装置・レコード・創発(結)複数のアンサンブルについて

●誰に読んでもらっていたのか分からないままだったけれど、遂にこれで最後である。個人的な作業だが、ここで一つの区切りをつけよう。最後に、これまでの論点をまとめ、結論を出したい。



●まず断りから始めよう。前回、急ぎ足で「音楽装置」について、二種類の空間性をかんがえた。つまり音響空間と視覚的空間であり、「装置」は、音響空間の性質が後者を圧迫している、という考えだ。ただし、それは何かアカデミックな概念をもって展示を「料理」したり、あるいはやみくもに抽象的な議論を意図したものではない。むしろその動機はほとんど素朴と言っていいところから発している。

●まず確認すれば、音響空間と視覚的空間(光学的、といいかえてもいい)といっても、それ自体はオリジナルなアイデアではない。実際、「ユリイカ」の大友特集を読んでみても、D.トゥープの論文をはじめとして、そこですでに多くの議論が「サウンド」がもつ独自の空間の問題を扱っている。あるいは、そのトゥープの文章で取り上げられた作家はサウンド=アート論である「(H)EAR」でも論じられており、その意味で、それほど突飛なものではない。とくに後者では、「音響空間」が、視覚的空間とは異なる性格であり、またフィールド・レコーディングの理論がそうした独自の空間概念から発展したことが、かなり明瞭に示されている。

●そうした文脈を踏まえた上で、「音楽装置」について見たとき、一方ではそうした「サウンド/音響空間」があり、一方で実際の展示としては、視覚的なインスタレーションが行われていた。とすれば、「装置」の空間において、この二種類の空間が重なることは、ほとんど論理的に導かれる答えだといっていいだろう。
 また、そこで起きることについても、それが、音響空間の論理が、視覚的空間より優先されることで起こる「何か」であることは、テキストなどからかなりの程度、想像できる。実際、そこには当初の意図として「バンドやアンサンブルの形でアートに参加する」ことが示されているからだ。
 いいかえれば、前回書いた2種類の空間性は、それ自体として、ほとんどオリジナルな意見ではない。むしろ、一定の文脈と、公表されたテキストをみたとき、とりあえず導かれる議論の一つにすぎないとさえ思う。


●なぜこんなことを書くのかといえば、この議論自体が、しかし、この一連の文章の動機になっているからだ。実際、このシリーズは「装置展とは何だったのか」という問いから発した。その動機は、この展示を取り上げた論評が、なぜかこうした議論を回避しているように見えたからだった。
●実際、ネット上は置いておくと、いわゆるアートの側からの評価は、なぜかおおむね「作家」と「作品」について論じていたように思う。もしくは、実際の作品ですらなく、いわばコラボレーションとしての「製作過程」に焦点を当てたものさえ見られた。
●そうした議論は、批評や評論においては、正しいのかもしれない。しかし、実際に展示を見た後では、そうした議論には簡単には納得できない。というのも、実際の展示では、目の前の作品だけではなく、むしろ作品相互の「音」の交わりや、会場外からの様々な音や風との関係こそが、重要のようにみえたからだった。
 けれど実のところ、そうした実際の体験を言葉にするのは、かなり困難だったようにも思う。たとえば「なんか、あちこちでチカチカしてて楽しかった」くらいしか、表現することができない(そしてそれこそネット上で見られたように思う)。とはいえ、では、やはり作家について注目するのが良いかと言えば、それだけでは物足りない。作家についてだけ見るのは、ロックバンドのCDを聴いて、ギターとベースとドラムを別々に論じ(あるいはプロデューサーの技術をとりあげ)、実際の音楽自体は論じないのと同じではないか?
 
 いいかえれば、実際の展示にそくして、それを論じたり(あるいは評価したり)するには、どうすればいいのか。この問いから、一連のシリーズは始まり、だから最初に「輪郭」として、時間軸を取り上げるところからスタートした。逆にいえば、最初に「時間」を取り上げた時点で、おわりの方に「空間」が来るのは、予定されていた。少し時間がかかってしまったけれど・・・・・・



