作用と持続19

いまも、ひとりで、部屋の中にいる。・・・いつもは空腹気味なのだが、ついさっき、あまりに腹が減ったため、インスタント食品を食してしまった。ちなみにアブラソバ。食べ終わった後、腹もち感がズドンとクる。


どうでもいいが、昨日の文章はどうだったのだろう・・・誰が読んでいるのか知らないが、唐突すぎただろうか。それとも、そうでもないのか。


ちなみにあらためて整理すると、そこで言いたかったことは二つある。ひとつは、文中に書いた要に、海の光景が現在、ほとんど取り上げられていないようにみえること。それを問題にしてみたかった。
もう一つは、それを、物語の中で処理してみることである。念のために言えば、これはある過去を検証するための方法ではなく、あくまで物語のなかでその光景を扱ってみたいという、単なる素朴な欲望だけである。だから、巧くできたかどうかは覚つかないが、とりあえず3人称という形で処理してみた。あくまで、それに言及している部分は、人物の主観と言うか、意識の流れであり、つまりはすべて虚構である。


ちなみに、どうしてこういうことをしたいのかは、よく分からない・・・ただ、個人的なかんじだと、現時点でもっともフキンシンなネタのひとつは、ゲンパツではなく、おそらく街と海の問題を扱うことだと思う。なんかわからないが、これを虚構として処理しようとすると、どこかに抵抗感があるような気がする。
ただ想像するに、もしこのまま誰も触れないままいくと、なんとなくの美談や、見なかったことにするような形でのフィクション処理に行くような気がしていて。けれど、そうでない形のフィクションはできないかと考えたりする。封印でもなく、美談でもない、文章の仕方。
どうすればいいのか。この問いの他に、いまのところ理由はない。




とはいえ、これまでこの文章を読んでいる人からすれば、ずいぶんと「ヌルく」なったと言われかねない安全策ではある。実際、そんな大したことはやっていない。せいぜい人称と時制をズらしたくらいで、あとは誤摩化しに近いのは分かっている。それくらいで、何をエラそうに、とか言われても仕方のない次第だ。
そういう人のために、実はよりエゲつないネタは考えてある。というか、一か月くらい前に思い付いたのだが、どうにもやはり、直接書くのは抵抗感があるのだ・・・ヒヨっているといわれれば、それまでだが。



・・・で、実はこの下に、さっきまで本編を書いていたのだが、やはり抵抗感があるのでさっき(午後9時50分)削除した。この問題は難しい。あと2年位しないとクリアできないかも知れない。ぬう。



困ったので、すこし補注しよう。
ひとつだけ思うのは、かなり以前にも書いたが、表象不可能性の問題がまとわりつきそうなことである。けれど、それに対しても同じなのだが、見たことは見たのだし、表象はおそらく不可能ではないと思う。いいかえれば、物語化することもできるだろう。
むしろ、ここにおける問題は、表象の不可能性ではなくて、その表象をどのように受け手が咀嚼していいのかわからないという、受け手側の問題のような気がしている。何が起きていたのか/起きているのかは、わかる。けれど、それを、どう受け止めて良いのかわからない。どう位置づけて良いのかわからない。
あるいは、もっといえば、その表象を、受け手が勝手にどこかに位置づけてしまって良いのか、自由に処理してしまって良いのか、その権利があるのかないのか分からない。見た者が、みたものについて、勝手に判断してしまってよいのか、そんな権限がどこにあるのか。それがわからない。


そして、実は、これについては前から思うのだが、どこかのハsuミさんが言っていた「表象の奈落」なのではないかと思っている。そこで言われていたことは、まさに上に書いたとおりのことだ。
つまり、みてしまったものを判断したとき、その権限が自分にあるのかどうか分からなくなる。それを分析し判断した自分の足下がいきなり抜けて、表象をまえにしたまま奈落が生じる。その事態は、不可能性と似ているようで、まったくちがう問題なのではないかとおもうのだ。



とはいえ、これについて書くのは、またにしよう。
今日は、お腹がいっぱいである。いまも、ひとり、部屋の中にいる。どこが安全なのかは、いまだに分からないままなのだが。


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