日常のつづき9

今日も自宅から。ただいま、22日の午前0時55分。
ついさきほど、ループラインのフォーラムから帰ってきた。電車が休日ダイヤであることをすっかり忘れていて、終電がないのでは思ってイベント終了後にダッシュしてみたが、まったく問題なく帰宅。あれほど慌てて出る必要はなかったようだ・・・。


当然だが、千駄ヶ谷へ行く。やや早めに到着し、出てすぐのヒダカ屋で夜食。とんこつラーメンを食べたが、本格的に味がない。客も少なく、外はまっくら。

じつはここに来るたびに、夜の体育館の威容におののいており、その威容は今日も変わらず。巨大な構造物の輪郭だけが見える様に、おののく。
ただし、コンビニに入ってみたところ、予想以上に暗い。自宅近所や、池袋周辺と比べて、かなり暗く感じる。人もほとんどいない。



いろいろと日常の形について思うところはあるが、とりあえず、企画についてだけ。
まず、とても面白かった。なぜか客が少なかったような気もするけど、個人的にはとても面白かった。好き嫌いでいえば、じつはそもそも、何かに真剣に取り組んでいる人の話を聞くということ自体が、個人的には好き。
だから、今日の話は、やりとりを含めて、とても面白かった。話を聞いたからと言って音楽を理解できるとか、そういうことは思わないけれど、それとは別に。
また、演奏も素晴らしかった。ちょっとうまくいえないが、やはり大きな音はすごい(?)。
どうでもいいけど、この一連の企画、紙媒体の人がきちんと記事にしてもいいような企画だったと思う。別に話している内容が曖昧でも、とりとめがなくても、けっこう充実していたようにおもうんだけど。
あと、やはり北里さんの司会も素晴らしかった。色々なツッコミはあるかもしれないけど、やっぱり確固たる意志がある評論家の話は、とても面白い。ちょっと感銘をうける。



内容とは別かもしれないけれど、とくに一つだけ。途中から秋山さんが、いきなり「ポロックが・・・」「グリーンバーグが・・・」と言い出して、最後までこだわっていたのに、とても驚く。
ありゃ、なんだ、この文章を読まれているのか? サービス? たまたま? 別にそんなに自意識はないけど、ちょうど一週間くらいまえにポロックについて適当に書いていたので、シンクロぶりに驚いた。まあ、そんなことはどうでもいいけど。



で、そう、やはりポロックは面白いと思う。とくに個人的には、グリーンバーグというより、ジャンル・スペシフィックに解消されない(つまり絵画芸術に純化する方向ではない)ポロックや、その影響というのを考えると、なんだか面白そうだと。


たとえば、即興性とか、一回性とか、偶然とか、そういう問題の多くが、すでにポロックに見られると思う。確率的な組み合わせですべて解決する/しないというような話さえ、あの絵に含まれているのではないか。
また、即興というとすぐに「何でもあり」みたいな感じになって、分かる・分からないというような話になるけれど、それについても同じ。たとえばアンフォルメルになってしまえば、(作品は別として、評論レベルで)「何でもあり」だし、「何でもありだからこそ良い」みたいになっている(ようにみえる)。
けれど、ドリッピングについては、たまに言われるけれど決して簡単ではなくて、あれだけの長さの垂らしをするには、技術的な修練もいるし、そのうえである程度の軌跡を考えているようにも思われる。だから、それは決して何でもありではないし、むしろそのつどの選択のようにしてあるように思う。

だから、即興と確率の問題にしても、むしろポロックを論じればいいのではないか。

しかも、その作品にヤられてしまい、とつぜん変な作品をつくっちゃったような、美術以外の人たちが、実は沢山いるのではないか。

もちろん、ポロックだけを取り上げたいというわけではないし、即興とかいうなら、実はモネだってマラルメだって、なんだか一杯いるみたいなわけで、そうした色々な系譜の一つとして、見てみるのはどうかなと。
あともう一つは、前から、実験音楽(とくにケージ)と、フリージャズとか即興が同列で語られるのが何故なのか、よくわかっていなくて。もちろん直接間接の相互影響もあるだろうし、さまざまな経路があるのだろうけれど。なんか、その一つに、ポロックもあるんじゃないかとか。実は両方とも、ポロックに影響を受けている、みたいな関係とか。

なんか、そういうことを妄想する。まあ、そういう研究とか、ガチでありそうな気もするけれど。よくわからん。

というか、だからどうしたといわれれば、まあ、全然よくわからないわけだが。


そんな意味があるのかどうか分からない話の、適当なつづき。



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