●ただし、この二つの空間については、別の観点から整理し直す必要があるかもしれない。なぜなら、それはこの展示の作者のあり方、つまりアンサンブルに関わるように思われるからだ。
 実際、「装置」についての議論を見ていると、多くの議論が、「アンサンブル/バンドのようにアートを作る」ことに、ほとんど触れていないように思う。いいかえれば、「作品」はあくまで(一人の)「作者」に帰属するという議論がほとんどのように思われた。繰り返すが、「バンドとして、アンサンブルとしてアートを作る」とされているのは、公表されたテキストに示されている。しかし、実際の議論では、作家や製作過程のみに焦点が当たっていた。それはなぜか。あるいは、そもそも作者=アンサンブルとは、一体どういうことなのか。
そしておそらくこの問題は、上述の「視覚」と「音響空間」の二つの空間性からアプローチした方がいいように思う。そこから見たとき、作者=アンサンブルであることは、かなり明瞭に把握できるように思うからだ。



●あらためて考えてみよう。目の前に、一つの作品がある。それは物理的に存在し、そしてそれを作ったアーティストがいる。これが、おそらく一般的なものだろう。
●では、そこに「音響」を入れてみるとどうなるか。目の前の作品が、音を立てている。それを作ったアーティストがいる。これも、一般的だ。一般的なサウンド・アートというのは、おそらくこうしたものだろう。


●では次に、そこで、すぐ隣りにもう一つの作品(B)があると考えよう。その作品も音を立てている。この場合、目の前の作品を見ているあいだにも、Bの音が聞こえてきてしまう。Bは、視界に入らなくとも、音として、音響空間に入ってくる。では、どうするか。
●おそらく普通は、この場合、Bの音を「聴かなかったことにする」か、もしくは「ノイズ」として処理する(会場運営が悪いとか、そういうことになる)。あるいは、もっと一般的には、目の前の作品とBのあいだに、ツイタテを立てたり、そもそも別々の部屋に隔離して、区切ってしまうことだろう。つまりBは邪魔なのだ。それは、目の前の作品についても邪魔だし、それを作った作者に対しても、マナーを欠いた展示となってしまう。目の前にある作品と、そのアーティストのために、Bは排除されなければならない。観客は、そうした「目の前の作品」を眺め、それを作ったアーティストについて考え、評価する。おそらくこれが一般的だろう。

●目の前に作品があり、アーティストがいる。この場合、評価は明確だ。作品=作者であり、そこにすべての責任がある。だから、Bが入り込んでくると、それは排除される必要がある。ここでは、〈目の前にある=見える〉ことと、それを作ったアーティストが一致している。
 おそらくこの、〈作品=見える対象=作者〉という関係は、空間を使ったインスタレーションですら、同じなのではないか。ある部屋全体にいくつか作品があり、そしてそのすべてがアーティストのものになる。
 これを、視覚的=光学的な作品の理解だといってみよう。そこでは「音響的な問題」は、つまり空間でBの音が混じってしまうような「音響空間」的な問題は、カットされる。もしくは視覚的な「秩序」に、音響空間が従わされていると言っても良いかもしれない。勝手にBが混じり合うような性格の空間は、視覚的な秩序のために、排除される。


●しかし、「装置」では、そうなっていない。つまり、目の前の作品と、Bとを区切らない。区切らないどころか、おそらく目の前の作品とBとの音の干渉具合をこそ展示している。というよりも、そこでは会場外の都市音さえもが「音」として、「作品の音」との関係をもっている。くりかえすが、これはオリジナルな意見ではなく、配布されたテキストに明示されている。いいかえれば、ここでは、「音響空間」の論理が、排除されずに残されているのだ。
●しかも、さらに展示に即してみていけば、実際にはこの音響空間の論理が、〈作品=(単一の)作者〉という関係にまで変化を迫っていることが分かる。どういうことか。

●これは前回の繰り返しだが、そもそもどの「作品」がどの「アーティスト」のものであるかすら、明示されておらず、いずれもリサイクル素材を使った奇妙な機械が点々と置かれているばかりだった。そして、その機械群が作動し、なにかの音を出す。展示を極端に単純化すれば、それはそうしたものである。
 では、ここでの作品は何なのか。それは、ここで聞こえている「音響のすべて」であり、つまり都市音から作品音、観客の音まで含めたすべてである。また視覚的には、廃校の屋上とそこに置かれた機械群であり、そこからすける借景の如き夜景である。このすべてが「作品」だった。そこでは、音にあって、作品相互が混じり合う。視覚的にさえ、複数の作品が同時に目に入り、ひとつの光景をつくり出す。展示のあり方、情報の開示から考えれば、こう考えるのが、おそらく順当だろう。

