか美術とか文学とか、何かに興味をもつ人は誰もがこうしたものをもっているだろう。そんな素敵に不安な一枚。