作用と持続 6

誰が読んでいるのか知らないが、大友さんがやっているラジオをパソコンで聞く。
どうでもいいけど(以下、敬称略)、泣くなよ・・・おっさんが泣くなよ。いや、レディーなら良いとか、そういうことが言いたいわけじゃないけど。いや、そっちの方がまだ良い・・・わけは全くない。というか、そういう話じゃない。この路線を追求すると、素でヘンタイになりそうだな。

わかる、というには個人的な情報はあまりに少なすぎるから、なんともいえないけど、うーん。なんかもう一曲くらい必要だ。


たとえば涙から明日へとか。よくわかんないけど。



どうでもいいが、疲れた。なんだかこういう文章を連発するのは、どうやら2週間が限界らしい(あるいは、そういうスパンがある)ことが、自分の中で分かって来た。なんか、同じモードを続けるのに飽きちゃうのかもしらん。

とはいえ、いいかげん2か月以上も書き続けているのだが、ほとんどまったく知り合いが増えない・・・池袋と板橋を往復しているだけの状況に問題があるのだろうか。というか、ここで言っている「知り合い」の定義が謎なのかもしれない。
何だろう・・・適当にここで書いているようなことをダラダラ話す的なことだろうか。でもそんなことは可能なのだろうか。というか、はっきり言って、ここ2週間くらいの文体の方が、どちらかというと個人的には地(または素)に近いのだが。でも、それはそれで人格的に問題があるように見えるのかもしれない。


うーむ、壮絶にどうでもいい話だ。これはこれで、なんとなく書いていて楽しいのだから、それはそれで問題かもしれない。というか、それ自体がどうでもいい。



ひさしぶりに時事問題について。のメモ。
前から書いているが、もういいかげん、沢山の専門的な議論がでてきて、自分の能力でどうこうするわけではない。なので、以下はあくまで個人的なメモ。


まず、復興関連ホーアンや、復興カイギのテーゲンなどが出てくる。どうやら基本的には、特区を設定して、そのなかで行政を動かすシステムらしい。とりあえずここまで事態が来た。


個人的には、そうすると次に注視するのは、ひとつは行政機構だ。実際、すでに関連ショーチョーは沢山あり、とくにケーサン省やコーセー省、コクドコーツー省などが、入り乱れることになりそうだ。また法案もそれぞれの担当と言うことになると、もっと混乱も予想される。そのあたりがどうなるか。



もうひとつ、さらに進むと、これは人によって意見が違うだろうし、自分でもそれが完全に正しい判断かわからないのだが、やはりセイケンにおけるレンリツが気になる。

もちろん、それを集権的という批判はあるかもしれないが、レンリツになればとりあえずホーアンは通るし、それに人材面でもかなり選択肢が増えることになる。また、それぞれの党がもっている利害団体を積極的に活用して、都市や産業の復興で協力することもできるだろう。たとえば業界団体やローソが雇用や福利厚生でしっかり手を組むとか。それはべつに長期的である必要はなく、半年とか1年だけでもかまわない。
実際的に想像すると、とりあえずレンリツにはそういうメリットがあるような気がする。ちょっと不確かというか、自信はないけど。


ちなみに、こういうことを書くと、たぶん「おまえは集権的な方向に肩入れするのか」ということを言う人がいるかもしれないが、個人的な注視としては、そもそも今の状況だとレンリツにならないんじゃないかという危惧がある。つまり、集権的がどうこうとかいう批判の以前に、それが成立しないのではないかと。


とくに、それはヨ党ではなく、ヤ党側のもんだいの気がする。よくわからないが、なんとなくニュースを見ている限り、ひょっとしてヤ党はなんか漁夫の利みたいなスタンスに立とうとしているようにみえる。

実際、レンリツしない方が、たぶんヤ党としてはメリットがあるかもしれない。ひとつには、復興にかんする責任をとらないで良くなる。復興は、たぶん絶対にどこか失敗するだろうから、そういうことで責められない、安全な地位を確保できる。
また、そうすれば、ヨ党を攻撃する材料が手に入ることにもなるだろう。復興はかならずどこか失敗するのだから、そういうカードを集めれば良い。そうすれば、つぎのセンキョで、勝つこともできるだろう。これがギョフの利。

ほかにも、ヤ党自体がじつはかなり混乱している節もある。特にコイズミ政権以降、ヤ党の内部はかなりねじれていて、一方にリケン型の人がおり、他方にリケンきりすて型のコイズミチルドレンがいる、分裂傾向にある。これで、うっかり復興につっこんでしまうと、党が分解してしまうかもしれない。そういう怯えもあるかもしれない。

いずれにしても、そういうことを想像すると、ヤ党としては、レンリツなんてしない方が得だとおもっているかもしれない。まあ、よくわからないけど。



もちろん、くりかえしだがレンリツが全ていいとか、レンリツすれば全て解決するとか、そういうことが言いたいわけではない。ただ一つのありうるだろう方向として、それを考えてみたらどうなるかというメモだ。

ひとつだけ。だから、これだけ今、テレビやメディアで「ひとつになろう」と言っているわけだが、実はその中心であるところの人たちが、まったく一つになっていないのだ。その是非はさておき、それだけは間違いない。


なので、どうでもいいけど、もし本当にフーリエ主義者がいたら、そこのあたりに行ってほしいな。愛の力で、ひとつに。
まあ、彼らはフィジカルなかたちで「ひとつに」しようとするから、それはそれで大変かもしれないが。


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