日常のつづき 4

この文章をアップするまでにタイムラグがあると思うが、いまは16日の午後11時、板橋ちかくの自宅にいる。ついさきほど、停電の時間が終わったばかりだ。状況としては、いわゆる自宅待機。停電が夜間に予定されていて、どうなるのか予測できなかったので、自宅に待機しておくというのは状況把握に好都合でもある。結局のところ自宅近隣は停電することなく3時間を過ごしたが、まだかなり状況を予想できない。


先回書いたように電話回線なので、ネットに接続するのが面倒で、接続しないまま一日を過ごす。だから、ツイッターなどをいくつか拝見して状況を知るということもない。
まあ、ある日突然、それを始めるかもしれないが、現在のところ、個人的にはテレビと新聞(と電話)の情報だけで、十分な環境にあると思っている。実のところ、テレビかネットかどちらかを選ぶとすれば、テレビを選択する。
 
 というか、もっと言えば、ネットに接続しない日常というのは、ある意味でとても気楽だ。



そのような情報環境の中で、ひさしぶりに少し歩く。お昼過ぎ。風が強い。やや遠いけれども、いわゆる大和町交差点に向かい、そのまま板橋方向へ。川を渡り、やや上り気味の道路を歩いていくと区役所が近い仲宿商店街に出る。


川沿いは桜並木で、春には爆発するような桜色になるが、まだその気配はない。その近くの、安いチェーンのカフェ・・・というかモリバに入る。ちなみにここのコーヒーは本格的に不味い。
とはいえ、このあたりのカフェは池袋と違って「常連」がいる。それも一日中いるのだ。ここにはたまにしか来ないが、そのたびに見かけるいつもの店員さんと、いつもむっつりしているお年寄りの常連さんたちを見かける。
彼らに向かって、まばたきによるモールス式の挨拶を送った。



そこを出てスーパーに寄ったあと、大和町交差点に引き返して、そこにあるベローチェに行く。理解が正しければここの2階に、同社の本社がある。
僕が安いチェーンのカフェに親近感を覚えるのは、たぶんそうした環境にもよっている。

やはりいつもと同じ店員さんと、「常連」たち。ここではケンカも繰り広げられる。
たいていは、パチンコでカネをスった人が、知人の「常連」に罵倒され嘲笑されて反省するという光景だ。そして、最後はお決まりのように、反省した常連はしょんぼりして店を逃げ出す。
その光景が、じつはここでは毎日くりかえされている。いや、くりかえされていた。


そしてそんな光景が、今日もくりひろげられる。いつもどおりの泣き言と罵声。
日常のつづき。




とはいえ、街の人の数はかなり少ない。とくに、午後6時から停電ということがあるせいだろう、商店街のシャッターがかなり早く閉まる。なかには3時半には閉まる店もあった。
実際、6時から停電だと、5時くらいには気分的な覚悟を決めなければならない。そのためには、4時半くらいには家にいる必要があるだろう。そのためには、4時前には職場を出なければならない。とすれば、3時半に店を閉めるのは、ある意味で論理的だ。
だから夕方には、商店街は静まりかえっていた。


もうひとつ。
信号待ちをしていたら、目の前にいた二人のガキが、「さいきん、ねむれる?」「ううん」という会話をしている。

 その会話に、個人的には何もできないが、新しい日常に向かって、首府の時間が進んでいるような感覚をおぼえる。日常のつづきと、新しい日常。あくまで予想だが、感情的な反応は、これから来るかもしれない。二つの日常の移行期のはざまで、少しゆるんだ緊張のなかで、さまざまなコトバと感情が渦を巻くかもしれない。
 
だからといって、そんな大きいことに何もできない。何かをするつもりもない。だからといって、それは忍耐でもない。つづきと、おわりと、はじまりのあいだで、できることをしてみる。

それは、でも、たぶん何も新しいことではない。いつもと同じことではないか?




 ぼんやりと考える。たとえば、ニュースの報道映像に、BGMがついたこと。とはいえ、すべてのニュースをチェックしているわけではないが(それほどテレビを見ているわけではないので)、個人的に一番最初に確認したのは、日曜日の深夜にテレビ東京でやっていた「総集編」的映像だった。タイミングとしてはかなり早い印象。
 
ただし驚いたのは、そこで付けられていたのがアンビエントというか、「癒し系ドローン」のような音楽だったこと。人によったら気づかないほど、うっすら、低音が鳴っている。その選曲に、理由はわからないが、驚愕した。

 おそらくこれから、そうやって映像の編集というか、ある「経験」を編集する作業が進むだろう。もちろん、つねにナマの映像を見せられ続けては、神経に耐えられないという意見もあるだろうから、それはしょうがないかもしれない。あとは、それがどう編集されるか、それを見守るしかないのだろう。
 
 それも、新しい日常かもしれない。それは、でも、つづきでもある。
 たぶん、いまそこに立っている。二つの間に。


 そんな16日。
 日常のつづき。





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