装置・レコード・創発(4) 「音楽装置」の輪郭について

 いきなり変な書き出しだけど、この一連の文章で、文体も書き方も、評論風というか、問いがあって答えを出す、という書き方に変わってしまった。それは議論を通じてそうなったのだけど、こうした書き方は、書かれる相手つまり作家さんからすれば、邪魔なだけかもしれず、勝手に偉そうなことをいっているように見えるのかもしれない。けれど、こうやって続けてみると、実際はかならずしもそうではなく、どうにも奇妙な謎を受け取ってしまったことに対して、やむなく問いと答えという形で出すものでもある、ということが、今さらながらに分かってきた。実際、ここでの作業は、結局は個人的な問いに過ぎないし、答えも個人的なものに過ぎない。けれど、そうしないと謎が解決されず、そのための手段として、こうしたことをやってみる。早くしないと、10年展が始まってしまうという切迫感もあるし・・・


●というわけで、では個人的な問いを提出してみる。これまで、基本的には「with records」を対象にして議論を立ててきた。その議論が、読みやすい形で書けたかは別として、一連の展示のなかで、重要な性格を持つものであることは示せたとおもう。そこで、ここから対象をかえて、今度は「音楽装置」展について進めてみたい。いわば本丸だ。

●この「装置」展についての問いは、きわめて単純だ。つまり、一体なんなのかが、さっぱりわからないのである。ものすごく単純に、「美術」なのか「音楽」なのか、空間なのか環境なのか、作品といっても、何が作品なのか、どれもこれもが分からない。唯一、穏当な答えは「サウンド・アート」だろうけれども、それにしては、実際の展示を見ると、普通のサウンド・アートとは、どうも「音」への配慮がだいぶちがう。とくに、ひとつひとつの作品の音はとても小さく、外から聞こえてくる音や、会場内にいる観客の話し声などの方がよく聞こえたりする。それに、作品がいつも音を出しているわけでもなく、その前で根気よく待たないと音が聞こえないものがほとんどだった。

 実際、こうした疑問には、他の人もぶつかっているような気がする。たとえば先回もあげた「美術手帖」でも、あれこれと文脈をさぐりながら「建築(これは、要は『空間をつかった芸術』という位の意味で持ち出されているのだとおもう)」や「音楽の原理」があげられている。が、明らかにこれは美術作品の赴きもあって、結局、「一体なんだったんだ?」という疑問は解決されない。では、どうすればいいのか?


●すこし問題を絞り込む。なかでも大きい問題は、いったい、この展示の「輪郭」はどこなのかという問いだ。実際、展示会場の中にいると、一方では点在する作品の動きや音が聞こえるが、他方では会場の外の音(都市音、としておく)が聞こえてくる。そして、この両方が「音」に含まれることは、配布された宣言文において明確に示されている。とすると、いったいこの展示は、どこまで広がっているのか、皆目、見当が付かない。そして、この「広がり」のゆえに、一体なにが作品で、なにが展示なのか、どこまでが作者で、どこまでが環境なのか、すべてが溶けだしてしまうのだ。おそらく、この「広がり」、いわば展示の「輪郭」のなさこそ、上に書いたような混乱のもとである。

●では、どうすればいいのか?それに対して、以下では、少し別のアプローチを試みることで、これに一定度の答えを出してみたいとおもう。ただし、そのためには、おそらく上に書いたような、「美術」とか「建築」とか「音楽」とかというようなレッテルから攻めてもダメなのだ。だから、むしろその内部の論理を探って進めてみたい。
 ちなみに、そのとき参考にしているのは野々村さんのレビュー(注1)で、おそらく今、参考するにはこれ以外に存在していない。野々村さんと視点がどのように違うのかは、議論が進めば明らかになると思うけれど、とりあえずはそれは不問にして、進んでみよう。



●アンサンブルズに対して採ってみたい「別のアプローチ」とは、いわば時間の側からのアプローチである。というのは、これまでの議論の多くは、実は「空間」の側からのアプローチだと思う。つまり、会場があって、作品が配置されていて、環境があって、観客がいるというような、「展示空間」というべき空間についての考え方だ。しかし、それでは上に見たように混乱はいやますばかりだと思う。そこで、「輪郭」については、まったく別の角度、つまり時間の側からみてみる必要があるだろう。

●実はこのアプローチは、これが最初ではない。さきに、with recordsにかんして、前提として一つのアイデアを導入した。それは、展示を「プロセス」そのものとしてみるということである。つまり、会期が始まってから終了するまで、展示空間内でおこる変化の全体として、展示を把握する。そのなかには、ただアーティストがやって来たりするだけではなく、おとずれてくる観客の足音や観客の動き、客同士の会話や溜め息から、会場の外から聞こえるノイズ、吹く風や振動まで、そのすべてが含まれる。その変化のすべてこそが、この展示の本性である。そうしたアプローチだ。

