作用と持続 1

誰が読んでいるのか知らないが、明日で書きはじめてから7週間になる。よく書いた。ものすごく書いた。
とはいえ、話題を広げるのはもうこのあたりが限界の気もする。それは、個人的な能力もそうだけど、だんだんと状況について詳細な情報がでてきたから。いまは、個々の問題について詳しく知っていて深く考えている人が沢山いるし、相対的にみて、たぶん僕は情報をほとんど把握していないような立場にいることになる。だから、何かを書いても、それは単なるヤジにしかならないだろうし、むしろ、そうやって色々なことを考えている人の意見や知見を知りたい。あとは、単純にいま、ワタシの体力が足りない・・・まあ、それはいいや。


というわけで、どうしようかな。何か悪辣なことを試してみるか、いきなりふたたび「創発性と即興について」とか言い出してみるか・・・。後者は、実は「即興の解体」をだいぶ意識していて、組み合わせ論を回避するためのアイデアでもあったりするのだが、でもそれを書くのは、時事問題以上に疲れる(笑)。
とすると、とりあえずお絵書き帳的なかんじで、適当に文章をつくってみたり。



ああ、そういえば未だにロブグリエを読み直しているのだが、とにかく変で凄い小説だと思う。いまは「快楽の館」を読んでいて、ひとつ、全然分からない点がある。


それは、「ぼく」と「音」の関係。この小説は延々と「ぼく」が幻想を語っているように見えるし、その幻想だけが展開しているように見える。でも、細かく見るとちがうのだ。

それは、小説の後半くらいで出てくる。とつぜん、部屋の天井を鉄の杖でガンガンやっていると描写がでてくる。えーと、文庫で141ページ。
どうやら上の階にボリスというおじいさんがいて、眠れないらしく延々と床を叩いているらしい。そして、どうもそのボリスがいるのは、「ぼく」の部屋の上の階らしいのだ。


で、これは、ずーっと続いている幻想とは関係がない、つまり「ぼく」の今いる状況の問題なのだが、だんだんとそれが幻想の中に入り込んでくるように見える。

たとえば、ここでの幻想は、レディ・アーウ゛ァという女性が経営する「青の館」というエッチな施設についてだ。そしてそれは(たぶん)幻想なのだが、終盤、いきなりそのアーウ゛ァがボリスについて語り出す。つまり疲弊したアーウ゛ァがうわ言として、「上の階のステッキの音がうるさい」「年老いたボリス王が揺れている」と言い出す(182ページ)。この言及は、それまでみられない。むしろ、幻想上の人物が、とつぜん、現実の人間について語りだしているように見える。

しかも、その直後に、幻想のなかの主人公ジョンソンがマヌレという人物を殺害するのだが、そのとき、ジョンソンも混乱している。つまりドアを開け、相手を視認するとき、「マヌレでもマルシャンでもジョンソンでもボリスでも、誰でも良い、どうでもいい」と言いながら、ピストルを乱射していく。これが実質的な小説のラストだが、ここにも「ボリス」が出てくる。ここでは、もう何でも良いからボリスを消去したいと言うような、杖でドンドン言われることへの怒りに満ちているようにも読める。ここでは、もはや幻想と現実が入り乱れているようにも見えるのだ。


で、何が言いたいかと言うと、これに注目すると、つまりこの小説は、上の階でガンガン杖を叩いているボリスに、もういいかげんウンザリした「ぼく」が、ノイローゼ気味に(暇つぶしに)延々と一人妄想をしている、という風に見ることができる。ような気がするのだ。つまり、ただ女体の妄想をしているわけではなくて、もっと現実的な動機があったうえでの妄想なのではないか。もしくは、そもそもそういう設定なのではないかということ。
いいかえれば、これが、「ぼく」と「音響空間」の関係ではないか。つまりこの小説において、「音」は、展開される幻想のいわば外部にあって、その幻想を生み出す発端である(うるさいので妄想に走らせる)と同時に、最終的に幻想に侵入して破壊してしまう(幻想と現実をごっちゃにしてメチャクチャにしてしまう)ような位置にあるのではないか。あるいは、こうした「ぼく」に介入して物語を作動させてしまうところにこそ、この小説の特異な「音」を見い出すことができるのではないか。



・・・という疑問。これは、どうなのだろう、合っているのだろうか。けっこう基本設定部分にかかわる問題のような気もするのだが。


ちなみに、もうひとつ付け加えると、この「ボリス」の出現により、実は「青の館」の空間自体が変容しているようにおもわれる。とくに、ボリス登場以前には、この館は4階まであって、その「最上階」にアーウ゛ァの寝室があるとされる(89ページ)。
けれど、上に見たように、最後の場面では、アーウ゛ァ自身が「上の階のステッキがうるさい」と言い出す。それはこれまでの流れではあり得ないはずなのだが、アーウ゛ァはそう言い出すのだ。
しかもそれで終わりではない。そのあと実際に主人公は、そのさらに上の階まで行ってしまう。そうすると、そこにもう一つ部屋があって、そこに美女と憲兵待ち伏せているのを知ることになる(これが本当の最後の場面)。
こうしたことからして、物語は脇において、とりあえず単純に考えると、つまり階がふえているようにかおもえない。端的には、4階建てだったものが、5階建てになっているのだ。そして、その階数が増えたキッカケは、建設したとか増築とかではなく、「上の階からきこえるステッキの音」にあるとしか思えない。別の言い方をすれば、「音」が幻想に侵入する過程で、青の館の構造そのものが変異してしまったようにおもわれるのだ。


このような点からすると、この小説における「音」と「空間」の問題は、もっと複雑になるだろう。音は、単に外部にあって、幻想をひきおこしたり介入したりするだけでなく、舞台設定全体をおおきく変容させてしまうような、ほとんど「下部構造」みたいな位置にあるように思われる。あるいは、この音にかぎらず、裏を返せば、実は語られている「青の館」そのものが、常に変異し、歪んでいるわけでもあって、その複雑な変異や因果関係をあらためて辿ってみると、どうなるだろうか。あるいはそうやってみたとき、ロブグリエにおける音と空間の関係は、一体どうなっているのか・・・・・・



・・・とか思うが、この分野はガチな研究が多いのも知っているし、深入りする気はゼロなので、まあ適当に書いただけ。

いやー、でもなんか面白いなー。というか、あらためて思うのだが、ホントにマジですごい小説なんじゃないかと思ったりする。



ありゃ、字数が多すぎて悪辣なところまで辿り着かない・・・まあいいや。久しぶりに、誰の役にも立たない文章なかんじで。


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