作用と持続 3.4
誰が読んでいるのか知らないが、このところ何だかメリハリをつけた感じだったので、どうしようか迷ったが、今日は壮絶に気が抜けている・・・今日こそ、何か期待している人は読まないで大丈夫です。やる気がないから(笑)。
以下、とくに意味なし。
とはいえ、なんだろう、回文とか載せようか?なんでみんな回文やめちゃったんだー?
回文を分解したい。
回文の分解。
回文分解。
かいぶんぶんかい。
・・・回文じゃなかった。
*
ぬぬ!(×3)
ぬぬぬ!
*
さいきん、どうでもいいけれど、はじめてある種の行為について考える。この2か月ほどではじめて知った、ある種の行為。
それは怒りでもあり、嘆きでもあり、悲しみでもあり、憎悪でもあり、そのすべてであって、けれど具体的な対象を欠いている、そんなときの感情の発露の仕方。
誰が悪いのではない、けれど、おさまらない何かを吐き出すこと。その行為。
それは何なのだろうと考える。
そんなことについて考えたこともなかったけれど、なんとなく分かってきた。
たぶん、それはのろうことだ。のろう。天を、大地を、運命を、なすすべもない状況を、そのすべてを、のろう。
天に唾する、大地を踏み付ける、呪詛を放つ、声をあげる。運命をのろう。ののしる。
だからどうしたというわけではない。今はここで止まっている。でも、どうやらそうした行為が自分の中に、ほんのわずかでもあるようで、そんなことをこれまで考えたことがなかったということに、何か驚きをかんじる。まだ、それは終わらないかもしれない。
まったく関係がないけれど、いま、あと数週間で、人が立ち入れなくなる地域があると聞く。
いま聴いてみたいのは、そこの音だ。その場所の、その空間の音。人の音。場所の音。生活の音。もちろん自然の音も入っているけど、それだけではなくて、それと混じった人の音。
それは、ひょっとしたらもう間もなく消える。ある一つのサウンドスケープが、消えてなくなるかもしれない。もちろんそうならない可能性もあるけれど、そうなる可能性もある。
もしそうなったら、そうなった後でその録音を聴いたら、はたして何を思うのだろうと自問する。現実からは消えた、録音としてのみ残されたサウンドスケープを前に、何を思うのだろうかと自問する。
ひょっとしたら、ののしり、のろうかもしれない。誰が悪いのではない、どこに向けるのでもない、やり場のない感情。そんなことをしても誰の役にも立たないけれど、そうしてしまう一つの行為。
ののしること。のろうこと。そんなことについて考えるなんて、思ってもみなかった。
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