●さらに、では、ここでの「作者」は誰か。それは、アンサンブルである。つまり名を連ねたすべてのアーティストが、ひとつの「アンサンブル」として、このひとつの展示を作った。どれが誰のかというのは、ここで問うこと自体、おそらくあまり意味がない(繰り返しだが、そもそも公表されていなかったので、わからない)。参加したアーティスト全員で、一つの「作家」となる。
つまり、ここでは、上に書いた〈作品=目に見える=作者〉という視覚的な論理には、全く即していない。むしろ展示のあり方は、〈聞こえる範囲=作品=関係するすべて〉という関係において進められている。あえていえば、これは音響空間的な秩序であり、それが視覚的な秩序よりも、優位に立っている。
 ゆえにここでは、作者はあくまで参加したアーティストの全体、つまりアンサンブルになる(繰り返しだが、作者が「アンサンブル」というのは、最初からテキストに明示されており、まったく突飛なものではない。)。その性格は、こうした空間の論理からみたとき、明瞭に理解できるだろう。


●だから、これも前回の繰り返しだが、最初に〈目に見える作品〉があって、観客がそのあいだを歩く、というのは、論理的に逆だとおもう。実際には、観客は、なんだかわからないが音が飛び交い、範囲も定かではない音響空間に放り込まれている。そして、そのなかで、ところどころに〈目に見える機械〉がある。展示は、そうした秩序になっているのではないか。
 観客は、だから、そうした機械のいくつかに反応し、それに引き寄せられるように近づいたり、かと思えば別の機械の音に反応したり、機械と機械の音の干渉に引っ張られたりして、ふらふらと会場内を歩き回ることになる。
●何度でも繰り返すが、作者がアンサンブルだというのは、最初から明示されていた。けれど、にもかかわらず多くの議論がそれを単純な「コラボレーション」として受け取った、つまりは、役割分担が明瞭な関係として捉えていたように思う。この文章の動機は、そこに発している。作品自体が、最初から音と音の交わりである。ゆえに、作者=アンサンブルというのは、おそらくこうした音響空間としての性格からみなくてはならないのではないか。



●しかし、こうした意見には、即座に、次のような反論が来る可能性があるだろう。「(もしここまでの論理が正当だとして)、しかしそれでは、評価が下せないではないか。〈作品=すべて〉などと言って、それはつまり〈なんでもあり〉の言いかえに過ぎないのではないか」。
 もしくは「その議論は、結局、音楽家のアートを、音楽の論理として、無条件に受け入れることではないのか。いいかえれば、大友良英をカルト化しているにすぎないのではないか」。
つまり、作者が特定できないということは、イコール作品としての評価軸がない、つまり作品としては理解できない。〈目に見える作品=作者〉の論理からすれば、〈聞こえるすべて=作品〉は、受け入れられない。そうした反論だ。

●もしこうした反論があったとして、そうしたことを想像した人は、おそらくあまりにもサウンド・アートやフィールド・レコーディング、もしくは音響的即興のこれまでの試みを、バカにし過ぎている。
 実際、音響空間上の問題をどう処理するか、また、そこでの音について、どのように調整し、仕掛けを施すか、という問題は、これまで数多くの試みがなされてきた。とするならば、たとえそこに視覚芸術としての要素があるとしても、一つ一つの作品や、一つ一つの仕掛けについて、評価することは可能である。もしくは、評価するならば、そうした試みがあったことを踏まえた上で、その判断を下さなければならないともいえるかもしれない。

 たとえば、装置においては、配置や大きさ、視覚的造形性、音と音の質や混ざり方、全体の調和性など、さまざまな点からそうしたことを行うことができる(もしくは、できた)はずである。そこには、大小さまざまな機械があり、音量も、音の性格もすべて異なっていた。それらを、視覚的かつ聴覚的な、ふたつの感覚の間で、判断する。
●ここでは、そうした作業はおこなわない。その余裕はもう残されていない。ただし、一つだけ確かなのは、その評価が、おそらく決して抽象的なものではなく、個々の具体的な機械や、他の機械との関係の中でなされるものであり、また具体的に可能であるということだ。いいかえれば、単に「音楽の論理」や「作家性」だけによることなく、一つのアンサンブルとして見なした上で、それを「アート」として論じることは、ごく普通に可能だとおもう。ただしその議論は、おそらく視覚的かつ音響的な、二つの水準の交差する場所でおこなわれるだろう。