 ただし注意すべきは、この見方は、たとえば「ワーク・イン・プログレス」のような製作途上の過程を見せる、というものではないということである。そこでは完成に向かう意志がある。そうではなくて、最初から一定の状態でスタートし、それが変化を経て、定められた期間がすぎれば、その時点で終了する、というプロセスとして考えてみる。そこには、そもそも終点としての完成型は、ほとんど重視されないと理解した方が良い。重要なのは、そのプロセスで見られる多様な変化であり、そのつど姿を変えていく刻刻の状態である。

●少し分かりにくいかもしれない。このアイデアは、いわゆる「音響的即興」についての理解によっている。つまり、いくらかは知られているように、「音響的演奏」と呼ばれるものの多くは、完成型を求めて演奏が進んでいくのではなく、またそもそも明快な「起承転結」すら存在しない。さらに、ときには数時間にも及ぶ長時間の演奏も存在している。観客は、そうした長時間の、ときには沈黙に近い状態さえある状況で、そこで起こる変化を聴き取る。

 また、そのなかには、単に演奏者の出す音だけではなく、会場の物音やざわめき、観客の立てる音、さらには、会場の外の街の音までがふくまれる。実際、演奏鑑賞中に自分が身じろぎをして立てたキヌズレにビクリとしたり、他の客の椅子がキシんだりする音まで気を遣っているという経験は、たぶんそうした演奏に接した人なら一度はあると思う。そこでは、ちょっとしたキヌズレやキシミまでもが「演奏」の「聴取」に含まれてしまうからだ。そして、実際にそうした即興演奏をそのまま4枚組CDにした作品まであるように、そこではスタートしてから終わるまで、その全部が作品として成立しうるのである。こうした長時間、沈黙、環境音などを、その特徴のひとつとして挙げることができるだろう(なお、ここでは音響をかなり通俗的に解釈している)。

 そのような「音響」に慣れている人なら、おそらく上に書いたwith recordsについてのアイデアは、それほど違和感のないものだと思う。つまりターンテーブルとレコードが置かれた会場で、長時間の演奏が続けられており、それを聴いたり聴かなかったりする。ちがうのは、ここでは音を出す要因が「観客」であり、また、長時間といっても1時間とか2時間ではなく、数週間におよんでいるということである。そして、そこで観客が立てるノイズや演奏のすべて、その過程それ自体こそが、ここで展示されている「作品」である。とくに、with recordsについては、そのうえで観客の参加が重要性だとかんがえてみた。


●その捉え方を、ここで「装置」展についてもあてはめてみたい。つまり、観客の動きや彼らの立てた音、笑い声、話し声、溜息、そのすべてが「展示」にふくまれるものとして。そしてこれは視覚芸術でもあるわけだから、観客がうろつく姿や、空に僅かに見える星や雲、あるいは風が作品をなぶり揺らす、そうした視覚的な面もすべて含むものとして、展示を把握する。つまり、会場内で起きたこと、見えることや聞こえることのすべてをふくむプロセスそのものが、実際に展示されていたものである。このように、展示を「空間」からではなく、時間の側からみてみれば、その輪郭がみえてくるのではないだろうか。

●実際このようにみると「装置」展を、大友良英作品における、ある種の演奏の拡大したものと捉えることができる。たとえば、アノードやONJOには、ステージだけでなく会場全体に奏者が配置され、即興演奏が繰り広げられる中を観客が自由に歩き回りながら聴く、という試みがなされている。そこではいわゆる起承転結は欠いており、即興者各人は、自分のルールに従って即興している。そして、その間中、観客は耳を澄ませたり、歩き回ったりして、その演奏時間内に起こることを体験する。

それをふまえれば「装置」展は、いわばその拡大バージョンではないだろうか。実際、観客は会場を歩き回って音を聴き、都市音を含めた会場全体の変化に耳を澄ます。
ただし、通常のライブ演奏が1時間から2時間であるのに対して、ここではそれが約30日間に引き延ばされている。またその広さも、通常のハコではなく、その2倍から3倍ほどの広さがあると思われる空間に拡大されており、作品一つ一つのスケールもそれに比して大きくなっているのだ。

つまり、演奏時間においても規模においても、スケールが巨大化しているのである。そしてそこでの作品とは、その会場でおこるプロセスすべて、感じ取れるすべてである。このように、一個の巨大な即興演奏として、展示の「輪郭」を捉えることができるのではないか。


●しかし、こうした「即興演奏」的な説明では、わかりにくいかもしれない。「変化そのもの」が展示?「起承転結」がない?

