作用と持続17

いまも、ひとりで、部屋の中にいる。窓から見える部屋の外は、闇夜の光景が広がっている。
外では、雨が降っている。あるいは降っていない。雨で地面が流されている。あるいは、流されていた。
地面を、水が流れていく。流れていた。流れていない。そのうえを歩く。
雨のなか外を歩くと、そうして流されていく水に体をひたすことになるのだろうか。そこで流されているのは、水だけなのか。どこまでいっても、そこは闇夜の光景が続いている。


はたして、そこは安全なのだろうか。



昨日書いた文章は、ちょっと抽象的になってしまった。色々な理由はあるが、ひとつには、この文章自体が下書きを一切せずに、そのまま書き込んでいることにある・・・つまり、支離滅裂になってもそのままアップしているのだ。同じようなことは、たぶん時々、すでに見られているとは思うが、よしなに。
もうひとつは、本当なら一週間くらい空けてから感想なりを書きたいところである・・・なぜそうしないのかはよく分からないが、3月上旬までは基本的にそうしていた。たぶん、そのへんに理由があるだろう。
というわけで、もうちょい整理して追記。ちなみに、とくに必然的な意味はない。



そういえばイベント全体についての感想も書いていなかった。とりあえず、不思議におもったことだけを特記してみると、とくに大きい点は、ジャンルから攻めてみると、これがなんなのか、かなり不明なことだ。


実際、音楽ばかりのイベントでは全くなかった・・・刺繍ノイズとかあって、それでは説明がつかない。あえて言えば、ステージを使っているのかもしれないが、じゃあ舞台かというと、そういうわけでもない。そういうことばかりでイベントが成立していて、これは一体なんなのだろうかと思った。

たぶん、無理やり言えば、パフォーミング・アーツとかになるんだろうけど、実はそれは何も言っていないに等しい(←よくしらないが、助成金とか応募するには良いネーミングかもしれないとかチラリとおもうが、責任はとれない)。


そこが、実は振り返るとかなり面白いとおもうポイント。音だけでなく、映像だけでなく、パフォーマンスだけでなく、そのへんが入り交じった何か。それだけで二日間って、けっこうスゴいのか変なのか、どちらかだろう。だから本当は土曜日も行けば良かった・・・
まあでも、それがどういうものだったのか分かるには、なんかもう少し時間が要るかも。あるいは個人的に、ちょっと受け入れる能力が足りてない気がした。経験&勉強不足。観客も試されている感アリで、反省である。



あとは朗読についても抽象的になってしまった・・・やはり不思議におもった点を、あらためて整理。


まず振り返るに、ふたりの朗読はかなり特殊だった。たとえばオータニさんは一応サックスを持っていて、吹くことは少なかったが銜えたまま喋ったりしていたし、前衛家は叫び声(←ハウリングボイス)から過呼吸気味の息までいきなりスイッチを切り替えたりする。
だから、朗読としてはかなり異様な、声のパフォーマンスといってもいいかもしれないものだった。他にも適当に言うなら色々あって、とくに男女で朗読するからジェンダーの問題とか、一つのテキストを二人で読むから多声性が云々とか、言うだけなら言える。あと、オータニさんの声がシブいとか、前衛家の声がアニメの少年みたいなかんじでビックリしたとか。

けど、個人的に不思議だったのは、そうやってかなり色んなパフォーマンスが注ぎ込まれていて、朗読としてはほとんどメチャクチャなくらいなのだが、なぜかきちんと意味が通る言語のまとまりができていたように思えたことである。いいかえると、事前にテキストは未読だったが、どんな内容が物語られているのか、かなり分かった。
それは、けっこう不思議な感覚。


別の言い方をしてみる。と、コトバって不思議だということかもしれない。
それは一方で「音声(音)」なのに、他方で同時に「意味」が運ばれてくる。それも意味は、一語一語だけでなくて、語がつながって意味をなすし、さらに文章がいくつもまとまって、特殊な情報をうみだしてくる。まあ、ザックリそのあたりは間違ってないだろう・・・たぶん。
で、だから、二人の朗読を見ていたら、その両方があったというか、二方向のあいだを綱渡りしているような感じがあって、なんとも不思議だった。コトバは音としては、どんどん変形されるし、破壊されるし、歪められる。それはドンドン徹底されていくのだ。
が、一方で、そうやって続くメチャクチャなコトバを聞いているうちに、なんとなく物語みたいなものが連なっていることが分かってくる。メチャクチャにされながらも、音が物語を運んでくるというような。そういうコトバの二つのあり方が同時に出てきていると言うような。


つまりは、まあ、コトバって不思議だなと思ったわけだが、そんな結論で良いのかどうか、よく分からん。そういう印象。コトバの、あるいは文章の不思議さみたいなものを、途中からかんじたり。
なので、よく分からないがこれは結構、綱渡りではないかと思っていたりした。あるいはひょっとすると観る側も、音と意味との間で、けっこうな綱渡りを強いられていたのかもしれないが、そのへんは分からない。

ぬぬ。


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