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●取り上げ残した論点について、もう一度だけ整理しておこう。
●前回、「装置」にみられる問題を、二つに分けた。ひとつは、音/音楽の問題であり、もう一つは集団性の問題である。ここまでの議論をふまえたうえで、あらためて、それらを整理しよう。
●ここで注目するのは、その二つの問題が、ただ単純に組み合わされただけではなく、おそらくそこに何らかの工夫が、実験が施されている点である。どういうことか。


●まず前者の音については、すでに前回、すこし触れている。そこでは、フィールド・レコーディングとの比較から、外部の音(都市音)をもふくめた形での聴取が、注目できるように思われる。つまり、もし上に論じたように装置にフィールド・レコーディング的な「音響空間」の性格があるとして、しかし、そこには大きな断絶が走っている。それは、レコーディングの有無の問題、つまりマイクロフォンとスピーカーの不在である。
 この点は、ひょっとすれば、一般的な「サウンド・アート」との間にさえも、大きな断絶があるように思われる。仮に「一般的なサウンド・アート」というものを、ある個室で、録音・編集された素材を、スピーカーから流す、というようなものとして想像するならば、そこで重要なのは、素材の録音・編集それ自体だろう。つまり、どのような素材を収集し、それをどのように流すのか、作家のオリジナリティは、そこに求められるように思われる。
 けれど、「装置」は、そうなっていない。そこにあるのは、作品=機械が出す、いわば直(じか)の音である。より正確には、機械の部品として用いられた様々な素材、それも廃校にあった道具を多く含む、多様な素材がひきおこす音そのものである。

●この、スピーカーを廃し、音を直に流すということは、「装置」の一つの特徴といえるだろう。実際、会場外の都市音と、機械群の放つ音が、何の問題もなく空間上で混じったのは、そもそもこの特徴によっているのではないか。つまりスピーカーを通すことで生じる「加工」感のようなものを無くしたことで、会場外から流れる、おなじくスピーカーを通していない「生の都市音」とのアンサンブルが可能になったのではないか。
 逆にいえば、スピーカーがないことで、人によってはそれを「音の作品」とは受け取らなかった可能性も出たかもしれない。常識的に考えて、サウンド・アートが「録音/編集」によっているとするならば、「装置」にはそうした点が見られない、つまりは、「なんとなく動く変な機械」がいくつかある展示、というふうに理解される。アート的な観点からの「音」についての言及がほとんどなかったのは、そうしたことによっているように思われた。


●いっぽう、集団性については、ここでは創発をキータームとして理解した。正直、制作者がそのタームを意識していたかは、わからない。しかしwithout recordsを基本に、同時に開催されたwithと「装置」を形式的につなげたとき、共通するのは、個々の要素の「オン/オフ」と、それらの結果として全体に見られるランダムなふるまいである。それは、とりあえず創発と言っていいように思う。
●そのうえで、あらためて確認しておきたいのは、withoutと「装置」のあいだに、大きな断絶が認められることである。それは、作動原理として外部環境を導入したことだ。Withoutは、すべてをコンピュータ管理で行っていた。いいかえれば、完結したシステムとして創発性が作動していた。しかし、装置ではそうではなく、スイッチは風を利用したものであり、いわば「外部」によっている。これは、同時開催のwithでもおなじであり、そこでは観客がスイッチの代わりとなっていた。

●これについては、二つのことを指摘できる。ひとつは、こうした外部環境の導入が、おそらく大きな賭けだったことである。なぜなら、この場合、ひょっとしたら機械はまったく作動せず、「装置」は装置として動かない可能性、つまり沈黙だけになってしまう可能性があったからだ。
 これはwithでも同じであり、もし誰もギャラリーを訪れなければ、最終的に会場には何も音が流れない。つまり、ただ沈黙だけがある。それは、ほとんど展示自体の崩壊につながるだろう。まずは、そうした賭けの問題が想像できる。


