作用と持続 10

どうでもいいが、誰が読んでいるのか知らないが、ここ2日ほどお出かけモードになってしまった。いや、出かけたのは週末だったが、それについての文章を書いたという意味で。
で、もとにもどす。お出かけモードは楽しいけれど、ここでやってみたいのは、もっと他のこともある。


とはいえ、たまにはお出かけもしてみたい・・・と思っていたら、28日にパードン/キクチ/ヘアスタというのがあるらしい。ぬぬ。
とりあえず迷う今日この頃。



どうでもいいが、ここ3回ほど、「たべたい」日記を書いてみた。で、やってみた感想なのだが、これはこれで、なかなか難しい。
ひとつには、どうやら書いた文章全体が、なんとなくトボけているというか、ひょっとしたらバカにしているみたいな感じになりかねないことである。もちろんバカにしているわけではないが、どうやら、オチをどうするかが、かなり難しい。



またもう一つ、この日記のコンセプトは、ある意味で「現在からみた未来について書く」日記ということである。つまり、「××したい」というのはこれから起こることにかんするものであって、その現在形をメモする、というものだ。
そんなわけだが、それ自体がなかなか難しい。とくに、なかなか紋切り型が使えない。なかでもむずかしいのは、いくつか選択肢を挙げてみるのは良いのだが、なぜかどうしてもその選択肢を収斂させる方向で叙述が進んでしまう。
やりたいのは、選択肢が複数ばらけたままで、その日の気分とともに終わる、というようなものである。が、なかなかうまく行かない。ちなみにいうまでもないが、これは宙づりについての、ちょっとした試験である。が、思ったより難しい。



ちなみに、なんでそんなことをしているかというと、とくに意味はわからない。




というわけで、「食べたい」日記はなかなか困難だ。なぜ困難か考えてみると、ひょっとして、実現可能な項目ばかりあげているせいではないかと気がついた。


たとえば、前から食べたいのだが、世の中にタルトというものがある。果物が載せられている、基本的には甘いお菓子、デザートだ。
だが前から思うのだが、どうもニホンで製作されているタルトには、ほとんど果物だけなのではないかと思うものがある。つまり生地がない。スポンジがない。固い土台のうえに、切り刻んだフルーツがあり、その周囲にクリームが薄くあるようなもの・・・別に文句を言いたいわけではないが、あれはフルーツ盛り合わせのバリエーションなのではないかと思うときもある。
で、何が良いたいかというと、かつて海外旅行をしたときタルトを食べたことがあるのだが、それはもっとしっかりと生地があったように記憶するのだ。どっちかというとパウンドケーキ的な。そして果実がそのなかに入っている。そういうかんじ。
その後、そのようなタルトを探したのだが、未だ見当たらない。未だに探している。見つけたからといって食するとは限らないが、探していることは事実だ。
つまり何が言いたいかというと、タルトが食べたい。



あるいは、一方でおもうのだが、この世の中には魚介類というものがあるらしい。魚や貝だ。もちろん、こうしたものは案外、身近に食することができる。スーパーでも、ちょっとした回転寿司でも、いけば手に入る。
しかし前から思うのだが、ホッカイドーで売っている貝は、なぜあれほど巨大なのだろうか。とくにスーパーなどで気楽に棚をながめると、ホタテなど、トーキョーでみるホタテの3倍くらい大きい。
しかも美味しいときてる。大きさのみでなく、味までちがうのだ。一体なんなのだ。高級だの低級だの、そんなの関係ないところでせいりつしているではないか。
たぶん、あれは反則だ。ルールなど存在しないが、何かにおいておおきな反則技なのではないか。そのような問いが、いつも頭にうかぶ。




だから、いま、ふたつのものを同時にたべたいと願う。ひとつは未だ見たことのない加工品であり、もうひとつは手に届かない未加工品だが、欲求のレベルでは変わりがない。どちらも手に入らないが、どちらもたべたい。
もちろん、そんなことは意味がないかもしれない。たとえば、ふたつを同時に食べたとして、それが美味かどうかは保障できない。けれど、ふたつを願うことは同時にできる。


いいかえれば、いま現在は、ふたつに引き裂かれているようだ。もちろん実際に引き裂かれているわけではない。ただそれは欲求の水準において、あるいはつまり食欲の観点において、現在は未来に向けて引き裂かれている。


さて、いまから何をたべようか。



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