維持と変化5

どうでもいいけど、一か月という期間が経つと、そのなかにすでに「回想」するような余地ができてくる。これまで、けっこう書いていたけど、そこから漏れていて忘れてしまうだろうことについて。



忘れてしまうのでメモ。先月のフォーラムで、キャプテンさんが
「キース・ロウはポロックに影響を受けている」
と口走っていた。本当かどうか分からない。
以上、メモ。




3月中旬、ずっとテレビはニュースだった。そのなかで、ほとんどはじめて見たバラエティ番組。司会は「ぱっくん」で、12チャンネル、普段は一時間らしいが30分に切り詰められていた。なんか温泉紹介みたいな番組だった。
その司会の顔は、とても強ばっていて、「こういうときでも、明るい話題を提供していきましょう!」ということを意識的に言っていた。自分を励ましているようだった。


その表情を見ながら、そういえば6年くらい前にイラク空爆されたとき、彼が「いらく丼」というネタをやっていたことを思い出した。
ネタは単純で、最初は「いくら丼」から始まって、いつのまにか「ら」と「く」がひっくり返る。そのあと「いらくドーン!」と叫びだし、つづけて「朝鮮丼」と口走って、それを「てぽドーン!」と読み替える。ただ、それだけ。

個人的におワライの動向は良く分からないけれど、ごく普通にテレビを見ている限り、このとき、こうしたネタをやっていたのは彼等だけのように思えた。少なくとも誰の目にも触れるような場所で、大っぴらにブラックジョークを飛ばしていたのを見たのは、彼らのネタだけだった。
よくぜろ年代とかてん年代という言い方を聞くし、その定義も色々あるのだろうけれど、個人的には、ぜろ年代というのはブラックジョークのなくなった時期ではないかと思っている。というより、それはつまり単なるジョークがなくなった時代ではないか。少なくとも、「ニホン人」と言われるような人々は沢山テレビにでているけれど、誰もそれをやらなくなったように見える。そんななかで、唯一何かの「つづき」をやっていたのは、彼らだけだったように見えた。


だから、一時間を30分に切り詰められ、こわばりながらも温泉番組の司会をしている表情を見て、彼はまだ「つづき」をやっているのだと思った。社会との接点で生まれる笑いを、ただし前とは違う形で、つづけている。

誰もがやらないし、誰もが忘れてしまったし、別に誰かがやる必要もないかもしれないけれど。あるいは、やってしまえば誰かに怒られてしまうのかもしれないけれど。
けれど、誰かがやって良いだろう何かの「つづき」。終わりでも始まりでもなくて、ただその人ができる範囲での「つづき」。
そういうものを、そこにみたような気がした。気のせいかも知らんけど。




3月20日くらいに、地震後はじめてジュンク堂に行った。新刊や雑誌をチェックしていたら、良く知らないけれど「レポ」という雑誌の表紙が目に飛び込んで来て、衝撃がはしった。

発行が3月15日だから、たぶん入稿は地震前で、おそらくその内容は地震と何の関係もない。けれど、その表紙は、いまの状況にぴったりだった。勝手に文脈が出来ていて、けれどとても有効だった。思わず笑ったうえに、誰も批判することもなく、でも多くの人に力と笑いをくれるようなものだと思った。

それはミドリ地に文章が印刷してあるだけの簡素な表紙。引用したら怒られるのかどうか分からないが、まあそのときは引用を削除することとして、全文引用と言うのをやってみよう。ちなみに下ネタだ。



こうき心はある。恐怖心もおなじくらいある。だから立ち尽くす。つぎの行動は、一歩前に出るか後ずさるかだと思った。だがそうはしなかった。股間に手を伸ばし、チンチンをいじりだしたのだ。その姿勢でぼくをじっと見つめる。立場が変わった。動くのはこっちだ。カメラを取り出して「よく伸びるなあ、そのチンチン」

・・・引用してみて分かったが、なんか意味が通っていないような気がする(笑)。まあでも素晴らしいと思った。発想って不思議。下ネタは、下品であることは間違いないが、同時に、誰に取っても平等なのかもしれない。


もちろん気のせいかも知れないが。


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