●けれどより注目されるのは、より形式的な部分である。つまり、形式的な「ふるまいのシステム」と、「作動原理」が切り離されていること、それによってカオスともいえる外部環境を導入しているにも関わらず、展示自体はカオスにはならないという点である。
●これは、別の観点からかんがえてみよう。たとえば椹木野衣「日本・現代・美術」との接続が可能であるかもしれない。つまりそこで取り上げられていたことの一つは、60年代にみられた、ある確立したシステムに外部環境を導入することで、システム自体をクラッシュさせる試みであり、そうした底抜けのあり方が「悪い場所」といわれた。それは、最近論じていた「カオス・ラウンジ」についての議論にも共通する。
 しかし、こうした文脈に置いたとき、「装置」(とwith)は、共通点と相違点をもっているようにおもわれる。実際、withにおいては、観客が自由にレコードを置き換えするのであって、それは著書で挙げられている「孵化過程」などと類似の構造をもつ。しかし、実際にあらわれた展示は、はたしてカオスだった(もしくはシステムクラッシュ)だろうか?たしかにノイズに満ちてはいたが、決してカオスではなく、うえにふれたようにwithoutと同じシステムを維持していたのではなかったか。さらにいえば、「装置」については、カオスであるどころか、むしろある種のアンサンブルをなしていたのではないか?
 おそらく、こうした論点については、anodeや、あるいはさらにオフサイトでの様々の集団演奏の試み、あるいはDCPRGのキャッチ22との継続や関係を取り上げる必要があるだろう。そこでは、複数の主体が自由に動きながら、しかし単なるカオスやクラスターにならないあり方が試行されていた。集団性の問題を重視するのは、そうした試みが先行しているからだ。



●このように、二つの問題を立てたとき、そのそれぞれにおいてある種の実験が進められていたように思われる。
●そのうえで、こうした実験をみたとき、ひょっとすれば08年との違いとして捉えることができるかもしれない。08年は見ていないので、本などからしか把握することができない。そのうえで進めてみれば、08年は、一方で「素材」として録音/編集が取り入れられており、一方でその素材の再生や管理においては、コンピュータが用いられていたと理解する。
 もしそうであるなら、違いは二つ、つまりマイクロフォンとコンピュータの破棄である。素材は録音を通さず、都市音や環境音と共に直接につたわってくる。それらの作動は、管理されることなく、周辺環境のランダムな動きに従って行われる。
 いいかえれば、「装置」には、いわばある種の直接性のようなものがある。素材の直接性、そして構造の直接性。そこでは、なにか「媒介」になるようなマイクロフォンやコンピュータは廃されている。

●それによって、失ったものと得たものがあるだろう。では、失ったものは何か。それは、おそらく音の管理である。つまりあらかじめ録音した音を編集して、計画したとおりの位置からスピーカーで鳴らすこと、また、その際の複数の発音源をコンピュータでコントロールすること。すなわち音を計画通り、もしくは意図通りの形で管理すること。それは、「装置」では失われている。
この点から、あらためて「休符」を位置づけることもできるだろう。そもそも、「装置」展は、常に動いているわけではないのだ。それは環境によって大きく左右される。場合によっては、動くことなく、停止してしまうかもしれない。あるいは、直接に風雨にさらされてもいるわけだから、音を出す素材自体が破壊される可能性さえある。しかもそれは、実際に展示自体をはじめてみないと分からない。最初は沢山の音があったとしても、会期終了前に「終止符」が打たれてしまう可能性さえある。先に「賭け」といったのは、このことを指す。展示は、おそらく実態として「休符だらけ」だったのではないか。


●では得たものは何か。それは、おそらく周辺環境への接近である。つまり会場外の都市環境とのあいだに、関係性を作ることがこれによって可能になる。すなわちスピーカーを通さないことによって、都市ノイズと違和感なく「音」が混じることができる。同時に、その作動においても、会場を吹き抜ける風として、つまり都市環境自体と一体化して動くことができる。いいかえれば、先に分けた「音/音楽」と「組織/集団」の両面において、都市環境と一体化することが可能になる。
●つまり、「装置」が目指しているのは、おそらく都市環境との一体化である。より正確には、都市と一体化することによって生まれる〈「音」とその「組織化」〉=「音楽」である。


●そんなバカな、という意見もあるだろう。しかし、このことさえ、テキストに記されている。つまり、この展示は、会場が先にあって、それを生かす形で内容が構想された。と明瞭に記されているのだ。そして、このこと自体は、これまでの活動について、とくにfilamentなどを振り返ったとき、それほど珍しいことではない。それらでは、会場の音響状態におうじて、あとから演奏の内容が決められ、即興演奏がおこなわれる。
 「装置」は、それと同じことをしている。つまりまず先に会場があり、そこにおいては、屋外で、都市ノイズと風が吹き抜ける状態があった。内容はそれを生かす形で決められる。ただしここではアートであり、音を出すのは演奏家ではなく機械によって、そしてアンサンブル/組織としておこなわれる。ゆえに「音」と「組織化」の両面において、会場内へ通じてくる都市環境との関係から、展示が構築された。


