維持と変化

この十日あまりのことをまとめようとしたら、なんか長くなっちゃって面倒なので、ここで適当につぶやく。誰が読んでいるのか知らないけど。


うーん、どうでもいいけど世の中すごいな。なんかいきなり緊縛写真とかアップされるのを見ると、良く分かんないけど「すげえ」と思う。別に緊縛そのものじゃなくて、それを平然とアップしていることの方ね。いや、マジで素晴らしい。



どうでもいいけど、なんか最近、いまの状況を「戦時」で語る人がいるみたい。でも、これはたぶん間違いじゃないと思うけど、おそらくいまは、戦時じゃない。とりあえずニホンといわれる場所で、何処にも戦争は起きていない。
逆に言うと、戦時で語ることは、そういうコトバを使って喜んだり、そういうコトバで誰かを操作することを楽しんだりする人のコトバの論理に、のっかってしまうことのように思える。たしかにこれからいくつかの地域で、政府による集権的な復興政策が進むと思うし、それはひょっとしたら部分的に動員というような側面もあるかもしれない。というか、個人的には、そういう政策は進んだ(なるたけ迅速に)方がいいとおもう。
でも、それは戦時なんかじゃない。いまは戦争なんて起きてない。それは、コトバ遊びとかの以前に、単なる事実誤認だ。

だから、花見といっても、戦時下で風流を気取るとかじゃなくて、ただの年中行事。
あー、花見したいなー。



もうひとつ、印象。31日にループラインに行った帰り道、千駄ヶ谷の体育館の前をとおった。前に書いたけれど、いつもここをとおると、その夜の威容におののいていた。夜闇に、わずかの街灯しかなくて、不気味に影が浮き上がるようだった。

でも、その日はちがった。というか、ひょっとしてはじめて、こんなときに、と思った。まったく見え方が違っていた。
こんなときに、もうループラインはなくなってしまって、今日がここに来る最後だとおもっていたのに。だから今日も最後に、もういちど、夜の威容におののこうかとおもっていたのに。

暗がりになれた目は、もういくつかの街灯の白い光で、じゅうぶんに明るかった。もう、体育館の姿におののくことはなかった。一体、このわずかな間に、何が起きたのだろう。それはわからない。
けれど、夜闇の中で、体育館の姿は、すみずみまで、はっきりと見えた。どうやら、光にたいする感受性が、いつのまにか大きく変わっていたようだった。


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