そこで、例えば引き合いとして、ダンスやバレエ、とくにモダン・ダンスを挙げることができるだろう。そこでは、ステージ上でダンサーたちが、起承転結のさだかではない、なにか幾何学的なダンスを延々と繰り広げる(ちなみにマース・カニングハムを想像している)。観客は、そこで起きている変化やプロセスを、じっと黙して鑑賞するばかりだ。そしてここで言っていることは、こうしたダンスのステージに近い。それでも起承転結についてなお疑いがあれば「filament Box」などを聴いてみればいい。

ただし、ダンスや舞踏と大きくちがうのは、「装置」展において動いているのはダンサーではないことだ。いや、それはおそらく会場にいるアーティストですらない。むしろ、その主役は会場内に置かれたいくつもの「機械」であり、その変化である。つまり、ここで見られるのは、「機械」によるアンサンブルというべきものではないか。

●実際、この展示の主役は、おそらく会場内に置かれた「機械」だと思われる。会場内で音を出しているのはそれら機械であり、展示自体も「装置」と名付けられているからだ。

 いや、しかし機械というのでは、納得できないかもしれない。一般的に想像される「機械」とは、おそらくループするものだろう。とくに、「音」を出すたぐいの機械については、3分や10分や、長くても1時間くらいで、特定の音を反復的に再生するような、ループ構造を想像するようにおもわれる。

 ここで重要なのは、実はこの展示において、各種の「機械」がループしていないことである。これは上述の野々村さんのレビューにも詳しいが、実際にこの展示の機械は、ずっとスイッチが入っているわけではない。電源のオンオフ自体が、会場隅の中空につられたカゴのような装置によってコントロールされており、そしてそのカゴは、会場内を吹き抜ける風によって装置のオンオフをおこなっているのだ。つまり、「装置」展の機械は、会期中、おなじ構造をループしているのではなく、外部の環境の変化に対応する形で音をだしている。いいかえれば、この会場においては、いわばそれらの機械が「即興」しているのである。


●このようにみれば、タイトルが「休符だらけ」とされていることに、あらためて注意が向く。実際、いまみたように、この展示での機械は、休符だらけである。つまり絶えず同じ構造をループ再生し続けているのではなく、そもそも動いているときと動いていないときがあるのである。文字通り、止まっている、あるいは休んでいる。むしろ機械はときおり動く、とした方が良いかもしれない。そうした休符だらけの機械の音が、会場内で交差して、ひとつの大きなアンサンブルをつくる。

 注意すべきは、そこでは作家やアーティストは、いわばお膳立てをしているに過ぎない。実際、アーティストの多くは常に会場にいるわけでもなく、むしろ置かれた機械を追加したり、たまに補修したりする。主役は機械群であり、置かれた場所で、「環境」に反応しながら動いたり音を出したりしているのだ。そして会場内にいる観客は、外から聞こえてくる都市音とともに、その外の動きに反応する機械の音を聴く、あるいは、環境に対応する機械群のアンサンブルを、つまりは、いわばその集団即興を聴くことになる。

 繰り返すが、それは会期中ずっと続いている。オープン直後から、会期終了まで、環境の変化を受けながら、機械群のアンサンブルは時に沈黙を多くさしはさみながら、演奏を続けている。つまり、休符だらけのアンサンブル。タイトルをこのように捉えることができるだろう。

●こうしたことは、実際の展示に即しても見ることができると思う。ただしその会期中には、機械の状態自体もかなり変化している。実際、機械のいくつかは音を出すことを止めるものがあったり、反対に機械自体が変型したり、あらたな機械が参入したりもした。とくに、会期最中の台風で多くがなぎ倒されたと思しきあと、最終日には、イベントの騒ぎもくわわって機械のいくつかは音がほとんど聞こえず、寒風のほうが音がおおきいほどだった。そして、その変化もふくめたすべてのプロセス、イベントでの騒ぎや台風や、機械の破損、そしてきこえてくる都市音や観客の足音や話し声のすべてが、作品として含まれる。



●これが、時間の側から見た「装置」の輪郭である。それは会期中をつうじた、機械群の即興演奏として、環境に対応したアンサンブルとしてみることができるだろう。これが、最初の問いに対する一つの答えである。

 とはいえ、これだけでは、まだ謎は残る。実際、ここでは時間に即しているために、空間についてはほとんど触れていない。また、とくにそのアンサンブルをなす「機械」について、かなり抽象的に扱っている。しかし、それについてはまた別の問いかけが必要だろう。

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注1:
http://www.web-cri.com/review/misc_ensembles09_v01.htm