●いいかえれば、観客がここで体験するのは、「東京」による、もしくは「東京」とのアンサンブルである。重要なのは、会場もまた、展示以前は「東京」の一部だったことだ。そこは、ごく普通の廃校の屋上であり、どこでも同じように騒音が聞こえ、風が吹いていた。
そこに、展示は、わずかながら介入する。ただしその騒音や環境に反発するのではない。むしろ、その騒音をそのままに、吹き荒れる風雨の流れに逆らわず、いくつかの機械仕掛けを置く。(その機械仕掛けさえ、大半は廃校に置かれていた用品や用具をつかって作られている)。すると、それらの機械が、東京の環境に反応して動き出し、そして騒音とともに一つの音楽を生み出しはじめる。

●観客が体験するのは、そうした機械仕掛けによって起こる変化であり、それによって生み出されるアンサンブルである。それも、すでに述べたように「視覚的」かつ「音響的」な体験として、出現する。それがどのようなものかは、足を踏み入れてみなければ、もしくは、具体的に歩いてみなければ分からない。それは、一方で機械仕掛けが生み出す「何か」を体験することであると共に、それによってほんのわずか変質した「東京」であるのかもしれない。


●このようにみたとき、ようやくにして、当初の問いの答えに辿りつくことができる。「装置」とは何だったのか。それは、東京を変質させる装置である。それも視覚的かつ音響的な変質をもたらすための装置である。ごくふつうの東京の一箇所に設けられた、決して都市に反旗を翻すのでも、反抗するのでもなく、しかし何かを変質させるための装置。そうした機械仕掛けのことである。
 ここまで辿りついたとき、しかしあらためて、これは何だったのかという疑問も頭をよぎる。これは、そもそも一般的な意味での「サウンド・アート」ではない。どちらかといえば、もはやランド・アートに近い。しかしそうしたジャンル分け自体、そもそも意味がないだろう。いずれにしても、ここにおいて、問いは一つの答えに到達した。しかし、これが答えなのだろうか・・・




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●繰り返すが、ここまでの議論はオリジナルなものではない。すべて何らかの形で公表されていたテキストや文献によっている。くりかえすが、ここでの動機は、そうした見地から、何らかの形で展示を理解し、位置づけようとすることによっている。もし追記するなら、展示終了後に、いくつかのシンポジウムなどのあとで、大友さんは幾度も議論の「勉強不足」を難じていたと記憶する。それは一体何なのか。そうした制作者側の意見に対する、客の側からのアンサーであるといえるかもしれない。ゆえに、これが、上出来とまではいわなくとも、ほどほどの水準のアンサーであることを祈る。
 ただし他方で、それは安易なカルト化を意図していない。この文章が、全体として、極端なまでに形式や構造について注目し、なるべくシステムとして展示を分解しようとしたのは、それによって、中立的な形の判断が下せると思われたからだ。
 いいかえれば、こうして分解すれば、もはや「大友良英」という名前によることなく、いたるところで「音楽装置」を再現し、コピーし、カットアンドペーストできる。それは、同時に批判するための道具をつくることでもあるだろう。創発性、素材、枠組みとしての時間、音と音楽の問題、視覚的空間と音響空間の二重性、外部の導入と、都市環境の変質と調和、これだけ道具があれば、どれかひとつは、何かの道具になるはずだと信じる。


●だから最後に付け加えるべきは、ここまでの議論が、あまりに大友さんに寄りすぎていることである。この展示は、アンサンブルズと題されていた。それに対してここまで、主として、展示作品について、その展示自体が一つのアンサンブルであるという観点を取ってきた。またそこから出発して、作家=アンサンブルとしての観点を付け加えた。そこでは、本来なら、誰かの固有名詞を中心に検討するのは、方法として間違いがある。しかしここでは、テキストや情報の点で、そうした部分を避けられなかった。それをまず確認しておく。


●そのうえで、しかし、実は、アンサンブルはこの二つだけではない。ここまで、あたかも展示だけが、アンサンブルであると主張してきた。また、そこにあらわれる「空間」についても、展示会場の内部だけにみられるものとして議論しようとした。

