作用と持続 3.4

誰が読んでいるのか知らないが、このところ何だかメリハリをつけた感じだったので、どうしようか迷ったが、今日は壮絶に気が抜けている・・・今日こそ、何か期待している人は読まないで大丈夫です。やる気がないから(笑)。
以下、とくに意味なし。


とはいえ、なんだろう、回文とか載せようか?なんでみんな回文やめちゃったんだー?

回文を分解したい。

回文の分解。
回文分解。

かいぶんぶんかい。


・・・回文じゃなかった。


ぬぬ!(×3)
ぬぬぬ!




さいきん、どうでもいいけれど、はじめてある種の行為について考える。この2か月ほどではじめて知った、ある種の行為。
それは怒りでもあり、嘆きでもあり、悲しみでもあり、憎悪でもあり、そのすべてであって、けれど具体的な対象を欠いている、そんなときの感情の発露の仕方。
誰が悪いのではない、けれど、おさまらない何かを吐き出すこと。その行為。
それは何なのだろうと考える。



そんなことについて考えたこともなかったけれど、なんとなく分かってきた。
たぶん、それはのろうことだ。のろう。天を、大地を、運命を、なすすべもない状況を、そのすべてを、のろう。
天に唾する、大地を踏み付ける、呪詛を放つ、声をあげる。運命をのろう。ののしる。


だからどうしたというわけではない。今はここで止まっている。でも、どうやらそうした行為が自分の中に、ほんのわずかでもあるようで、そんなことをこれまで考えたことがなかったということに、何か驚きをかんじる。まだ、それは終わらないかもしれない。



まったく関係がないけれど、いま、あと数週間で、人が立ち入れなくなる地域があると聞く。
いま聴いてみたいのは、そこの音だ。その場所の、その空間の音。人の音。場所の音。生活の音。もちろん自然の音も入っているけど、それだけではなくて、それと混じった人の音。

それは、ひょっとしたらもう間もなく消える。ある一つのサウンドスケープが、消えてなくなるかもしれない。もちろんそうならない可能性もあるけれど、そうなる可能性もある。

もしそうなったら、そうなった後でその録音を聴いたら、はたして何を思うのだろうと自問する。現実からは消えた、録音としてのみ残されたサウンドスケープを前に、何を思うのだろうかと自問する。


ひょっとしたら、ののしり、のろうかもしれない。誰が悪いのではない、どこに向けるのでもない、やり場のない感情。そんなことをしても誰の役にも立たないけれど、そうしてしまう一つの行為。



ののしること。のろうこと。そんなことについて考えるなんて、思ってもみなかった。


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