空白、持続、

誰が読んでいるのか知らないが、6週間と2日が過ぎた。特に目的もなく文章をつくってみる。期待している人がいるかもしれないが、それはとりあえず外れるか外れないか、どっちでもいいかんじで。



どうでもいいことだが。
なんとなく時間の感覚がおかしい。寒暖の差も手伝って、いったい今が何年の何月なのか、良く分からなくなる。たとえば、前から読んでいる人は知っているけれど、僕が「音楽装置」について書いていたのは、昨年の12月だった。「客」と言い出したのも、その頃だ。とすると、少なめに見積もって、まだ4か月しか経っていない・・・あるいは、井の頭公園の水上コンサートがどうこうと言っていたのは今年の2月で、ということは2か月前なのだ。
・・・正直、もう1年以上前のことのように思える。一体なにがあったのか。むしろこの6週間と2日間が、奇妙な空白のようにさえ感じられる。

ただ、いま唯一の手がかりは、日が長くなったことか。太陽だけが4月下旬の光。ゆっくりと初夏へ向かっている。ただそれだけは分かる。とりあえず、時間は確実にすすんでいる。
それでも地球は回っている、と言って良いのだろうか?



どうでもいいといえば、まったくどうでもいいが、あれこれと下ネタを導入したりスタンスを変えたりしてみたが、実はいっこうにメールが来ない(笑)。まあ、だからといって目立ちたいわけでも人気者になりたいわけでもないが、まあそんなもんかもしれない。
たまにこういうことを書くのは、別に騒ぎたいわけではなくて、突き詰めてみれば、自分の性格からして「このままだと永遠に作り手の人に話し掛けられないかも・・・」という不安(笑)に襲われることがあったりなかったりするのだった。じゃあどうすればいいのかというと、よくわからない。だからといって、ネットで書かれた人も、全ての人の文章にいちいちメールするのも面倒だろうし、連絡をもらってどうこうしたいわけではない。なんだろう?なんか挨拶のきっかけみたいのが欲しいだけなのかもしれない・・・「今度顔を見たら話し掛けてみます」的な相互承認みたいな?でも、そんなのも、別に必要ないといえば必要ないな。
ちなみに、これは本当に誰に読まれているのか自覚できていないうえに、直接の知人にはここの文章を教えていないので、この文章は個人的にはかなり特殊なメッセージということになる。どういう意味で特殊なのか、そもそもこれがメッセージなのかは、良く知らないけど。

うーむ、我ながら本当にどうでも良い話だ。まあ、たまにはこういう話も。




あれこれ。

毎日ひっそりと更新されているSachiko Mツイッターを拝見・・・なぜか誰も触れていないようだが、毎日の写真に驚いたり。
とくに何かを言うことはないけれど、とりあえず写真家の撮った写真とは明らかに違うのだが、明らかに同じことを続けていて、けれど明らかに変化し続けていることだけが分かる。あとは、見るたびに「ぬぬ」とかしか言えない。
たとえば、最初は、自分でもマネできそうとか思ったが、なんかちょっと違うことがだんだん分かって来た。うまく言えないが。とにかく、なんだかスゴいものを手に入れたらしいと思う。とはいえ、スゴいと言ってもデジカメだから、その意味では別にスゴくないんだが。ぬぬ。




時事問題。についてのメモ。
ゲンパツについてのニュースを見ていて、どうも自分の問題意識が若干、間違っていたことに気付いた。

前から、「単位や数の意味がわからない」と書いた。それについては今も変わらない。沢山の数がでてくるが、その文脈が不明なので、基準を提示されても、それが正しいのかどうか、未だに分かっていない。
問題はそこではない。あるいは「反」や「脱」でもない。そうではなくて、実はもう6週間もたっているのに、いまだにゲンパツそれ自体の内部の情報が、まったく空白のままであることだ。


いま、沢山の情報がゲンパツをめぐって飛び交っている。飛び交っているだけでなく、現在はとうとう社会的な政策として実体をもった。他人事のようになるかもしれないけれど、ある情報に基づいて、ついに足を踏み入れることのできない空間が設定されたようだ。だとすれば、いまは単なる情報だけでなく、それが現実の事態としてあらわれているし、その意味で、情報はいっそう濃厚に溢れている。
けれど、本当に驚くのは、その中心が、その本当の現場の内部が、まったく分かっていないことだ。未だに人が立ち入れず、機械ですら入り込めない。現状もわからず、まして何が起きたのかはまったく分かっていない。完全に空白。これほどの情報が溢れているのに、中心は何も分からない。

だとすると、実は問題はさらに広がるような気もする。とくに、わからないのは今の状況が、収束に向かっているのか、まだ問題の途中なのか、あるいはまだ問題が始まってさえいないのか、どの段階なのか、それ自体が、ひょっとして定かではないのではないか。たしかに何かが起きているが、それがはじまりなのか、つづきなのか、おわりなのか、いずれなのかがまったく分からない。
さらに個人的に恐ろしいのは、これが机上の空論ではなく、現実であること、そしてもう一つは、この情報の空白地点こそ、現実にはホーシャノーが満ち満ちているというひっくり返ったような状況が現実だということだ。この6週間に交わされた情報は、実はどれも中心に触れないままに放たれており、中心は不可視のままで、情報が一切ない。だがホーシャノーはそこから発せられているのだ。


6週間経っても、そこはまだ空白のままで、何も変わっていない。


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