●しかし、実際の空間は、さらにその外部に存在している。どういうことか。
 ここで最初のテキストに立ち戻る必要がある。そもそも一連の09年展は、一体何だったのか。それは、東京という都市においておこなわれたものである。08年は、美術館で、それも情報系のアートを広く許容する場所でおこなわれた。それに対して09年は、そうした美術館ではなく、より一般的なギャラリーで、しかも多くが廃屋や廃校を再利用した場所でおこなわれた。つまり、そこには何らの後ろ盾も権威もなく、消費社会の中で、一連の企画をおこなうことを意味している。


●とするならば、ここに第3の「空間」を、あるいは第3の「アンサンブル」を見出す必要がある。それを、仮に「社会経済的空間」と呼ぼう。東京という都市の、社会的経済的な条件の中で、自力で展示するスペース(=場所/空間)を見出し、実現すること。そのための組織として、人を集め、またボランティアなどの様々な人間関係を生み出し、実施すること。そこに、09年展で見られたもう一つの空間とアンサンブルを見出すことができる。
●ただし、この問題については、観客という立場からでは、ほとんどその内実は見えない。実際、09年展では、「アンサンブル09推進委員会」なる組織の名前が挙げられていたが、その構成の詳細はほとんどわからない。また、その活動において、どのような障害にぶつかり、どのように課題をクリアしたのか(あるいはしえなかったのか)、そのほとんどは、見えないままだ。


●そのうえで、見える範囲からのみ、確認しておこう。まず第一に、この点を踏まえたときあらためて考えるべきは、これまで議論してきた諸論点は、実はそのような経済的状況の中でおこなわれてきたことである。つまり、そこには美術館という権威や行政組織による補助などに頼ることなく、ほぼ最小限の資金と手段において実施されたと推測される。まずそのことを確認しなければならない。
 いいかえればこれは、この一連の企画が、単に、「与えられた機会に、ファッション的な流行の先端をためしてみた」というだけではないことを示している。これまで挙げてきた論点は、ひょっとすれば流行として、モードとして受け止められかねない点を持っているだろう。たとえば音楽家によるアートへ進出といったことや、サウンドのアートへの転用、あるいは、多人数による集団作業といった点は、ひょっとすれば09年時点での音楽〜アート界の一つの動向として理解されるかもしれない。
 しかし、あらためて、この社会経済的空間をふまえたとき、一連の展示が、いわば「片手間」の作業であったとは想像しにくい。この文章が(実はそれほど長くないのだが)長文として書かれているのは、一つには、展示での実験を位置づけることにあるが、もう一つ、そもそもその実践の条件として、ことによったら赤字や債務を覚悟して行われたもののように思われたからだ。そうした試みを、単にトレンド消費のように片付けるのは、どこか基本がずれているのではないか。


●問題は、しかし、それだけではない。というより、むしろ重要なのは、そのうえでこのアンサンブル自体が、一つの「実験」を行っているようにみえたことである。実際、この展示はいずれも入場料を独自に設定し、それを通常よりかなり低額な(500円)価格に定めた。そこには、一方でそれによってペイできるか否かという問題とともに、会場の選定、予想される観客の数やその経済力など、さまざまな要素からはじき出されたものであると想像される。いいかえれば、このアンサンブルは、アーティストが自力で活動でき、かつ作品を発表する場所を設定でき、かつ観客がそれを無理なく鑑賞できる、そうした社会経済的な値を新たに設定したのではなかったか。
「東京において、アンサンブルがサバイバルできるか否か」。なんどか公的に示されたこの問題は、ここにおいてようやく理解できる。それは、単に展示が内容的に通用するかというのではなく、むしろ社会経済的空間の中で、それに対応したアンサンブルが生み出され、活動を完結できる諸条件をめぐって実験を行っていたことを指しているのではないか。


●このようにみたとき、この第3のアンサンブルの位置を、おぼろげながら確定できる。それは、端的にいえば一つの運動、もしくは運動のための組織である。ただし即座に注意すべきは、これは反社会的な運動でもなければ、経済活動のための営利組織でもない。そのあいだにあって、ただアートを続けるためだけに組織されたものだ。
 おまけに、これはある意味で、組織ですらない。そもそも、組織の中心たるべき「原理」が存在しない。もちろん展示において〈アンサンブル〉というコア・アイデアがあるとしても、その実態は、すでにみたように誰か一人に所属するのではなく、参加した複数のアーティストやボランティア、協力関係者、さらには観客など、関係した人間のかかわりによって決められている。先に「カルト化」の問題に言及したが、実のところここでは、そもそもカルト化が成立しえない。そのための経典も原理もないからだ。

