維持と変化2

誰が読んでいるのか知らないけれど、今頃、実は池袋の新しめのライブハウスで、たぶん面白いであるだろうライブが行なわれている。こうして書いているということは、当然いっていないということになる。ひょっとしたら、これまで書いてきたこともあって、なんでお前来ないの、と思われているのかもしれない。そのあたり、厳密な理由はない。そう思われていたら、ただごめんなさいとしか言えない。タイミングとスケジュールによるとしか言う以外の理由が見当たらない。

まあ、客だ客だと言っても、じつは作り手の方々も、他の作り手の演奏を沢山見ているわけではないことは、最近知った。だから、そのへんはオアイコじゃないか、という切り返しもできる。ただ、僕のことを評論家だと思っている人は、がっかりされるかもしれない。そのへんは、もうごめんなさい。言ってもあまり意味がないけれど、そもそも、あまり自分を評論家とか批評とか思っていないのです。じゃあ何だと言われても、よくわからない。だいたい、別に目立ちたいわけでもないし。



ちなみに、そんなに書くなら、もっと現場に来たときに気楽に話し掛けてくればいいじゃん、という人もいるかもしれない。ここでいきなり個人的な悩み(笑)を告白すると、まあ人見知りというのもあるけれど、実はもう一つの理由として、「その人について書けば書くほど近付けなくなる」というジレンマを抱えているのだ。

このあたりの説明は難しいけど、単純に言えば、(前も書いたけど)勝手に作品や演奏を理解して、分解したりすることで、自分がコトバや論理の暴力をふるっているという自覚がある。だから、まあ、なんか申し訳ないという気持ちが、常にどこかにある。ので、作り手の人に(とくにここで書いている作家の方々に)なかなか気楽に声をかけたりできない。敬して遠ざける、というかんじになるのは、そのせい。

で、つけくわえると、別に積極的に誘っているわけでは全くないけれど、もし作り手の方が、一個人として、なんか池袋あたりをうろうろしている変な奴がいるなと思っていて、「なんかこんど池袋に行くけど案内しろ」とか、「時間空いているけどお茶とか酒とか」とか思っていたら、連絡くれれば、たぶん案外、僕はのこのこ出ていくと思う。まあ、ネット環境的に即日の反応は無理だけど。
だからといってドバドバ来られてもスルーしたりするかもしれないし(笑)、こちらもそれなりに忙しいから快い解答ができるかは良く分かんないけど(笑)それはみんな同じだから、そんなもんです。
別に自意識過剰なわけではないけれど、故意に自分を神秘化しているわけでは、まったくないので。孤独な独学者、とか思われていたら、それはそれで面倒だなとか(笑)。


つけくわえると、だからと言って、誘いを断ったら怒られたりすると、それはそれで困る(笑)。ちなみに僕のメールの返事はやたら短いので、そっけない感じになるかもしれないけど、だからといって他意はない。



うーむ、とりあえず書いてみたが、われながら、まったく意味がない(笑)。まあでも、前々から一度は書いておこうと思ったことなので、とりあえずつぶやいとく。