作用と持続 9

誰が読んでいるのか知らないが、このところ少し真面目になってしまったので、どうでも良い話題を探す・・・とくにない。
せいぜい、なんか暑い、というくらいだ。いきなり夏服みたいな人がふえて驚きました。
以上、終わり。



どうでもいいこと、その1。誰が読んでいるのか知らないが、このところメモしていたことが、なんとなくだが当たっている気がする。多少はズレがあるかもしれないが、大まかには見通しのとおりの展開が進んでいる・・・ようにみえる。たぶん客観的にそうだろう。
だが、もしそうだとすると、それはそれであまり楽しくない。そもそも、あまりにも「当たり過ぎる」見通しというのを、自分自身が信じていない。予想と言うのは、だいたい五分五分くらいがちょうどいいのだ。


つまり何が言いたいかというと、言いたいことは特になかった。



どうでもいいこと、その2。先週の金曜日に路地と人に行く。
10時までやっているというので、9時くらいに行ったのだが、どうやら中でインタビューらしきものが行われており、また既にいる人同士が楽しげに会話しているので、あれ、パーティーか何かだったか、とか思い、チラ見だけしてきた。

感想。思ったより整理されていて、そこに驚く。中身については、とても難しい・・・・・・保留。


ひとつだけ加えると、これは前にナショナルトラストを例に挙げたときから思うのだが、今おきている事態は、いったい何なのだろうと考える。もちろん素人的に、だが。
そうすると、個人的にはひとつに、これは環境問題なのではないかと思ったりする。つまり環境破壊、もしくは生態系の破壊。それが、ひいてはヒトの社会的な環境にダメージを与えている。そうした印象。
裏を返すと、たとえばカク問題というのがあったとして、個人的にはその重要な問題提起は「平和」だったような印象を抱いている。それが正確かはわからないけれど、大量破壊兵器にたいする廃絶の運動、という印象。けれど、今の事態はそうじゃない、戦争ではない、なぜならゲンパツは「カクの平和利用」だと教えられてきたから。正しいかどうかは別として、そう習った。


では、何か。正しい理解であるとは自分でも思っていないが、それは、ひろくいって、自然破壊もしくは環境あるいは生態系の破壊なのではないか。もちろんカクの問題と共有する点はあるだろう。ただ、それは一つに問題をまとめてみるよりは、同じ問題を共有する別々の問題があって、そのような形で連帯はできるかもしれない。
そんなことを思ったりした。だから、展示にあった本だけでなく、あるいはそのテーマ系だけでなく、あそこにこれから追加されるべきものは何かと考えたりする・・・とくに結論なし。




その3。もうひとつだけ。このところ、何やらフォレストリミットというところで企画があるらしいが、行ったことがない。というわけで、ホームページを見てみた。
するとそこに、一枚の画像がアップされている。クレプトマニアックの絵。泣きながら中指を立てているようなコラージュだった。


・・・負けた。このあいだまで「ののしる/のろう」ということについて書いてみたが、そこで試みたどの議論より完成されている。あるいは、言おうとしたことのすべてが、すでにそこに実現されていた。
この絵をみて「正しい技法がない」とか言う人もいるかもしれないが、そんなことはどうでもいいし、個人的には圧倒的に正しい。アートや議論に勝ち負けはないと言われるかもしれないが、負けは負けである。しかも、すでに4月の時点で製作されたのだという。なんてことだ。


いいかえれば個人的には、もう2011年4月の時点において、ゴ×ールは敗北した。あるいは、とくに挙げてはいなかったが、おそらくブレ×トもア×スラーも負けた。ののしりと追悼の感情を表すのに、5分だの50分だの必要ない。たった一枚の絵で十分なのだ。おもうに、文化と言うのはこういうことを指すのではないか。わずか一枚のコラージュで、無数の人の感情を代弁しうるかもしれない表現性をもつ。それだけで十分なのだ。あるいは、それが可能なのだ。この絵は、それを十分に示しているように思う。

あと、これをホームページにのせているフォレストリミットもスゴイなとおもった。もちろん個人的な基準において、だけれども。


ということを、突発的に思った。
そんな今日この頃。


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