作用と持続12

ふーん、よく考えたら、明日はお出かけモードである。事務局のひとからもメール来た・・・と思って時間を確認してみたら、午後2時から5時か。ああああああああああああああああつい。
ネッチュー症対策きちんとしよう。ガ×ガ×君持参である。


ふーん、あと、まあ不義理になるかもしれないけれど、いつのまにか色々な企画があって興味だけは津々である。トゴシ銀座スペキュレーションって何だ・・・匙をなげるらしい。ちがうか。
どうでもいいけど個人的には匙って投げたこと、未だかつてない。比喩じゃなくて物理的に。いきなり投げるのも変だ。というか、投げても拾えば良いわけだし。
というか、そういう話ではたぶんないんだろうとは思う。



昨日、すこしマジメになってしまった。その割には、あまり明確になっていないような気がする。でもとりあえずしょうがない。同じことの繰り返しだが、いったい問題が何なのかが問題である。
というか、何について分かっていないのかということが、実は今の問題かもしれない。あまりにも沢山の情報が出てきて、分かった気になったり、分からないままやり過ごしてしまったことが多すぎて、何が分かっていないのか、それが分からない。それが分からないと、何が問題なのかも、当然だが分からない。これはコトバ遊びではない。


そこで、もう少しだけメモ的に。昨日、アンゼンを二つに分けた。で、個人的に重要だと思っているのは、後者である。前から強調しているが、とにかくテクノロジーそのものが制御できなくなったとき、こういう風になるとは全く想像していなかった。もっと最初にバーンときて、あとはチョチョッと作業すれば良いのかと思っていた。そうではなくて、そもそも立ち入れない、状況がわからない、作業するための環境から構築しなければならない、それが4か月とか半年とかかかる、と言うこと自体に、かなり想像できていなかった。
だから、個人的には、テクノロジー自体の危険性がとても重要だと思っている。まあ、それはいいや。


で、これをもう少し詰めて見ると、またわからないことが出てくる。
たとえばひとつには、上の観点からすると、今現在はいったいどういう状況なのかと言うことだ。あるいは、たとえばセンモン家的な見方でみたばあい、いったい今はどうなっているのだろう。もう事故は「終わった」のだろうか。あるいはまだ事故中なのだろうか。どこまでいけば、事故は終わるのだろうか。今はどのように理解すれば良いのか。
もちろん一般ピープルとして、技術を制御しているか否かという目でザックリ把握すると、なんかそのようには全くみえないし、つまり事故時の状態が続いているように見える。ただ、センモンというのはもっと別の視角もあるだろうし、そのあたりがなかなかわからんところ。



で、実はここで終わりではない。ここからさらに踏み込んでみると、また分からないことがあり。これは、以前「ジャムジャムラジオ」を聞いていたらタカタニさんという方がボソッと「ホーシャノーは人間にしか影響をあたえない」ということを言っていて、それ以来のことなのだが。
これはどうなのだろうか。別に責めているとかではなくて、実は個人的によくわかっていないのである。そのあと、NエッチKで、チェル×ブイリの自然についてのドキュメンタリーなどを見ると、やはり鳥をはじめとして影響があるようなことが言われていた。
とすると、さて、ホーシャノーの影響は人間だけなのか?それとも、他の生物や自然にも何らかの影響を与えるのか?あるいは、ちょっとよく分かっていないのか?
これがよくわからない。



で、なんとなくだが、この問題は、ホーシャノー全体のイメージにかかわる、個人的には。

つまり、たとえば人間だけに影響があるとすると。
だったら対応策は、人間の都市社会だけの問題になるだろう。たとえば可不可はさておき、ものすごい強権的な政策として、周辺の村落をすべて近隣の県に移設し、新都市を4つくらい建設してしまえば、色々と問題はのこるかもしれないが、ホーシャノー自体は解決する。あとは、そのまま放置すれば、人が立ち入らない限り、何にも害は与えないことになるだろう。
つまり都市社会で問題は完結している。


けれど、もしそうではなくて、自然や他の生物にも影響があるなら、これは都市を動かしても影響は残る。害を与える。というか、そこは自然になにか地獄みたいな空間になってしまうようなイメージがある。上記のドキュメンタリーを見る限り、なんでも鳥は一年で死滅してしまい、しかしそのために(他のライバルの鳥がいない空白地帯になったゆえに)外部からそこを「自由」とかんちがいした新たな鳥が飛来してくるとか言っていた。もちろんその鳥も一年で死ぬわけだが、しかしそのためにやはり外部が鳥がやってくる。その繰り返し。思うに、これはなにか地獄的なサイクル感だ。
あるいは、そこから人間がすべて立ち去ったとして、にもかかわらず永く影響が残るとしたら、それはほとんど「呪い」にちかいのではないか。もうその元凶をつくった存在はいないのだが、なにか健康に害のある影響だけが残存している・・・それって呪いじゃないのか。


いや、別にイメージはどうでもいいのだが、つまりこのように見ると、問題は都市社会では完結しない、環境全体への影響であり、都市や人が移動したとしても、問題は残り続けるように思われるのだ。だからその場合、当然だが射程もまったくちがうようにおもわれる。つまりホーシャノーが消えるまで、つねに害が続くという風に捉える必要があるのではないか。
だから、ホーシャノーの影響がどのようなものかによって、それについての理解が変わってくるような気がするのだ。射程とかをふくめて。このへんが、わからない。



というわけで、なんとなく分からないポイントをあげてみた。挙げてみたからと言ってどういうわけでもないが、うーむ、なにか困ったものである。ちなみに、何か知っている方はコメントとかしていただいても嬉しいが、そのときはなんか(検索にひっかからなそうな)適当なアダナでもつけてメッセージをいただければ幸い。
ネット上のコミュニケーションって難しい・・・でもつまり検索にひっかからない名前でやりとりすれば、なんかできる気もするのだ。


脱線した。いや、もともと分からないことなので脱線してもあまりかわらないが、ちょっと抽象的な問題かもしれないが、頭の片隅でなんとなく気になっている。・・・もちろんそのうえで、現場の問題はそれとして厳然と存在していることは知っている・・・うーん、とりあえずこんなところ。




ちょっとヒトゴトめいているかもしれないが、なんとなくそんなことを考えてみた。
とりあえず。



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