ちょっと休憩〜

●あいや〜、ちょっと休憩しま〜す。ついに2010年展がはじまったけど、まだ行ってない。それについて書くかどうかも分からないけど、とりあえずちょっと休憩。そもそも、実は休憩中のはずだったのだー、ちょっとのめり込んでしまった〜。


●で、えーと、その前に。最後にアップしたものにちょっと個人的なことを書いてしまった。そのせいで、文章がちょっと(あるいは、かなり?)強迫的なものになってしまったかもしれない。まあ、単純にいうと勢いなんだけど(笑)、ちょっとだけそのことについて考えた。

●で、うまく論理が繋がるか分からないけど、まずひとつは前提として、扱っている対象が、ちょっとタイソウな言葉を使えば「制度」の問題を扱っているということですね。
 つまり、「ジャンルわけ」から、「作者とは誰か」「作品とはなにか」「どこで、どうやって作って、誰に見せるのか」という問題。それを、まあザックリいえば「制度」といっていいんじゃないか。

で、扱った対象は、そうしたことに対して、問題提起をしているようにみえたわけです。それも、単に「ノー」というだけではなくて、そのうえで何か別のものを作る、そういうことをやろうとしていた、あるいはやっていたように見えたわけですね。だから、ホメるにせよ、ケナすにせよ、とりあえずそこは指摘しないとダメだろうと。「秩序」という言葉を頻繁に使っているのは、そのせいだったわけです。


●で、論理的にジャンプしているかもしれないけど、これをずーっとやってみると、最後に問題が自分に跳ね返って来るというか、「そういうオマエの立脚点は何なんだ?」という問いが、もうすこし強くいえば「オマエは一体ナニサマなんだ?」という問いが、跳ね返ってきたんですよね。で、「うーん、あえていえばココかなー」というあたりで、自分のことというか、そういうのを出した。まあ、つまりは広くいえば客だし、もう一歩ふみこめば自分の体験かなー?と。
いいかえると、そんなにやるなら論文書けばいいじゃん、という意見もあるかもしれないわけで。で、研究が面白いのは分かっているつもりだけど、でも、とりあえず今の僕にはそれはできない。じゃあそれをやっているオマエは何かというと、まあ制度的には客で、そのなかの一人ですと。そういうことでしょうか。

だから、個人的な問題があるからエラいとか、だからオレのことを読めとか、そういう意図ははないです。それは、わかってほしい。あと、客だからエラいとか、お客様は神様ですとか、そういうことを言いたいわけでもない。というか前提として、個人史なんてウソかもしれないし(笑)、それはいくらでも簡単に書き換え・組み替えられる。それは前提ですよね?
あと、逆にいえば作家だって、他人の作品に接するときは客だろうし。まあ、客っていっぱいるわけで、そういうごく普通にいるなかの一人です、と。もちろん客を代弁しているつもりもないです。沢山ある議論のうちの一つに過ぎない。それも、わかってます。「じゃあそれは個人的な問題だろう?」といわれれば、それは最初からそう書いてある。そういうことだと。
あとは勢いとか何かが入り混じって、何かのロジックができたような、でもそこに本音が混じっているのか、単に言葉の組み合わせのせいなのか、そのへんは、あんまりよくわからない。

まあ、だからそう書いたのが良かったのかどうか、良く分からない。個人だから何を言っても良いとも思わないし、客だからなんでもかんでも解釈していいとも思わないし。最終的には、それは個別のふるまいというか、そのときの書き方や身振りの問題なのかもしれないですね。

うーん、よくわからないやー。一般論はムズいです。


●もう一つ。とくに、最後の方の文章だけ読むと、まるで収蔵庫にいれているような、なにか文脈を教科書的に「教えてやる」ようとしているような、そういう風にみえるかもしれない。でも、それは逆というか、ちょっとちがう。
 まず、そもそも収蔵庫といっても、実際の作品が残ってない(笑)。それは、なくなっちゃった。物理的に。もう戻らないわけです。というか、たぶん、すでに別の展示として改造されて組み込まれてしまったりしているんじゃないか(笑)。

それに、多分もう一度同じメンバーでおなじことをしても、それは再現かもしれないけれども、たぶんそれは僕にとっては別モノで。実際、会場はもう別の施設になっていて、別の文脈の中で成立してしまう。それは、正確な再現かもしれないけれども、ベツモノだ、と。あと、動画や写真で確認できるじゃんと言われるかもしれないけれども、問題にしたい部分は、そうじゃないところなんですね。そこでは再現できないところを、問題にしたい。つまり、なんにも残ってないわけです。

で、しかも困ったことに、次があるのが分かっているわけです。10年展が始まるのは、だいぶ前から分かっていた。とすると、つまりそれが始まって、見たりしたら、単純に忘れてしまう(笑)、あるいは頭がこんがらがって、よくわかんなくなっちゃう。で、それは一般的には良いのかもしれないけれど、個人的にはイカンと。とりあえず処理しないといけない。


●で、じゃあどうするか、というと、もう保存するしかないだろうと。それも、実際の設計図とは違うかもしれないけれども、自分の見たものを、言葉によって、(できるだけ)体系的に保管する。保管と言うより、分解の方が良いような気もしますけど、そうするしかないと。そうすることで、ある意味において、残す。だから、まずもって善意の啓蒙というようなものではないです。それは確認したい。

