作用と持続 10.1

疲れ気味なのでノート的に。誰が読んでいるのか知らないが、この数日「食べたい日記」をつけてみた。自分でも変なことをしているなと思っていたのだが、やっとやりたいことが自分で分かった。というか、またひとつ、主題を発見。
以下、個人的かつ主観的なノート。



で、その主題とは、未来である。未来を想像すること。
明るい、とはいわない。輝かしい、とも言わない。けれど、せめて暗くない、悲惨でない未来を想像すること。誰が読んでいるかわからないが、あなたはそれができるだろうか。未来を想像すること、それがここでの主題だ。
ただし困ったことに、個人的にはそうした方向に想像力を働かせるのが、現時点ではかなり難しい。何回かやってみて、そもそも未来について想像するのがかなり大変であるとかんじる。たべたい日記は、基本的にはそうしたコンセプトで、というかそういうことを考えてみようとしたものであることが、今さらながらに分かった。それについての細かい説明ははぶく。



すこし展開してみよう。未来について。なかなか恥ずかしい話題だが、書いている本人が一番恥ずかしいので我慢である。
で、別の言い方をすると、かつて「テツワ×あとむ」というのがあったことを知っている。多くの人が知っているだろう。また、それが未来だったことも知っている。けれど、それだけではなくて、その未来が実現しなかったことも知っている。現在は、そうした未来の来なかった未来だ。
では、その代わりの未来を想像できるだろうか。「あとむ」も「うらん」もいない未来を想像できるだろうか。というより、はっきりいって、そうした名前の存在を必要としない未来を、想像できるだろうか。いまのこの状況の中で想像される未来は、たぶんそうしたものではないか。
そしてそれを、想像できるだろうか?



もう少し進めよう。なぜ想像が困難か、その理由は、個人的な範囲なら、おぼろげに分かっている。
ひとつは、進歩の歴シ観への拒否感だ。明るいテクノロジーへ一直線の時間軸に対しての不信。なぜならそれはたとえ明るいとしても、それ以外の選択肢を抑圧する可能性があるからだ。
さらにいえば、それが具体的な権力として他地域を抑圧するものであることも知っている。それを、どうして明るいといえるのか。そうした拒否感。

それよりも、まだ日常性の方が良いと考えてきた節もある。終わりのない現実、日常、そこにこそリアルがあるのだと、誰かに教わったかもしれないし、誰に教えられなくてもそう思ったのかもしれない。未来ではなく現在に、繰り返される日常に、ある種の平穏さを見い出したかもしれない。
だが、未来を想像してはいけないと、誰がいったのか。その誰かを思い出すことさえできない。困ったことである。




だからといって、今すぐにでも未来を想像したいわけではない。というか、たぶんそれは無理な気がする。とりあえず今の個人では無理だ。
あるいは、いいかえれば、それはまだ時期尚早かもしれない。ひょっとしたら数年後に、そうした未来が描かれることがあるかもしれない。「あとむ」も「うらん」もいないけれど、それなりに楽し気で平和な未来が、語られるかもしれない。それは、今はまだコトバや表現を外に示していない誰かによるのかもしれない。というか、そういう今は知らない誰かの手によるのではないかと思う。むしろ、それを待ちたい気分。
その意味で、時間はまだまだ沢山あるのだから。



だから、とりあえず今は、この主題を発見したことだけをメモしておく。自分でも手を付けない。これについては、これ以上もう考えないことにする。
ただ、裏を返せば、ある日あるとき、誰かがとつぜんに「未来」と言い出しても、無視するのはやめる。ひょっとしたらあざ笑う人が出てくるかもしれないが、あざ笑うのはしないことにする。それくらいのかんじで、頭のすみにメモ。
よくわからないが、ひょっとしたらいつか、多くの人が未来について語っているときが来るかもしれないとか思う。あらためて23世紀の未来について、鉄の腕もタイムマシンもない世界が語られるかもしれない。なんとなく、それはちょっと楽しいのではないかという気がする。
それもまた一つの未来かもしれないが、いま考えられるのは、せいぜいそれくらいだ。



とか。そんなことを思った今日この頃。シリアス風味だが、この話題はここで終える。
以上、ノート。よって、たべたい日記もこれにて終了。あとはやる気のない話題というときだけにする。
どうでもいいけど、考えなかったことを考える。ほんとに。




話題をかえよう。どうでもいいけど、本屋で「現代しそー」や「ユリ如何」を立ち読み・・・すみません。特集50冊をながめ、べケットやバラードを確認。さすがに120日はなかった・・・あたりまえか。
あとイソザキアラタの選定が特異。なぜか本ではなく、音楽。すすむべき道はない、しかし進まなければならない・・・さすがだ。ちなみに他にもこの3か月でのエッセーを見ると、かなりすごい。実際、「しそー」では4月時点ですでに「文化」の重要性を指摘していて、「あっと」では「できることはハッキョーしたようなことしかない」とか言い出していた。「現代しそー」ではある意味、その路線を進んでいる・・・すごいなあと思う。




そんな今日この頃。
どうでもいいけど、なんか具体的な感想をスッ飛ばしてしまったが、10日のコスモスはかなり良かった・・・泣いている人はいなかったが、泣いてもおかしくないなとひそかに思う。またやってほしい・・・
あと、実はひそかにチームサチコの写真が止まっている・・・「92日間」とか「works」というのが新展開でびっくりしていたので、続いてほしい。にゃー。
(追記:・・・とアップしたあとで見たら、つづいていた。にゃー!)




あと、ちなみに、なのだが。
いまは肉まんがたべたい。




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