作用と持続 8.6

どうでもいいけど昨日あげたコアオブベルズについての文章を読んで、完全に説得されてしまった。僕自身がリンクを張られたいタイプじゃないのでリンクは張らないけれど、その文章を拝読した限り、その大きな問題は個人的なアンサンブルズについての理解と共通するところが多い。とくに空間の使い方や、そのつどある種のミッションが設定され、同時並列に系が作られていくと言うような点などだろうか。
だから、というわけではないけれど(つまり頭でっかちな興味だけではないけれど)、空間についてのアプローチと言うところも含めて、とりあえず問題をキープ。すぐにではないけれど、うまく機会があえば、何かを見たり聴いたりすることにする。

ちなみに、個人的には、ただしアンサンブルズには特殊な個性の人が参加しているように思っていて、それをなかなか言語化できていないというか、する必要があるかどうかもわからないまま、その問題を抱えている。
ちょっとだけ書いて見ると、その人は、たとえばいくつかの系が並行して共存しているとして、その複数のレベルをひょこひょこ飛び越えたりできてしまうらしいのだ。たとえば、自分が作品の作り手でありながら、パフォーマーとしてはまるで台風と一体化したかのような(つまり外部環境のレベルから)行動し、展示作品を容赦なく破壊できたりしてしまう。いいかえると、つくっている=作品の系からその外へひょいと移動して、また戻って来たりもできるらしい。
あるいは、これは4月のライブでもそうだったが、たとえば影絵がうつされているスクリーンがあり、それを中心にいくつかの系がつくられているとき、その人は、あるときは自らそこに(影絵として)うつりこむが、あるときは外側に立ってそれを眺めることが出来てしまう。おまけに、「自分が影絵としてうつりこみながら、その影絵が映っているスクリーンをつついて破く」というようなこともしてしまうし、実際ステージはそれによって終了したのだった。

つまり、単に複数の系が並列にあるだけでなく、そのあいだを、いとも簡単に移動できてしまったり、全体をコントロールしたり戻ったりできるらしいのだ。
しごくたやすく。しかも即興で。いったいどうなっているんだ。


ウメダさんというその人のことは、よく知らないが、本当にみるたびに仰け反るような行動をしているように見える。それはまだ全然言語化できないし、する必要があるのかどうか、それ自体も、ちょっとよくわからないのだが。




いまさらだが、路地と人の展示を知る。金曜日から3日間だけ再開するらしい。
とりあえず金曜とかに行ってみようかな・・・よくわからないけどチラ見くらいの気分で。

とりあえずメモ。




どうでもいいけど、昨日書いた宙づりについて、書き方がよくなかったような気がしたので追記。
まず、ひょっとすると昨日の文章だと、なにか暗いテーマのようなかんじがあるかもしれないが、個人的にはそういうつもりはあまりない。むしろある意味でポジティブかもしれないとおもう(それは以下に書く)。

もうひとつ。すこし具体例をだしたが、言いたかったのはそれが「安全か危険か」ということではない。そうではなくて、安全か危険か「わからない」状態にあることが重要であり、そのことにフォーカスを当ててみたいのだ。
念のためにいえば、「安全か危険か」は、もちろん実生活のうえではとても重要であるし、わからないとばかりも言ってられない、判断が必要なときもあると思う。それは踏まえた上で、ある特殊な部分にフォーカスしてみようと考えた。


別の言い方をすれば、それはこういうことかもしれない。たとえば、目の前に「安全か危険かわからない」状態があったとして。
ひとつのリアクションは、とりあえず「安全/危険」を判断することだろう。それは重要だが、この場合、設定された状態に対するリアクションの一つであると捉えることもできる。
だから、つまり他のリアクションもあり得るだろう。たとえば美しい音楽を奏でる、それを聴く、ということもありうる。それによってとりあえず目の前の状態を、わずかでも反らし、あたらしいアイデアを得たり、リラックスしたりできるかもしれない。ただ、ここではそれもまた、リアクションの一つである。

そのうえで、ここで考えようとしているのはそうした「安全/危険」といった判断やリラックスではない。そうではなく、ある種の宙づり状態を、それをそれとして受け止めつつ、くぐり抜けていくような技法があるのではないか、ということだ。
あるいは、それはもうすでにあったのではないか。宙づりを宙づりとしてくぐり抜ける方法、技法、技術、アート。そうしたものは、沢山あるのではないか。あるとしたら、ではそれはどのようなものか。
そうした問題設定だ。それは、ひょっとしたら奇妙な表現や方法が多いのかもしれないが、ある意味で前向きなものであるようにおもう。



あらかじめ枠組みだけ示してみれば、それには、とりあえず二つの方向があるように思う。
ひとつには、そうした状態を受け入れ、そのなかで緩慢に時間を過ごしていくような方向性、あるいはある種のデカダンかもしれないが、決して宙づりであることから目をそらさず、しかしそこで過ごす時間の「過ごし方」を開発していくような、そんな方向性だ。

もうひとつは、もっと変な形かもしれないが、なんとなくある種の作品は、自分で勝手に宙づり状態をつくりだしたうえで、何かを作り続けていくような方向があるような気がする。たとえば、終わりもみえないし、何が起きるか分からない奇怪な迷路のようなものを自らつくり出して、そのなかで、迷路の状態を維持したまま、どこかへ進んでいくような方向性。
つまり、誰にも強制されないのに、自分から宙づり状態をつくりだしてしまう作品。これは、たぶんおもったより沢山ある。


とりあえずこの二つの方向を考える。
だからといって、それが良いか悪いかはわからないし、それが正しい答えかどうかも、とりあえず今のところはわからないが。



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