●しかも、さらに重要なのは、これが09年ためだけのもの、つまり1年で解散してしまったことである。実際、10年展の予告を見ても、そこには09年の推進委員会は見えず、展示に参加していたメンバーもかなり異なっている。ここでは、さらに「カルト化」は成立しない。うえにみたアンサンブルについて、たとえば「『カルト化しない組織』という形でのカルト化」というのも、実際にはあり得るだろう。しかし、ここではそれさえ通用しない。なぜなら、ここでいくら「装置展の諸アンサンブル」を称揚したとしても、それは結局は09年の問題のみに、その期間のアンサンブルだけに対象が限られてしまうからだ。それを「カルト」といっても、あまりにも現実・現在から隔たったカルトというしかないだろう。
 むしろ見方を変えてみれば、これはまるでミュージシャンのツアーのようだ。ある特定の期間、いくつかの企画が立てられ、それぞれに人が集まり、プロモーションとマネジメントが組まれる。そしてそれぞれでバンドやアンサンブルを組み、その場ごとの企画を実行していって、終われば解散する。

●おそらくこれが、09年展におけるアンサンブルの性格、アンサンブルとしてアートを生み出すことの意味である。それは展示だけではない。そこにもアンサンブルが見られるが、さらにもうひとつ、社会的経済的空間において、いくつもの試行を進めながら、場所と資源と活動を確保するための運動体としてのアンサンブルが存在する。
 あらためてタイトルに引っかければ、それはアート=「休符」を生み出すための運動体であったともいえるだろう。つまり都市=消費/経済的空間の中に、いくつかの休符を生み出すこと。それがこのアンサンブルの目的である。そして、その目的を果たせば解散する。


●先に、問いに対する一つの答えを出した。それは、東京を変質させる装置としての展示である。しかし、いま分かるのは、それが答えの一部でしかなかったことだ。実際、「休符だらけの音楽装置」とは、一つの企画展示を指すと共に、09年に行われた一連の展示の全体を指すタイトルだった。そして、ここおいて、その全体をカバーする、より大きな「装置」に突き当たる。
 それは、東京という社会経済的空間において、アートをつくりだすための運動体である。それが単一であるのか、複数であるのかはわからない。しかし、そうした企画・製作・マネジメントを含めて、創作の場所を確保し、つくりだすための組織。それによって、東京の中に、休符を生み出すための運動体。

●このようにみたとき、この一連の企画の中に、複数のアンサンブルがあることが分かる。それらはいずれも、東京に向かっていた。その都市において、集団を組織し、人を組織し、場所をつくり、機械を仕掛ける。
 
 だから、あらためて答えを出そう。「休符だらけの音楽装置」と題された企画で、「音楽装置」は何か。それはおそらく、こうした複数のアンサンブルそれ自体である。それは、東京という都市を相手に、そのなかにいくつかの休符をつくり出そうとするものだった。そして企画の終了と共に、その装置自体が、余韻を残して解体された。



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●こうして、ようやく答えに辿りついた。こうした文章には、本来なら「展望」のようなものが付されるべきかもしれない。しかし、ここではそれはしない。というより、それは性格上、不可能である。

 すでにみたように、ここでの問いは「音楽装置」は何か、というものであり、そして答えを出す過程で、その射程が驚くほどの広範囲に渡っていることをみてきた。そこでは、おそらく「実験」と呼ばれるにふさわしい諸問題が、複数の次元、複数の空間においておこなわれていた。ここまで、その問題をめぐって進んできたが、その論点のいくらかは正しく、また多くは間違っていたかもしれない。
 しかし、いずれにしても最後に辿りついたのは、装置そのものがひとつの期限を持っていたことである。それは、ある期間を終えて終了した。そこでは、一連の期間やプロセスが実験であると共に、おそらくその解散自体が、一つの実験である。そこから、問題はむしろ未来へと拡散している。
 とするならば、ここからの展望は不可能である。なぜならこの文章はあくまで09年の活動に焦点を当てたものであり、もしたとえ10年に「アンサンブルズ」が行われるとしても、そこでのアンサンブルは、目的も性格も性質も内容も、すべてことなる形で立ち上がるだろうからだ。

 ゆえに、それについて何か論じることは、不可能である。唯一確実なのは、もし次に何かのアンサンブルについて論じるとするならば、そのための問いは、そのとき、その場において、その体験に基づいて、まったく別の形であらためて立てられなければならない。(了)





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