そのうえでなら、ある意味では収蔵庫に入れてるのかもしれないし、文脈がみえてきたり教科書的な部分があるのなら、それはある程度、論理的にできたのかなと思うけれど、それは目的ではなくて結果ですね。というか、知っている人は分かっていると思うけれど、全然教科書的ではないですよ(笑)。そもそも実際の設計図に沿わないで分解しようとしているわけだから、その分解の仕方が正しいのかどうかも分からない。「正しい/まちがい」というのは、そういう意味です。
あー、ちなみに全体が大事とか色々いっていますけど、きちんとした個々の検討(つまり実際の設計図)が大事なのは、もちろんわかってます。というか、それがあったから、最後まで進んでいったというのが本当のところ。それは強調したいです。


●で、やってみたらこうなりましたと。ただ、それが絶対正しいとかは全然思わないし、一つだけで良いとも思わないし、というか、そういうのが沢山あった方が面白いと思うし。そういうのの一つを作ってみました、ということですね。そのなかで、批判めいたことも触れましたが、それは一つには、なんというか実のところ議論の推進力みたいな部分もあったり、それでもなるべく単なる罵倒にならないようにしたつもりで、でも上手くできたかどうかは、今は正直わかりません。ただ僕の設計図に批判があるなら、別のを作ってもらってかまわないし、その方がむしろいいし。そこから何かの問題が出てくるなら、議論ってそういうものかなとも思うわけです。そのうえでいうなら、収蔵庫に入れようとしたのかもしれない。

●で、付け加えれば、そうやってできた設計図や部品のいくつかで、これから起こることで、何をやっているのか分からないことがちょっと分かったらいいんじゃないかと。それは10年展だけではなくて、もっと広い意味で。
というか、具体的には書かないけど即興とか即興演奏とかで、何をやっているのかサッパリわからないことをやっている人は、一杯いるわけですよ!(笑)。何を考えたらそうなるんだ?とか、つまり何が起きているんだ?みたいな問題は、沢山あるわけです。
僕の設計図から漏れたものも多くあるし、あくまでその一つで、それは分かってる。あるいは、分かってほしい。というか、あの文章だけ読んで分かったと思うと、大間違いなのは、本人がよくわかっています。もっとナゾのものや未解決の問題は、たくさんある。10年展だって、連続している問題があるかもしれないけど、違うところも沢山あるだろうし、それについて、ここで作った図式はまったく当てはまらないかもしれない。もちろん、当てはめる必要もない。
そういうよくわからないものを見たときに、まあ、何かの理解のキッカケができたら、それはそれで良いかもと。この道具でわかるものもあれば、わからないものもあるだろうし。全然使えないかもしれない。もし使えるなら改造してもらっても構わないし、別に専売特許なんかないわけで。「これからのこと」というのは、そういう意味です。

 あいやー、つまるところ、よくわからないやー。抽象論はニガテなのだー。というか、つまりは目的と意図と内容が詰め込みすぎだったということか(笑)。


●えーと、あともう一つ、最初は制作者の方々に感謝とかあらかじめの謝罪とかもしようと思ったけれど、それはここではやめます。それは、作品の前で考える、というスタンスと矛盾していると思うので。
まあ、作家の方々の話を聞きたいというのありますけれども、それとこれとは別問題で。
 というか、基本的に人見知りなんですよね(笑)。人見知りは、別に話が嫌いなわけじゃないんだけど、まあ、なにか別種の壁が(笑)。人間、いろいろとムズかしいのでR。


●あー、これは事後的な感想ですけど、ハスミ重彦さんが、「スクリーンは客と作品が対峙する戦場だ」というようなことをたまに書いているに思いますけれど、これはそういうことなのかなと思いました。
つまりビデオとかDVDがなかったときは、たぶん映画はその期間しか見ることができない、それが終われば、まるごとなくなっちゃう。次はいつか、全然分からない。再現できない。
だからそれはかなりの緊張感だったのではないだろうかと。もう本当に闘いくらいの気分で挑まないと、価値も何もわからない。
で、これは本当に単なる感想ですけど、ひょっとして言葉で分解しようとしていたんじゃないか。気になったところ、見たことを軸に、体系的に分解して残そうとしていたんじゃないか。だから、ひょっとして西部劇を見て「白いエプロン」を軸に、何百枚とつづけて、システムを残しておくというか。すごく攻撃的な文章は、攻撃的になりたいというより、そうしないと最後までいかない、踏み台的にどんどんジャンプするキッカケだったんじゃないか。だって、そうして終わらせないと、つぎの新作が来て、忘れちゃうから。ひょっとして誰も読んでいないけど、ま、いっか、と。あー、もちろん、これは自分がそうだとか、だから良いとか悪いとかではない、単なる感想です。


●まー、いいーやー。とりあえず休息しまーす。次次と言いながら、この問題にこだわっていると、僕自身が進めないのだった(笑)。

つぎに、いきなりおバカなSFの話とか書いてもゆるしてー。
は〜〜ひふ〜へほ〜〜♪(←どうでもいいけど、これが単なる「はひふへほ」っていうのはいつも驚き)