維持と変化4

ここに毎日書いていると(とくに意味もないのに)癖になりそうなので、以後、間歇的にする。

ひとつだけ。このところ書いていたのを「政治的」というように捉える人もいるかもしれないけれど(まあ、誰に向かって言っているのかわからないけど)、実は書いた内容そのものは2週間前に考えていたことをちょっと細かくしただけだった(戻ってもらえれば、イエスかノーかではなく迅速な対応策こそ議論すべきと書いてあるはず)。なので、実は個人としてはあまり「政治化」しているつもりはない。ちょい文体を変えたけど、中身はただ前に思ったことを続けているだけ。

だから、そのまとまりのある内容については終わったので、とりあえず毎日つづけるのはやめた。これからは、もっと適当な感じにする。



ついさきほど揺れが二回ほど。小さいのはもっと沢山。そのたびに、一連の感情のセットを繰り返す。身辺を確認し、情報をチェックし、etc。
ただ、自分でも恐ろしいのは、徐々にショックを受けなくなって来ている。前は、揺れが来ること自体が、こうした文章を書くひとつの契機にさえなっていたが、もうそうなることはなさそうなのだ。これからは、たぶん大きな揺れが来ても、何も反応しないかもしれない。

おそらくこの感覚は、ニホンのどこにいるかで大きく違うだろう。たぶんナゴヤくらいを境に、その東西で、身体感覚やそれに伴う感情のトリガーが大きくちがっているような気がする。

だからどうしたわけではないけれど、そのことを意識できるうちに、とりあえず書いておく。たぶんこういうこと自体、まもなく意識さえしなくなる。



昨日はセンキョには行ったが、色々なものに行かなかった。さりとて。というフレーズが頭の中でループしたが、歌声やサイン波もループしはじめて、というか聴いたことのない響きを聴こうとして、結局どちらにも行かない選択をした。
しゃあない、ごめんなさい、うらやましい。そう繰り返す。

代わりに、その前日の土曜日にピットインに行った。なんだか分からないけど、そこにはまだ平然と、とりあえず「実験」としかいえなさそうなモノと行為があった。それについては、またいつか。



とりあえず、花見に出かける。


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