維持と変化8

どうでもいいが、書く気がないばかりか、疲れてきた。
だからというわけではないが、少しずつ放言が増えているような気もするが、ある意味で自分にとってのメモ的なかんじで。とくに結論もなく続ける。
つまり以下、メモ。



昨日、「フバイ運動」みたいなことを思い付いたりしたが、良く考えたら節電もある種のフバイ行為かもしれない・・・まあ、トーキョーのデンキのうち25パーセントがゲンパツとか何とか聞くと、とりあえず25パーセント分のデンキを買わなければ、ゲンパツから買わないことになる(のかもしれない)。よくわからない。

とりあえず、今のところ、個人的にはこの問題については、とにかく想像力が働かないし、そのこと自体が一番問題だ。多くの人もそうだと思うが、まさかデンキがやられるとは考えたこともなかった。あるいは、一時的な停電はあっても、長期的なものとしてデンキそのものが問題になるとは、まったく考えたことがない。
だから、つまり一体どういうことがありえて、ありえないのか。何ができて、できないのか。どういうことが想像できるのか。そういう想像力がまったく働かない。「何かをする/しない」という以前に、そっちの方が問題にかんじる。

一方で、なんとなくだが、おそらく市場はすでに、代替エネルギー産業について動いているような気がする。市場は貪欲だから、いままで注目されていなかった(つまり株が安い)けれど成長する見込みのある企業には、即座に反応しているのではないか。よくわからないけど。
もしそうだとしたら、たぶん時間はかなりかかるだろう。ひょっとしたら五年後とかに、何かが出来たり、選択肢が増えたり、そういうことになるかもしれない。
そのときに、どうするのか。そういう問題かもしれないと思う。それくらいの長期的な問題なのではないか。
そんなことを思った。



時事問題。についてのメモ。

書かなかった十日間の間に、一時話題になっていた「復興省(庁)」構想は、5週間がすぎた現在、取り止めになったらしい。代わりの「会議」が立ち上がったが、あれはつまりは委員会のようだ。だとすると、そこで立案された計画と、実際の計画や実施は、また別ということになるのだろう。

あるいは、権限を集約した省(庁)ではないということは、たとえば「復興関連法案」というものが成立した場合、実際の担当は、それぞれ既存の省庁でバラバラに行われるということになるのだろうか。
たとえば都市再建と産業復興をまとめて考えるとしても、実際にはコクドコーツー省(住宅)と、ケーザイサンギョー省(産業)と、コーセー省(各種保険)と、ザイム/ソウム(税)などが、それぞれ別個に機能する?そういうことなのだろうか。なんとなくすこし面倒だったり遅れてしまうような気がしないでもないが、とりあえず注視するしかない。

このあたりのプランが、現時点ではわからない。



また、五週間がすぎてもなお、行方不明者の数がふえつづけている。まるで他人事みたいな言い方でちょっと怖いが、良く考えれば普通は逆(最初に不明者の総数がしめされ、時間とともにその内訳が変化する)はずだが、そうなっていない。ということは、たぶん住人を把握しているはずの自治体のデータや情報が破壊されていて、いまだに復旧できていないのではないかと思わせる。実際、数日前のニュースでも、とくにセンダイ市は不明者の把握が明確にできていないと言っていた。

別の見方をすれば、もう五週間も経つのだから、たとえば新聞などで(見開きとかで)被害をうけた全地図とその詳細な情報などが提示され、それにそってボランティアや支援物資の送付などが進んでも良いように思う。
が、それはひょっとして「していない」のではなく「できない」のではないかという印象を持つ。つまり、まだ損害の全体が、誰にも把握できていないのではないか。


その点では、4週間後も、5週間後も、ほとんど何も変わっていないようにみえる。



非常にどうでもいいし、また結局は予測にもとづいたひとり相撲なので、別に書かなくても良いのだが、前から思っていたことをひとつ。

よくわからないが、これから、地震について「表象不可能性」みたいな議論がでて来そうな気がする。まだそういうのは見ていないが、なんとなく、そろそろ出てきそう。つまり、あの事象について、それはコトバにできないとか、さらには、「してはならない」というような、そんな議論。とくに65年前の独逸で見られた諸々と比較したりとかして、そういう表象不可能なことが現れたとかなんとか。


とはいえ、これはただの予想で、だからそこで考えが止まっているのだが、作品としてそういう作品がでてくるのはさておき、たとえば自分の問題としてそういうのを考えると、ちょっと違うような気がするとおもう(ちなみにこれは、予測を立てて、それに対して一人で反対しているので、単なる一人相撲だが)。

だって、それは表象不可能ではなく、実際に起きたのだから。それを見た人がいるのだから。それは、れっきとした現実なのだから。
それをコトバにしたり、表象したりすることは、不可能ではないはずだ。むしろ、そういう表現やコトバに対して「してはならない」というような言い方があるとすれば、その禁止は、禁止をだしている人だけを安全にする詐術のように思う。

だからといって、何が言いたいわけでもないし、具体的にそういうことを言っている人がいるわけでもない。またそういう地震の表象をしている人が良いとか言いたいわけでもないし、まあ、そのへんはいつもと変わらない。


という、ちょっとした一人相撲。でも、今のうちしか書けなそうなので、とりあえず書いておく。





今日は、午前11時くらいに大きな余震があったが、もうほとんど反応しなかった。


今日はかなり暖かい。
まだ八重桜などは咲いているが、すでに多くの桜は散って、なかなか中途半端な緑色になっている。


今日は5週間後だ。
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