作用と持続 9.12

疲れ気味なのでメモだけ。昨日の内容の翌日、浅草橋に「や想語りの夜」に行く。ここに来るのは3回目。



と、その前に、一つメモ。
どうでもいいし、これは主観的感覚なのだが、なんとなく昨日辺りから、ホーシャノーについて感覚がマヒしてきているような気がする。つまり先週(まで)はトーキョーがどうこうと大騒ぎしていたのだが、なんだか今は騒いでいない。


これは何かの変化だろうか。あるいは実際に調査が実施されつつあるので、冷静になったのだろうか。それとも、ホーシャノーにかんする不安定な状態をごまかす「日常化」のような圧力がかかっているのだろうか。いいかえると、ある種の宙づり感が、なくなっているような気がする。
とはいえ宙づりの主題はもう少し続けてみよう。でもいつそれをやるかは、よく知らないけど。




もうひとつメモ。これはニュースで。先週、ジェーエーという業界団体が、ノーギョーに関する提案を発表していた。かなりの規模。ヒサイチのノーチを国が一度買い上げて、そのあと希望者に売り戻すというものらしい。それによって、離職する人にも一定の保障をクニがする、ということなのだろう。


驚いたのは、これがセーフではなく業界団体(の、しかも中央組織。ゼンチュー)から出てきたこと。
これによって、政策としてはお尻に火がついたかんじになるかもしれない。驚きのニュースだった。




さらにちなみに。昨日なんとなく人間関係的なことを書いてしまったが、とくに他意はない。個人的には業界とか(あと派閥とか人脈とか)そういうのに基本的に関心がなくて、とはいえたまには知り合いがほしいとか、そういう気分のことである。
別の言い方をすれば、あんまり書いていないけどこの文章の全体のコンセプトは、匿名のまま(つまり社会的身分に関係のない立場で)不特定多数の人に向けてこっそり文章をつくる、ということである。それがコンセプト。で、いまのところ続けられているのだから、それについては成功しているのだろう。
ただ問題は、そこから先で、実際に会ったときにどうするかということを全く考えていなかったことである・・・たとえば自分の名前が何なのかとか、そのへんからして決めていないのだった。


だからといって、それについてはあまり困っていない・・・まあ知り合いになるならなるだろうし、ならないもんはそういうものだろう。とか。まあ、ただ軽い会釈くらいは次からしておこうとは思うけど。誰に向けて言っているわけでもないが。




というわけで本題まで辿り着くだけでつかれた。ちなみにこの日も前衛家をみる。

とりあえずメモ。内容は、現在の状況をかなり整理してくれるものと理解。だいぶ複合的に問題が議論される。とくに個人的には、ある種の植民地構造(ゲンパツだけでなくて)が存在するという指摘は、あまり考えたことがなかった。
もうひとつは、変な感想かもしれないけど、こういう人たちがいることに素直に驚く。3者3様だし、趣味もちがうのだろうけれど、いきなりシリアスな話題を、それなりの余裕をもって真摯に議論していた。あるいは、少しずつ視点の違う3人が話すということ自体に、ああ、そういうこともありうるんだなとか思う。


そこで出た論点は、おおむね納得。メディアについての二通りの理解が出て来たけど(マスを取るべき、と、ネットで行けるところは行く、というかんじ)、その両方に納得。


もうひとつ。最後に「変わる/変わらない」というような話題があったけれど、とても難しい。ただなんとなく、すぐに変わることのできる問題と、変わることのできない/する必要のない問題があるようにおもう。
あるいは、すべてが一気にかわる/かえろというのは、気分としては盛り上がるけれど、変える必要のないものまで変えてしまうことのような気がする。そして、変える必要のないものとは何かといえば、たぶんそれは個々人の判断によるしかないような気もする。とか思った。あまり答えになっていないかもしらんけど。





・・・このあたりで疲れた。ちなみに、いま何がたべたいといって、肉である。ステーキ、もしくはハンバーグだ。ステーキはミディアムが良い、個人的にはステーキ専門店よりフレンチレストランとかの方が好きだ。もしくはファミレスだが、ファミレスに行く場合はハンバーグだ。
ご飯はハンバーグ、ステーキにはパンが良い。
以上、今日の「たべたい」日記。



どうでもいいが、「食べたい日記」を書いていると、選択肢が次々にふえていくようだ。これからどうするかという、未来について書いているからだろうか。どうやら過去は一つしかないが、未来の選択肢は無数にひろがっているらしい。
だからどうしたといって、そんなことは当たり前だが。



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