作用と持続10.6645

暑い。



どうでもいいが、前にしてみた予想は、それなりに当たっているようなかんじだ。実は7月上旬で一気にホーアンが可決したら、なんか赤っ恥だなとか思っていたのだが、幸か不幸かそういうことにはならなかった。誰かなんかくれ、とはいわない。誰が読んでいるのかも知らないし。


ひとつだけ。もしセージカの人が本当にタイジンを望んでいるなら、ひとつの手法はホーアンをすべて通してしまうことだとおもう。逆に、もしサンインで否決されて、シュウイン再可決とかなったら、ものすごく時間がかかることになる。そのことはセージカの人はみんな分かっているはずだ。
けれどそうしない。ということは、論理以外の何かがあるんだろうなと思う。しがらみとかだろうか。よく知らないが。



まあ、それはどうでもいいや。どうでもいいけど、たまにはもう少しヘンタイのことなどについて書いてみたいものである。

ちなみに、このテーマについて困っていることが一つあり。それは、誰が読んでいるのかよく知らないが、どうやらここで多少ヘンタイなことを書いても、もう誰も驚かないというか、誰もそれを気にしないのではないかという、奇妙な手ごたえである。おそらく、ちょっとやそっとの奇態な行為について書いても、たぶん平然とやり過ごされるような気がする・・・
だからといって、じゃあ自由にヘンタイなことを書けば良いかというと、そのへんが微妙だ。ページの最初から最後まで、そうしたことばかり列ねることもできるのかもしれないが、それはまさしく単なるヘンタイ。ヘンタイについて書くつもりが、自らヘンタイになってしまった。それは、困ったものである。



というわけで、このテーマについてはどうしたらいいのか、なかなか思案するところだ。たとえば120日について書いてみようと思ったが、そうしたことばかりになってしまいそうで、それはそれで面倒である。



そんなところで、では一つだけ、さらに絞って書いてみよう。120日について、前に、実際はほとんど内容が読まれていないような気がすると書いたが、それはいまだにそう思っている。そのひとつは、この小説が、ほぼ真っ昼間を舞台に展開することだ。
これは、どうなのだろうか。一般的な120日のイメージは、果たして昼なのか、夜なのだろうか。たしかに設定としては古城に閉じているのだが、その時間は夜ではなくて、どちらかというと朝から昼にかけてである。なんとなく、そのこと自体、意外に特殊だとおもう。


それは、たとえばその実写映画版(いわゆる「ソドムのイチ」)でも同じだ。この映画が120日の正確な映画化かといえば、たまに言われるように内容的にはまったくちがうものだと思う。それについてはいつか書くかもしれぬ。
けれど、共通しているのは、そこでのヘンタイ行為が最初から最後まで、明るい真っ昼間に行われていることである。これは、最後のシーンまで続いている。そのなかでは、かなり奇態で問題アリの行為がみられるのだが、いずれも白昼おこなわれるのだ。


裏返せば、夜は何をしているかと言うと、なんと寝る時間なのである。120日がクルった作品だと思われているかもしれないが、夜になるとヘンタイもそうでない人も寝ているのだ。これはどうなのだろう。
ちなみにつけくわえると、実際にはその夜の寝ている時間においては、むしろ奉仕している側同士がこっそり密通したり、密会したりする場面がおかれている。まあ、結果としてそれがヘンタイにバレて、問題アリな描写へ移行していくのだが、いずれにしてもヘンタイは昼の行為であり、夜はそうでない時間帯として描かれている。
よくわからないが、これはこれで、なにか興味深い気がするのだが、どうなのだろう。なにか、既存のヘンタイのイメージとは、えらく違う世界ではないか。というか、むしろこっちが元祖ヘンタイである。元祖じゃなくても、大御所というか、どうでもいいが。



ちなみに、さらにつけ加えると、こうした「真っ昼間にヘンタイ」という描写は、個人的な理解だが、90年代から00年代に多く作られたホラーやゴア(のメジャー作品)において、きれいさっぱり削り取られたような気がする。それらでは、多くが、密室で、うすぐらく、せまくるしい環境において、ヘンタイもしくはザンギャクな事件が描かれているにおもう。というか、そういうのが当たり前のようになってしまった気がする。


で、これはさらに主観的な理解だが、ではその代わりに、「真っ昼でヘンタイ」感覚はどこへ行ったかと言うと、たぶん、SF怪獣ものに行ったのではないか。ちょっとふたしかだが、メジャーに限定すると、そのような印象を受ける。
とくに「インデペンデンス・デイ」など、お昼の街中に巨大UFOが登場して、基本的にはずっとお昼か早朝にシーンがつづく。これは、たとえばイーティーとかではあまり想像つかない方向性の気がするのだ。ほかにもゴziラとか、いくつかの怪獣映画では、おおっぴらに怪獣があらわれて破壊行為を繰り返していた。で、どうもそちらの方へ「白昼のヘンタイ」のイメージが移っていったように思う。かなり主観的な感想だが。


つまり何が言いたいかというと、言いたいことは特になかった・・・こういうトピックは意外に面白いような気がするのだが、どうなのだろうか。
とりあえず昼と夜、ヘンタイと日常との関係については、こうやって簡単に見ただけで、かなりの組み合わせがあることがわかるのではないだろうか。いいかえれば、奇態なイメージはしばしば「夜」や「非日常」的な密閉空間においてイメージされるような気がするが、はたして、そうではないような気もする。
で、あえて言えばそれは、日常への抵抗や侵犯にたいするイメージ、その領域確定について、けっこう大きい問題のような気もするのだが、大きすぎてよく分からない。



だからどうしたわけではないが、そんなことを考えてみた120日。




**