作用と持続 5

どうでもいいが、例によって疲れている。だからどうしたわけではないが。

ちなみに、きのう、なんだか適当に書いてみたが、その後、特に何も起きていない・・・まあ、そんなもんだろう。ただの自意識過剰だったかな?そういうのを読みたくなかった人にはお目汚しだが、ある意味でこの文章のすべてがお目汚しである可能性も高い。

・・・うーむ、文章に中身がないな。まあ、よきかなー。



例によって驚く。

クワイエット・アテンションズの間はとりあえず(タイトル的に)クワイエットにしていたが、Sachiko Mの写真が・・・さらに展開している!ここに至って新しいテーマが!うわ!


うーん。適当に。
一瞬、加工しているのかとおもったが、そうじゃない。どうやら、ただそのままの写真だ。かといって、幾何学的なイラストを組んで立ち上げたCGでもない、これは現実の映像だ。


・・・なんとなくだが、どうもそこには平面的な幾何学性と、現実の図像が交差している。だがそれは絵画によるものではない(つまり画家が、目に映る現実を、フィクショナルなかたちでオールオーバーにキャンバスの上に再構成しているのではない)。かといって、仮想の3次元空間を設定しているわけでもない(つまり構図が先にあるわけでもない)。
ただの写真だ。ただデジカメで撮っただけの、ただそれだけ。誰でもできる。


けれど、そこには奥行きがない、全体がない。ただ斜線があり、運動があり、それが切り取られた時間の中で散乱している。すばやく、おそく。色をともなって。


それらの写真が「正しい」写真かどうかわからない。そんなことは知らない。
というか、正しいかどうかなんて、最初からどうでもよかった。ただの写真があるだけだ。ただ、撮られただけの。そんなの、最初から分かっていた。



ただ一つだけ。そんなの、誰でもできるかと思っていたのに。
そうじゃないらしいことに、最近ちょっと気付いた。




どうでもいいけど、
今日は寒い!


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